2012年7月30日月曜日

暑い盛りに、丸山真男、熱い「日本の思想」を読む

子どもは夏休み。仕事をする気分もなんとなく休みモードのスイッチが半分入って、身が入らない。通勤時に読む新書も、ここのところあまり、コレっと言ったものが見つけられない。
書評でもって目をつけいたものを書店でパラパラめくってみるけど、どうしても「ヨシ、買って読もう」とならないものばかりで、少々困っていた。そんな「お悩み」の時に思い出したのが、半年ほど前に買っておいた丸山真男「日本の思想」(岩波新書)だった。

実は「日本の思想」を読むのは2度目である。もう30年前、学生時代に買って読んだ。と、言うとウソになろう。読み始めたものの途中で挫折したからだ。最期まで読み切ることがなかったと記憶している。正直なところ。

この新書はフォント(古いので写植と言いた方がいいのかもしれない)のポイントが小さい。老眼には慣れるまでけっこうきつい。それも電車での立ち読みには。それでも学生時代に読み切れなかった「後ろめたさ」から読み始めた。
もっとも学生時代に読み切ったとしても、それは、内容を理解せず、ただ文字を追っただけに終わっていたかもしれない。

今回はともかくも読み切った。そしてある程度内容を「理解」できた。たぶん。
丸山真男の思想は、50年たっても古くならず、今の時代でも十二分に通用する論理であった。いま忘れないように、<メモ>をまとめている。

この新書の奥付きをみると、なんと初版は1961年11月20日。購入したものは93刷、2011年5月16日だ。あとがきをみると「日本の思想」の初出は、1957年(昭和32年)11月の「岩波講座『現代思想』の第11巻「現代日本の思想」所収とある。

半世紀以上たった、いわば「古典」だが、ちっとも古典ではない。今月の総合雑誌のこの文書が載ってもちっとも違和感がないと言えるほど、新鮮だった。

「古典」は、古典として読む時、ふつう読者は、ある程度その著書が書かれた時代背景を頭に入れながら読む。しかし「日本の思想」は、その頭の作業がなくても読める。もちろん1960年代の時代背景-終戦からまだ15年程しかたっていない時期であり、高度成長の萌芽の時期、60年アンポという政治の季節であることなど-を知っていればより理解は深まるが、いまの政治状況、社会状況しか知らなくても読める。

試しに14歳の愚息に一節を読ませた。(続く・・・)

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