2016年12月30日金曜日

電通「過労自殺」に違和感。過労、即・自殺なのだろうか。

2016年の仕事納めの12月28日に、厚労省は法人としての電通と幹部社員を書類送検した。
若い女性社員の「過労自殺」などを違法な残業が問題とされた。
マスメディと言われる組織に籍を置いていた身として、一連の報道に多少の違和感を感じている。
断わっておくが、私は長時間労働を是認するものでもないし、電通の肩を持つものでもない。むしろ現在進められている政府の働き方改革は概ね支持している。
「日本的」というのだろうか。付き合い残業や、だらだら職場にいることこそ忠誠だという風潮は容易にはなくならない。このオカシサを多くの人が感じているにも関わらず、職場の雰囲気を変えられない状況は、まだいたるところで見受けられる。

  「日本人の働き方」ということとは別問題として、今回の「電通問題」の報道になぜ違和感を覚えるのか。書くことによって、少しアタマの中を整理したい。
まず「過労自殺」という言い回しが少し短絡すぎると感じる。「過労で、自殺しました」というのはそこに因果関係があるような印象だが、よく考えると直接的ではない。報道からの要素しか分からないけど、自殺した若い女性社員は、
▷長時間労働⇒▷過労による体調不良⇒▷休む(業務の停止)⇒▷医師の受診⇒▷うつ病の診断・治療⇒▷自殺に至る
という経過をたどったのではないか。
 過労と自殺の間にはいくつかの出来事がある。うつ病患者が自殺を考えるのは普通のことであり、医師はそうした行動に出ないよう予防措置をとるはずだ。かつて職場で新人の女性職員が「うつ病」になり、主治医のところに毎週話を聞きに行ったことがあった。その時、精神課の医師には、自殺予防についてこう教えられた。
「あなたは今、病気です。病気の時は正常は判断はできないものです。(退職や自殺といった)人生の重要な判断は、今はしてはいけない。そうした決断は体調が戻ってからすれば良い」
しごくまっとうな言い回しだ。
  私が経験した若い女性職員は、その後回復し、15年近くたった現在も元気に働いている。もちろん病気の症状や回復力など、それは千差万別で一概にひとつの型にはめることはできない。電通の若い女性社員がどうな症状であり、どんなことがあったのか詳しいことは分からない。しかし少なくとも言えるのは、「過労が即自殺」ということではないということだ。
 繰り返し言うが、過労になるようは長時間労働が免罪されていると言っている訳ではない。もう少し丁寧に物事を見ていかないと、歪んだ事実認識になり、それがヘンな施策となって表れかねないことを心配している。最適の判断は、正確な現状分析からしか導くことはできない。
 電通という超一流企業。東大卒の美人の若い女性社員。こうしたことがメディアもお役所もバイアスをかけてモノゴトを見てしまうことになってはいまいか。
 
   政府の働き方改革が進められる中で象徴的出来事として、電通がスケープゴートにされてはいまいか。冷静に見る必要もあろう。


 (この項は続きますが、とりあえずアップします)




2016年12月28日水曜日

マクドナルド化、アマゾン化する公共図書館。で、再度訴える「年末年始は開放せよ!」

いま、公共図書館(都内の区立のいくつかのことだけど)の窓口対応はマクドナルド化し、予約・配送・受け取りはアマゾン化している。

  大田区や目黒区の図書館で言うと、とにかく窓口が混雑しないよう、要員を配置している。バカ丁寧なトーク。きびきびした行動は、マニュアル化されているように思える。
 他の図書館にある蔵書を予約すると、貸し出しがなければ、早い時にはその日のうちに利用図書館まで届いている。ネットで検索して予約して借り出す一連の動きはほとんどアマゾンで欲しい物を買う行為に近い。

 マクドナルド並みの窓口対応とアマゾン並みのクイック配送。私の利用する図書館はすべて指定管理者による業務委託で、民間企業が運営している。だからなのだろうが、あまりに窓口対応と配送業務に経営資源を注ぎすぎていないだろうか。またそうすることが「行政サービス」の充実と考えているのだろうか。
 もしそうなら、少しお門違いだ。

 多少窓口で待ち時間が長くなっても、また、予約から本が届くまで2,3日かかったとしても、その原資をもっと広範囲に利用できる手立てとしてシフトすべきだと思うけど。

 かつて書いたことだけど、港区の図書館で、窓口の人が利用者を「お客様」と呼びとめていた。これも、どう考えてもオカシイ。「お客様」などと言うから利用者は消費者として振る舞い、借りた本を粗雑に扱っても何とも思わなくなるのだ。公共サービスを受けるのは「お客様」とは違う。税金を使った公共サービスに対して「お客様」と言うことに、管理者側も違和感がないとしたら、感覚がマヒしている。

 内田樹さんが何度も書いているけど、教育や医療に対して、利用者が消費者的振る舞いをすることのおかしさ、害悪。同じことが公共図書館でも起きていると言えるだろう。

 本を汚して返しても弁償させない。書き込みがある本など、消費者的振る舞いで公共の財産である書籍や音源がどんどんすり減っている。紛失による損失も相当だ。(かつて大田区の情報後悔で調べたけど、資料が手元にないので割愛)

で、再び訴える。年末年始こそ図書館を開放すべきだと。

私の行動半径にある身近な図書館、大田区立、目黒区立、渋谷区立、港区立の図書館を見ると、おしなべて年末年始29日から1月3日まで(目黒区は4日まで)、「全館閉館」だ。

この時期こそ図書館をオープンすべきたと主張するには2つの意味がある。

①日本の学制では1月から入試が始まる。様々なレベルの受験生にとって、年末年始は最後の追い込みだし、ここでしっかり勉強したい。普段図書館で勉強する人は、いったいどこに行ったらいいのか。自宅に勉強部屋があって、静かな環境でじっくり取り組める人ならいい。そういう環境下にないから図書館で勉強するのではないか。(もちろん自宅に勉強できる環境があっても、気分転換で図書館に行く人はいるだろうけど)。
世間が騒がしい時、また家庭でも何かと慌ただしかったりする時期にこそ、学習する場を確保するのが、「正しい」行政の施策だ。何も貸し出しなどの業務をフルで行えと言っているのではない。せめて学習室くらい開けてあげてくれ。
 湯浅誠さんが講演で言っていた。自分が東大法学部に入った時、その時は「自分は頑張った」と思った。しかし「今にして思えば、自分には静かな勉強部屋というy恵まれた環境があった」そのことに当時は思いが至らなかった、と。貧困世帯にある子どもたちは勉強する環境というスタートからアドバンテージを負っている。せめて、せめてそれを少しでも解消していくのが行政の役目だろうに。
 調べた限りでは、都内のどこの区も「年末年始はお休み」とハナから決めてかかっているとしか思えない。教育委員会(図書館の所管)はやはり紋切型の行政機関なんだろう。

②年末年始こそ、ふだん図書館に行けない人々のために。
杓子定規に言うと、行政サービスは市民(住民)に等しく提供されるものでなくてはならないだろう。一部の人にしか利用できないサービスは基本的にオカシイ。図書館のオープン時間は通常9時~19時くらいだ。(目黒区では一部21時まで週日はやっている。)
 仕事が多様化する中、また東京のように通勤時間の長い地域で、9時ー19時のオープンでは、平日は図書館を利用することはまず不可能だ。せめて21時まで開けてほしい。
 平日に行けない人は土日に行けというだろう。確かに土日は行けるけど、週末は週末でさまざまな用事がある人も多いだろう。結局、いわゆる通勤サラリーマン(ウーマン)は図書館から足が遠のく。普段から行く機会が増えればもっと図書館の蔵書が有効利用されると思うけど。

 武雄市のTSUTAYA運営が良いとは言えない。(正確に言うと行ったことないから分からない)。でも年中無休でオープンする姿勢は評価できる。

 年末年始のオープンや時間延長は、コストがかかると行政は考えるだろう。しかしやり方次第だし考え方次第だ。
 マクドナルド並みの窓口対応をやめ、予約・配送の要員を1人減らして、その分を時間延長の要員に回すという工夫もできるのではないか。そうしたことを十分に利用者に説明して実施すべきだ。
 そうしないのは内田樹さんの言葉を借りれば、図書館を運営する側も利用者を消費者とみなしている証左なのだろう。

 何度でも言う、図書館利用者は消費者ではない。税金を使った行政サービスを受ける住人でしかない。そのことを図書館の入り口に大書しておいてほしい。

2016年12月24日土曜日

原発避難者が各地で「いじめ」に遭う理由。メディアの劣化とも強い関係がある。

 東電福島第二原発の事故で避難している家族の子どもが、学校でいじめに遭っていたことが、あいついで各地で明らかになった。なぜ彼らはいじめに遭ったのか。「いじめ」が彼らになぜ向かったのか。まったくの推論でしかないけど、ちょっと考えてみたい。
  放射能を巡っては、大手メディアを含めて事故発生からかなりの期間、玉石混合の報道があいついだ。週刊誌だけでなく新聞も「正義漢」から大袈裟な報道がなされた。また、そうした報道から派生してネット上にはトンデモ情報があふれた。(らしい、あまりそういうのは見ないけど)
 『フクシマ論』の開沼博さんも、そうした状況を書いていた。
「大衆」的な人々にこうしたトンデモ情報がもたらす影響は大きい。申し訳ないけどメディアリテラシーのない人々だ。
 一連の原発報道では、いわゆるマスメディアと言われる媒体=テレビや大手新聞も、結構あやしい情報を流していたし、被害の状況や避難者の苦悩を誇大に伝えていた。それがマスコミ界の上常識だった。
 この文を書いている間に、内田樹さんの『街場のメディア論』を読んでいて、以下のような論考があった。――メディアがとりあえす立場の弱い側にたって「推定正義」として伝えるのはいいことだ。けれどもそそれが推定正義であることを忘れて、あとから検証しないことがメディアの劣化そのものだ――という趣旨だった。  
 不正確で不確かな情報がメディアによって流布され、それを前提とした会話が家庭内で交わされる。それを鵜呑みにした子どもが学校で、ばらまく。そして弱い者に向かい、中にはいじめのスケープゴードになっていく。けっこう容易に想像がつく構図だ。

 曰く、原発避難者は放射能に“汚染”されたキタナイ存在。放射能というバイキンが感染する。と子どもの中では単純化されて増幅される。しかも避難者という言葉の中にある“逃げてきた弱い人”というイメージが、子どもがスケープゴードにしやすい要素もある。加えて原発避難者の場合は、「賠償金」などのこともあり、カネがあるひとたちと誤解されていく。

 原発事故から1年後の5月、死んだ父親がかつて世話になった、富岡町に住んでいて郡山市で避難生活をしていた一家を、父親の死亡を伝えることも兼ねて訪ねた。この一家は、確か富岡町で電気工事などを請負う仕事をしていたと思う。主が死に、70代の婦人と40代の独身の息子、そして祖母の3人暮らしだった。郡山市の住宅は、認定避難所で、自ら見つけて借り上げて避難所としていた家だった。きれいな一軒家で駐車場にはベンツが置いてあった。だから住所を頼りに家を探した時、まさかこの家とは思わず、迷ってしまったことを覚えている。
 3人家族だから毎月30万の賠償金が入る。家は「避難所」だから家賃はいらない。40代の息子は当然働いていなかった。日課は足の少し悪い母親を郡山市内の病院に送迎することくらいだ。この状況だけ見ると、他の人からはいかにも“優雅”に見えてしまう。中には、お金が入るから働かない。賠償金でベンツを乗り回している。と見えなくもない。
しかし、話をしてみるとそんな表面上のことだけでは語れないことも見えてきた。一家は原発事故による避難で、いったん新潟まで行き、何か月か避難所で生活、そのままではどうにもならないので、自力で郡山市内に家を見つけて災害復興住宅として申請し、認められ移り住む。高級外車に乗ってはいるが、それは夜ノ森の田舎で40代の独身の息子のはかない贅沢にすぎない。細々と地元で商売をしていた息子にとってその経済圏を失ったからと言って、すぐに他の仕事ができるほどタフではなかったのだろう。そんな事情も伺い知れる。

 私の知っている具体的事例はこれを含めて2件だけだけど、避難者には避難者の事情がある。都会に避難してきた人々が、表面的なことだけで誤解を受け、差別的な視線にさらされる。
確かに、まだ40代の前半なんだからもっと積極的に生きてよ、と思うところはある。いつまでも被害者として賠償金の加護の中にいるのは生き方としてどうですかとも思う。けれど、それは非難できる類のものではない。
 
話を「いじめ」に戻すと、もともと「転校生」はいじめの対象になりやすい。学校という狭い集団では「侵入者」に見立てられるからだ。それが強い人ならば問題は起きないし受け入れられるけど、そうでない人の場合は攻撃される。よく報道されるニホンザルの集団を見ても明らかだ。
 
 学校(行政)はどうすべきだったのか。原発避難者の転校生は、ふつうの転校生以上に気を付けてケアしておくべきだったのだろう。まあこれは後付の理屈だ。問題になった後に気が付いたことにすぎない。
 いま公立学校の先生の質は落ちているのは確かだ。このこともメディアの劣化と相関関係があると内田樹さんは指摘してけど、様々なことに対処しなければならない教師たちが、その処理能力を超える事態の中にあるのではないかということも想像がつく。

 世間を煽ることでしかその存在価値を自らに見出せないメディア。
 もともと人の中にある、差別意識や、他人を羨む意識
 そうした影響を受けた子どもたちのふるまい

こうした要素がいわば相乗効果をもたらして、各地で原発避難者の子どもへのいじめは蔓延した。
 


 

2016年12月15日木曜日

手帳から「生き方」を考える。今年は『ナカバヤシ・ロジカルダイアリー』にした。



  毎年の手帳選びを悩む人も多いだろう。東急ハンズでも伊東屋でもこの時期になると手帳売り場は悩める老若男女が結構いる。
 
  私も悩む。だけどスタイルはこのところだいたい決まっている。業務はA5サイズ、持ち歩くのはA6サイズだ。また見開き1か月のカレンダー型を使う。

 しかしのこ範疇だけで、結構種類がある。ここ2年ばかりはコクヨの「Campus Diary」を使っていた。紙の質がいいし、何より薄い。(余計なページが少ない)ので、気に入っていた。
また「月曜始まり」なのも、性分として好きだ。
(休みは後にとっておく。まあ気分だけどね)

 コクヨの前は『手帳は高橋』のA6版を何年か使用していた。これも使いやすい、ページに切り込みが入っていて、各月をすぐめくれる。ただ、その分スペースが小さくなり、月間カレンダー型ではハコが小さくなる。少々書きにくいのと、ページが多いのが、私にとっては難だった。

  生来、手帳は予定表と基礎情報の記載にしか使っていない。備忘録としての日常のメモや情報は別のA6のメモ帳に記し、いっぱいになると整理してノートに書き写してきた。それがここ15年ほどの習慣だ。

 で、話をコクヨの「Campus Diary」に戻す。実は困ったことが起きた。勤務先で使用している卓上カレンダーや、またmicrosoft officeのメールソフト、OUTLOOKの予定表は、日曜始まりだということだ。一応使っているgoogle calendarは、始まるの曜日を設定できるが、OUTLOOKに合わせて日曜日にしていた。 これで時々ミスを犯す。
 
  どれかのカレンダーを見て、木曜日と思い込んでいた日が、実は水曜日だったとか、会社の会議に出す予定表に日付の曜日を間違えるというミスである。

高橋のA6手帳
これはひとえに自分の不注意によるものだ。ちゃんと確認していればいいだけの話かもしれない。けれども齢も重ね、注意力も低下、また時間に追われて急いで書き記す時もある。

  人間は(動物もそうなんだろうけど)、無意識に論理(文字)より絵(図形)で物事を認識していることが多い。曜日を7つのBOXの何番目という位置関係で見ていて、そのためカレンダーによって位置が違うと間違えるのだ。
  これは、あまり効率の使い方ではない。
 
  それで、コクヨの『Campus』の代わりになるものはないか探した。
(やっと本題に入った。)
 そして見つけたのが「ナカバヤシのロジカルダイアリー」だった。ネットで見つけたけれど、やはり紙の質など実際に見てみたい。しかしハンズにも伊東屋にもなかった。伊東屋はそもそもナカバヤシの手帳を扱っていなかった。ハンズはB5の大きなものが1,2種あるだけだった。
 
 仕方なくアマゾンで購入。まあ高いものでないので失敗してもいいという気持ちで手に入れた。
日曜始まりの軍門に下ることになるが、しかたない。

 
『Campus』は月曜始まり これはこれで使いやすい
『Logical Diary』は年間カレンダーとひと月が見開き1頁という構成で、『Campus』と同様だ。余計なものは一切ない。(よくある、年齢早見表とか、度量衡とか、路線図とか)。それも同じだ。
『Campus』との違いは見ての通り、スペースが右にあること。それとこの写真では少し分かりにくいが、細かな線が薄く入っていて、小さな字で書くときも整理しやすいことだ。
 私のように「悪字」の者にはいい。

とにかく来年はナカナヤシで行こう。このあと何年、手帳が必要な人生を歩むかどうかわからないけど。





ナカバヤシ『Logical Diary』 は日曜始まり

と、ここまで、手帳の道具としての機能について考えてきたが、書いてみて、手帳の抽象的機能について、少し考えが及んだ。(タイトルも書きかえた)

 手帳というと、何年か前に、「希望がかなう手帳」とか、お金が貯まる「手帳」というのがはやった。どんなものか書店でパラパラめくって見た記憶があるが、あまり印象に残っていないのか忘れてしまった。
 
 確かに日々の予定を記すという「手帳」の役割は、自分がどう生きるか、どう生きたいかを確認することでもある。でも私自身も含めて、それって予め分かっているひとは、そういないのではないかな。文章と同じで、何を書きたかったは、書いてみて初めて、事後的jに分かることだもの。

 まあ、だからこそ手帳に予定を書いて、はじめて自分がやりたいこと、やるべきことが見えてくるとも言えるのだろう。そう考えてくると、手帳も使い方次第では、人生の道しるべになるということか。だから、「希望がかなう手帳」や「お金がたまる手帳」が出現しのも、ある意味では理にかなったことだったのだろう。

 勤務先の先輩の中に、その日あったことを手帳に書きとめる人が何人いた。そして時々見返していた。そのうちの一人は「自分はメモ魔」だからど言っていたけど、これってけっこう有効な使い方なのかもしれない。(余談だけどもメモ魔で手帳にいろいろ書き留めていた人は二人とも東大経済学部出身だった。たまたまだろうけどね)。
 ○手で書き記すことの有用性。○見返すことの復習性。それは「考える」ことにつながる。アタマがいい人だからそうしているのか、そうしているからアタマがいいのか分からないけど、実践してみる価値はあるかもしれない。実際私ももっと手帳を有効活用できないか試してみたけど、習慣を変えるのはなかなか難しい。私にとって手帳は予定表にしか、いまだなっていない。人生残りすくないけど、予定もだんだん減ってきたから、もう少し手帳を使ってみるかな。2017年は。

追伸:
ナカバヤシのロジカル手帳がセブンイレブンに置いてあることが判明!
身近なところにあるもんだ。



































2016年12月1日木曜日

「宅建士」不合格の記。脳の筋トレとして臨んだ試験で。

 11月30日に宅建士の合格発表があった。
 職場に行ってから午前9時半のネット発表を見る。落ちた。だめだった。多少手ごたえがあったのでちょっと落ち込む。やはり3か月、週2,3時間の勉強では足りなかった。また年齢を考えると記憶力、意欲とも、若いころのようにはいかなかった。・・・・というのが言い訳である。
 
 実は受験は2回目だった。一度目は4年前。10月の試験に向けてまっさらの状態から勉強を始めたのが7月。8月は遊ぶ(登山など)に忙しく、ほとんどテキストを開くこともできず、9月になりなんとか毎日、週日は1時間程度やったけど、学習書を読んでノートにまとめるのが精いっぱいだった。過去問をまったく解くことなく試験に臨み、それはあえなく撃沈。

 そして4年ぶりに急に思い立ってまた“挑戦”を始めた。第一の職場を定年で終え、子会社に移って2年目のことだった。
 なぜ宅建士だったのか。別にこれから不動産屋になりたい訳ではない。宅地建物取引は民法の基礎が詰まっていると何かに書いてあった。だから民法をちょんとアタマに入れるのにもいいと思い、試験勉強に取り組んだ。
 思いかえすと、結構日常生活で『民法』のお世話になってきたし、頭に入っていることはこれからの人生でも損はない。
 
 転勤で自宅マンションを貸すことになった時、初めは日本リロケーションを通して「定期借家権契約」をしていた。しかし築30年以上のボロマンションでたいした賃料でもないのにリロケに10%以上の手数料を取られ、なんだか割に合わない気がしたので、契約更新時に店子と自ら契約した。
契約書はリロケーションに仲介を頼んでいた時のものを参考に、自ら作成した。条件が不利にならないように、しかも法律を遵守できるようにわか勉強をした。
 父親が死んだあと、わずかばかりの遺産相続をするのに、なまじ都内に土地が少しばかりあるため税理士に相談すると、自分としては結構法外な値段を言ってきた。
 世間相場そのものを知らなかったので、いくつか書類を作成するくらいで、せいぜい十数万円でやってくれるのかと思っていたら、相手の言い値はその10倍以上だった。それなら自分で相続手続きをやろうと、これもまた本を一冊買ってきて、あとはネットからの情報や各種書類のひな型を取り出して、相続申告ぎりぎりの10か月になんとか間に合わせて申告した。
 こうした体験が、自分を宅建士に向かわしたのかもしれない。

 今回は宅建士のテキストからではなく、まず民法の勉強から始めた。ネットの「体験記」を見ても、民法は別に学ぶべしと書いてあった。だからその推薦図書「民法がわかった!」から始めた。
この書籍を買ったのは5月の連休前後だったように記憶する。定番書籍らしく、いまはなくなった新宿タイムズスクエアの紀伊国屋で平積みになっていた。
 だが実際に勉強を始めたのは、勤務先の株主総会が終わり、ひと段落ついた7月になってからである。(これじゃダメだよね)

 勉強を再開して改めて気づいたのは、会社勤めをしていると、時間を確保するのはよほど意志が強くないと難しいということだ。平日、仕事を終えて家に帰ると、心は無意識でくつろぎ体制になっている。テレビ(きょうの料理などだけど)を横目で見ながら、ワインをちびちび夕食をとるとすぐ10時。風呂に入るともう睡魔には勝てない。WBS(ワールドビジネスサテライト)を見ながら、そのうち寝床に入って、いっかんの終わり。これでは勉強などできる訳がない。
 
 そこで、家に帰る前に必ず喫茶店(古い表現だね。カフェか)に寄ることにした。そこで1時間は勉強することを自分に強いてきた。

 でも実際は毎日1時間の勉強時間の確保は難しかった。せいぜい週に3日か4日。それも40分くらいの日も多々あった。これには理由がある。仕事は定時に早々帰れるわけではないこと。(そてでも職場のシマでは、早い帰宅だ)。疲れて、行きたくない日もある。
 それでも自分なりに頑張った方かもしれない。ちなみに土日はまったくと言っていいほぼ勉強時間を確保できなかった。
 
 以前からだいたい土曜日午前中は水泳、日曜日はランニングという日課を続けてきた。これを犠牲にしてまではできない。午後は母親の面倒見など結局時間を取られる。だめだった。
ものの本には「100時間の勉強で合格!」などと謳っていたけど、結局100時間まで至らなかった、と思う。それも民法だけに3分の2ぐらいの時間を費やしてしまっていた。
 
 宅建業法や、建築基準法、都市計画法は以前勉強した時のノートを見返すのがやっと。
最後の4週間はなんとか練習問題に取り組んだ。1回の勉強で50問~100問をなんとかこなし、1000問の壁を突破。だけど、それは1回だけ。問題集には最低3回やるようにチェック欄がついている。内容が定着するまでには至っていなかっただろう。
 
 まあそんなこんなで11月14日に試験に臨んだ。試験会場の五反田の立正大学キャンパスはどう見ても20代30代の人ばかりだった。もちろん中には40代らしき人もいたが、私のように50代後半の人間は、周囲を見渡す限りではいなかった。気持ちは若い気でいてもそういう現場にいるとちょっと気おくれするよね。
 試験は、手ごたえはあった。7割は突破したと思っていた。けど、だめだった。トホホ。

 「勉強した時間はムダではなかった。」と思いたい。それはある種ナルシシズムだけど、実際には合格しなかったという事実に向き合っていない。逃げている思想だ。実現不可能なことをやろうとしている訳ではなかった。だから合格できなかったことを自分の努力不足、失敗と位置付けてその事実に向き合わなければならない。逃げていては結局、自分の人生からも逃げていることになる。

 で、その後。宅建士の試験が終わってから、ヘンは話、何か他のことを勉強したくなった。いま、少しづつやっているのが「旅行行」だ。これも民法を知っていると結構スラスラいく。来年はどうなっているかわからない。でも今の気持ちとしては「宅建士」への再々挑戦と「旅行業士」に臨んでみたい。アタマを衰えさせないためにも、これはランニングや筋トレと同じだ。