2015年8月30日日曜日

「戦争法案」「徴兵制」など安保法案への幼稚なレッテル貼りは恐れ入る

 参議院で「審議中」の安保法案が「良いこと」なのか「悪いこと」なのか、私にはよく分からない。考えれば考えるほど判断がつかなくなる。それほど微妙なことなのだろう。だからこそ国会での議論では思慮深い奥行のある議論を聞きたいと思っていた。

8月30日国会前のデモ(ネットより「引用」)
しかし、現実はそうなっていないような気がする。賛成も反対も何か雰囲気で判断されているように気がする。

 野党(特に社民なんか)は、国会の審議で、「戦争法案」とか、「徴兵制復活!」などど勇ましい言い方をする。これほど幼稚な議論があるだろうか。これはいわゆるレッテル貼りでしかない。幼稚という言葉以外に、適切な言葉が浮かばない。

 それは支持者をもバカにしている、ということに他ならない。
オルデカ的な大衆論に立てば、大衆は論理を理解できない、その場の空気で判断する。だから理詰めで説得するより「空気」を作れば、流れが変わる。と、思っているからこういう言い方になるのだろう。その点に関して言えば、政府の方が真摯な対応だと認めざるを得ない。

 ワンフレーズで「キャッチな言い方」で、支持を集めようとしている涙ぐましいご努力は分かるけど、レッテル貼りは、右側の人々が「売国奴」だとか「アカ」(ちょっと古いか)だとか、醜い言葉で切り捨てる手法とそっくりだ。なんら変わるところがない。そのことに彼らは気づいているのだろうか。それとも大衆操作としてこの方が有効だからやっているだけのことなのだろうか。

この国の議論は、いささか知性に欠ける。

多摩川ランニング 盛夏を過ぎて、20㌔を走る

 誰でもそうだろうが、真夏の気温、まして炎天下ではなかなかランニングは厳しい。
おカネと時間があって、高原にでも行ける人はいいが、いつもの都会での走りには一工夫が必要だった。
 今年は少し気合を入れて、朝5時半起き、排便等を済ませるため、いつも結局は6時スタートだったが、10㌔~12㌔週に2回ほど走った。

 ものすごく汗をかくし、走り終わったあとのほてりは相当だけれど、水のシャワーで頭から冷やして体を整えた。これが結果的に身体を鍛えることになったようだ。
 
 そのあと出勤して、炎天下を1.2㌔ほどカイシャまで歩くけど、あまりバテたりしなかった。暑さに強くなった。また、1日だけテニスも(1時間余りだけど)したけど、バテなかった。いっしょにテニスをした愚息と愚妻はなんだかそのあと軽い熱中症のようになり、頭痛がしたり吐き気がしたりしてタイヘンだったけど。

 で、本日8月最後の日曜日(30日)。久しぶりに20㌔走った。雨が降りだしそうな天気でちょっと湿度は高いが気温は過ごしやすい。(あの真夏に比べれば)。金さん(哲彦)の言葉を思いだしながら、気持ちを整えて、ピッチをあげずにとにかく10㌔すぎは行こうと走った。
 EPSONのリスタブルGPSはこういう時役に立つ。時々ラップを見ながら自分で息のあがらないペースを保って走った。
 
 多摩川の丸子橋の東京都側を、玉堤通りの下の側道を二子橋まで遡る。世田谷区は河川敷の歩行者・自転車道をまったく整備していないから、車道を走った方が走りやすい。
いま話題?の二子玉川ライズの中を抜け、二子橋を渡り、今度は川崎市側を下る。この日は多くの学校で夏休み最後の日曜日だからなのだろうか、少年野球の大会が開かれていて、どこも大賑わいだった。しかし雨は小雨ながら本格的に降りはじ、子どもたちにはちょっと気の毒だった。

 12㌔を過ぎるころから膝に疲れからか軽い違和感があったが、走りに支障が出るほどではない。逆に身体の調子はよくなってきて意外に快適に走り続けられた。

川崎市側を丸子橋をすぎ、ガス橋まで下り、東京都側に渡って、サイクリング道に従って300mほど下って折り返し、今度はガス橋をくぐって丸子橋を目指した。

途中、6㌔、11㌔、16㌔くらいで立ち止まり、給水した。
帰ってEPSONの記録をパソコンに移してみたら、ペースを落として走ったつもりの前半は5分30秒/㎞前後だった。自分の「ペース」というのはある程度決まってしまっているのだろうか。
後半は上げたつもりだったけど、あまり変わらないラップだった。


とにかくハーフ(に近い距離)を走れてホッとしている。
アディダス エナジーブースト
これから秋。そんなに意気込んでいる訳ではないが、還暦までにはサブ4を達成したい。


余談
いま次のシューズに考えているのが、アディダスのブーストシリーズだ。
フルマラソンの経験のない私にとって30キロの壁はまだクリアしていない。春に27~28キロを走った時、ちょっとした道路の突起によろけて、急に走りのペースが乱れた。お尻もずいぶん落ちてしまっていたようだ。
そうした時に衝撃を吸収してくれるソールは魅力だ。
まだ調子のいい時でベアフットランが出来ている時は不要だが、長距離を持続するなら試してみたい。

いつ買うかな。  

2015年8月22日土曜日

通勤電車にはスマホいじり専用車両を作れ!

 東京でも「池上線」という3両しかないローカル電車を普段利用していると、同じ東急の路線に女性専用車両があることなど、意識化されない。久しぶりにラッシュアワーに東横線に乗ろうとしたら、女性ばかりで、それが「女性専用車両」だったなんてことは、1度や2度ではなかった。
 だいたい女性専用車両などいるのかと、思ってしまうが、いろいろ被害に遭う女性にとっては、必要なのだろう。しかし、ヘンなことに気が付いた。
 女性専用車両があると、それ以外の車両に乗っている女性は、それこそヘンな目で見られはしないか。また、そこまでいかなくても、相対的に男性が多いフツーの車両に乗ることが、かえって抵抗感を生まないか、疑問に思った。
 ある人々のために、(もちろんそれが良かれと思って)専用の器をつくると、それ以外にある種の差別構造を作ってしまうというのは、何も車両だけではなく、よくあるのかもしれない。

 
卑近な例かもしれないが、災害で家を失った人のために、仮設の災害復興住宅が建てられた。も住む場所の確保は喫緊の課題だから、もちろん行政は良かれと思って建てた。しかし時間が経過して、自力で出ていく人が増えると、そこに残された人々は「弱者の集団」になっていく。結果的に社会的弱者が1か所に集められ、世の中に「見える化」されたことになる。
問題を顕在化させるとうことでは、対策を立てやすいということでは、必ずしも悪いことではないが、周囲からは、今度は「お荷物集団」と意識されてしまう面も否めない。(人間とは結構「人の不幸」に対して残酷だから。)
ではどうすればいいのか、なかなか良い答えは見つからない。

前置きが長くなった。
スマホいじりの人種にアタマにきてこの文章を書き始めたのに、書きながら思考はぜんぜん違う方向に行ってしまった。

通勤電車内で、スマホのゲームを行っている輩は、やたら多い。彼ら、彼女らは、本当に「無心」で夢中になっている。だから、熱を帯びてきて「脇が甘くなり」、肘が隣の人間に当たってもおかまいなし。前に妊婦さんが立っても、「そんなのカンケイない」。疲れてくるので足を組み、投げ出して座る。どうしようもない人々だ。ネットサーフィンに夢中になっている人々も、ほとんど同じふるまいだ。

彼ら特殊な人々は「区別」されるべきた。。スマホをいじるなら、専用車両にまとめて、ホームも別にすべきだ。スマホをいじりながら歩く「迷惑な人々」は彼ら専用の通路を歩いてもらうべきだ。

首都圏私鉄の雄、東急電鉄さん。金儲けばかり考えなくて、すこしは乗客のために投資してもれませんかね。まあ、これまで何度も書いている「東急電鉄という体質」では無理だと思いますけど、一応要望します。

2015年8月18日火曜日

8月15日が過ぎ「戦後70年」は忘れ去られていく。これでは歴史を深く考える習慣が身に着かない。

メディアによる「戦後70年」をネタとしたキャンペーンはほぼ終わった。8月15日を最後として、おそらくメディアに登場するのはグッっと減っていくだろう。連載記事や公共放送の特集番組はまだ残っているが、それは余韻でしかない。
 「戦後70年」がこうした“お祭り”でいいのだろうか。本当に。節目で盛り上がれば盛り上がるほど、節目が終わった時の反動もまた大きい。これでは歴史を深く、長く考えていくという習慣が、人々に身に着かないのではないか。
 8.6などの儀式に違和感を感じた背景には、そういう思いがあるからだ。

「歴史が『現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話』(E・H・カー『歴史とは何か』)の指摘を待つまでもなく、「現在の視点から不断に解釈する営みが必要」(高橋伸彰さん8.16朝日書評より)なのだ。儀式に埋没して終わってしまうことの陥穽をもっと真剣に考慮すべきだと思う。

花火をブチ上げて、衆目を集め、終われば次のネタに移る。これがメディアの常とう手段だ。戦後70年はメディアによって生産され、短時間で大衆に消費されたにすぎない、と思うのは浅はかだろうか。
結局、われわれは歴史に向か合えたのか。
では、どうしていけばいいのか。正直言って、分からない。しかし、ひとつ言えるのは、あの戦争の「生々しい記憶」を呼び起こすという見方でなく、歴史としてきちんと位置付け、冷静に考えることの方が有益なのではないかということだ。
「戦後70年」報道で目立ったのは、(長生きした人々の証言や知られざる事実の発掘だった。それはそれでいいのかもしれないが、15年戦争(さきごろ亡くなった鶴見俊輔氏の言葉)の冷静な総括や戦後世界の分析はあまりなかったように思う。

○「証言」で秀逸だったのは8月13日に放送された
NHKスペシャル「女たちの太平洋戦争~従軍看護婦 激戦地の記録」だった。
http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20150813

女性は強い。男だとなかなか言えないことをずばっと正確に言うところはすごいと思った。
こういう証言集なら記録に値するし、番組としてもすぐれていたと思う。

→関連の考察を別ブログに記す


2015年8月15日土曜日

村山首相の戦後50年談話で十分だ。戦後70年談話など必要ない、と思う。

70年という歳月がどのくらいの意味を持つのか。もちろんそれは人によって様々だろう。長寿の時代、いわゆる「物心」がついた年齢から70年後では、記憶として鮮明だろうし、まして「戦争体験」という特異な状況下であればなおさらだ。
しかし、そうした人はもはや少数になりつつある。多くの人々にとって、もはや70年前のことは歴史でしかないし、それは別に悪いことではない。
断わっておくが記憶として留めている少数の人々の思いを無視してよいとか切り捨てるべきと言っている訳ではない。語り継ぐことの大切さにはもちろん同意する。

私はこの人を尊敬する。稀有の政治家だと思う。
戦後50年の村山談話は、歴史に残る価値のあるものだったと思う。村山首相は、50年という節目で、よい意味で戦後に決着をつけようとした。それは戦後世代の人々に過去を背負っていきてほしくないということだったと思う。いわゆる「慰安婦」問題についても、政府も出資し基金を作って償いを行い、決着を図った。それは正しい判断だった。
 「謝ります。。そして償います。だからもうおしまいにしてください。私どもは、過去に十分向き合うことで未来に向かって生きていきます。ご理解ください。」
ということだったのだろう。

しかし、その後の政治の動きは、こうした努力を無にするものであり、中韓の「お家の事情」ともあいまって、こうした努力は水泡に帰してしまった。それに追い打ちをかけたのが安倍首相の「戦後70年談話」だろう。日本という国はいつまで幼稚な振る舞いを続けるのだろうか。もう本当にこの国が嫌いだ。
 
 安倍の本音は、今回談話で「戦後レジーム」を見直したかった。しかし国内外の世論に押されそれができないと悟った。しかし談話を出すことで、少なくとも「村山談話」を継承するという言説を持って消し去りたかったのだろう。(少なくとも表面上)「継承する」ということは、自身が首相の時に出した談話の方が「新しい」もになり、それが「歴史」になるからだ。この人はどこまで、ナルシズムの性癖の持ち主なのだろうか。まあそれを選ぶ国民が、それに同意しているということなんだから、この思想に抗う筆者は少数者なんだろうけど。 もうたくさんだ。

※村山政権(94年~96年)には阪神淡路大震災(1995年)があり、不運も重なった。少数の社会党が自民党という巨大政党と組み、「妥協に妥協を重ね」て政権を維持したと批判する人もいるが、逆の見方をすれば、モノゴトを進めるためには自己主張を押し通すだけではうまくいかず、譲ることは譲って、なんとかモノゴトを進めていったということではないか。その意味では村山さんは、偉大な政治家だと思う。


2015年8月12日水曜日

57歳を記念して、ひとりで鰻を食べる

本当にうなぎが縁遠くなった。なにしろ高い。
乱獲のためなのか、別の原因なのか、稚魚が獲れないらしい。そして養殖も難しいのなら、高騰し、なかなか食べられないのはいた仕方ない。

神保町「なかや」の特上
およそ儀式が嫌いなので、第一次定年を迎え、57歳になった今年の夏。特になにもすることなく、たんたんと過ぎていった。

でも、鰻が食べたかった。それもスーパーで買ってくるのではなくて。
だからひとりで神保町まで出かけ、食べた。
残り少なくなってきた己の人生とどう向きあうのか。ゆっくり味わったけど、わずか30分足らずで、至福の時は終わってしまった。


今回は神保町のなかや。タレの好みで言うと、もう少しだったかな。でも十分おいしく焼けていた。特上3000円也。



これまで行ったことのある鰻屋で、おススメは新橋の「かねてつ」。
http://tabelog.com/tokyo/A1301/A130103/13023631/
新橋駅前ビルの1号館地下一階 新橋駅の地下道から入っていける。

カウンターだけの狭い店で、くつろいで味わう店ではないが、老夫婦2人で頑張るこの店には不思議な魅力があった。


同じビルのすぐ近くに「市松」もある。ここはイスに座って食べられる。よし
http://tabelog.com/tokyo/A1301/A130103/13013372/


駅から少し歩くが鰻のお宿もなかなかいい。
http://tabelog.com/tokyo/A1301/A130103/13035340/
初めてハーフマラソンの大会に出る前々日の金曜日に食べた。

高級な店を探し出したらきりがない。ここに掲載したのは、あくまでも、まあ手頃な値段で食べられる、「オレの鰻屋」であることをお断りします。


安藤忠雄は責任をとれ・・・「言い訳」をする人間の精神構造。

かつてこのブログで、猪瀬元都知事ことについて「平気でウソをつく人」だと人間性を問うたことがあった。
何かマズいことに直面するとまず「言い訳」をする性癖の人間は少なからず存在する。その性癖はその人の能力や地位や業績に関係なく、そういう人間はいるのだ。

2015年7月17日 netより引用
新国立(こくりつ)競技場の建設を巡って、コンクリート建築家・安藤忠雄は、そうした人間なのだろう。
7月17日の記者会見で、図式まで用いて、われわれが「選考」したのはデザインであって、コストは「そんなんおカンケイない!」と言いつのっていた。
“世界的”な建築家として、恥も外聞もない「言い訳」だけの会見だった。

しかしどう考えても一流の建築家がコストを無視してデザインのみの「選考」だったなんて信じられるだろうか。デザインを見るだけなら、建築家である必要はない。建築の知識がなくてもセンスのいい人(っていう定義は難しいけど)にお願いすればいいだけだ。

安藤忠雄氏が選考委員長に選ばれたということは建築家として、その実現可能性も含めて考えてもらうというのが、いわば当たり前のことではないのか。

そんな、今回の問題の主犯格に対し多くのメディアは、弱腰の質問しかできなかった。
そりゃそうだろう、彼には多大なお世話になっているテレビ、新聞は多いから。

公共放送では、「プロフェッショナル」何かでも持ち上げいる。それだけではなくニュース企画にもよく登場する。ボクサーかは這い上がった東大教授という物語は、大衆受けするネタなのだろう。

下村文部大臣に指導力がないなど批判も多いが、もともと安倍の顔色伺いしかでない能力の人間だから「批判」しても始まらない。

この項を書いていて思い出したことがある。
サッカーの中田浩二が現役のころ、細かな背景は承知していないが、彼を追いかけまわすマスメディアに対して、「虫けら」と言って、それを記者会見で詰問されたことがあった。

記者は「虫けらとうはどういうことですか」とバカにされたことを不穏当な発言だと言わんばかりに質問した。。中田は「虫けらは虫けら。そういう意味です」というような内容を言って、じっと質問者から視線を話さなかった。この席では以上、「虫けら」について“追及”はなかった(ように記憶している)。

「虫けら」という言葉が良いか悪いは別問題として、中田は自分の発言にある種の責任を持ち、逃げなかった。それは本当の大人の対応だ。自分の行ったこと発言したことについて、自分でその責任を引き受けるのは。

質問した記者はここで論争しても負けると、直感したのだろう。
自分たちのマナーの悪い取材を逆に問題視されることを懸念したのかもしれない。
とにかく、中田は「勝った」。これはこれで立派だ。中田を支持する。

2015年8月7日金曜日

『祈る平和』に感じる違和感 8月6日 「原爆の日」に思う

いわゆる(あえて「いわゆる」と言う)戦後70年。そして「被爆70年」は、その「節目の年」として、今年の「8月6日」は、語られた。明日は8月9日が語られるだろう。

「もう原爆の恐ろしさを伝える人々が少なくなってきた」「忘れてはならない」などなど、当然の言説がメディアで語られる。そのことに異議はない。正しいことだ。と、思う。
しかし、しかしである。
何か自分の中で「違和感」を感じてしまうのが、正直な思いだ。なぜなのか、考えてみたい。

「被爆70年の国民の思い」を否定するなど、それこそ非国民だと非難されそうだ。否定するのではない、それぞれの被曝者の方々の思いには寄り添いたい。
しかし、である。
かつてNHK教育テレビの討論番組で平和活動を行うNGOの女性が言っていたことを思い出す。「祈る平和主義」もあるが、「積極的に(動く)平和主義もある」と。

 ヒロシマ報道に違和感を感じているのは、まさにそのことかもしれない。
「祈る平和」は誰も否定できないよいことだけれど、そこには無力感も漂う。現実の政治はきれいごとでは動かないことを、歴史は語っているからだ。
「祈る」ことが悪いと言っているのではない。ただ、あまりにそのことばかりがクローズアップされすぎてしまうと、「なぜなのか」と感える思考が埋没してはしまわないか。

儀式化している8月6日、9日の催しは、祈るための祭祀になっている。若い世代がどれだけ「自分のこと」として原爆投下を考えるだろう。儀式で終わってしまうことの方が、よほど危ういと思う。

他人の葬式に出たことのある人は、経験があるだろう。儀式が執り行われている時は、厳かな気分になって、故人を忍ぶ。しかし儀式が終わってしまえば、そんな気分はどこかに行ってしまう。まして日にちが経ってもその故人を思い出して生活することなど、ありえない。儀式とはそういうものだ。
しかし「平和」は、常に考え、行動することが必要だ。8月6日に「祈れ」ば、ハイそれで終わりというのでは意味がない。そこに儀式への違和感がある。

「平和を祈り、平和を願う」ことは、あの原爆投下は、どういう意味があったのか深く考えることの妨げになってはいまいか。祈ることが思考停止になってはいけない。

渡辺靖さんの最新刊「アメリカのジレンマ」(NHK新書)によると、原爆投下を正当化できると考えるアメリカ人は54%、65歳以上では70%にのぼるという。(55頁 2015年の世論調査)
※もっとも18歳~27歳では47%で、歴史認識の世代間ギャップがあることも同時に述べている。

 なぜ原爆は落とされたのか。それを誘発したのは日本だったのではないか。そして、もっと突き詰めれば、アメリカに宣戦布告して戦争を始めたのは日本だったのではないか。それを主導したのはだれか、なぜ戦争をすることになったのか。考えることが必要だろう。

「それでも日本人は『戦争』を選んだ」を、いまごろだけど読んでみようと思う。そのことの方が祈ることより、価値があると思うから。






2015年8月4日火曜日

「ゆっくり、いそげ」で贈与経済を改めて“確認”する




キリスト教について詳しい訳ではないが、新約聖書の「与えよ さらば与えられん」は、何となく知っている言葉だ。
日本のことわざで言えば「情けは人のためならず」と、言ってしまってはちょっと身もふたもないけど、まあそういうことに通じる。
もう少し高尚に言えば「贈与経済」ということだろう。
「人は与えることによって得ることができる」

「ゆっくり、いそげ」は、「良い本」だ。読むと気持ちが和らぐし、この世の中捨てたもんじゃないと思うようになる。著者は、先日NHKの「news web」にコメンテーターとして出演していたが、語り口も物腰も好感のもてる、しかもアタマのよい人だった。「ゆっくり・・・」は平易でしかも確かな文体で、内容のあることを書いている。一読するに値する。
高校生の愚息に薦めた。

この中に出てくるのが舘岡康雄氏の2冊だ。さっそく図書館で借りてきた。舘岡さんは日産の「軌跡の復活劇」の渦中にいた人だ。

「世界を変えるSHIEN学」では、リザルトパラダイスからプロセスパラダイスへの変化を訴えている。
つまり簡単に言えば、管理、命令、上意下達式の経営から、みんなが考え、アイデアを出し合って、いいものを作る(いい仕事をする)という
ことだ。ちょっと内容に重複感があるが、それなりに参考にはなる。
しかし、コトはそう簡単ではない。実際、日産の復活だって、多くのリストラや下請けへのコストカット要請など、さまざまな要素がからみあって、「復活」した面もある。
単に、「社員の意識が変わって会社が甦った」と言うのはちょっと眉唾かもしれない。

ともあれ、「SHIEN」という考え方はとても重要だし、基本理念は支持したい。

「利他性の経済学」は、少し理屈っぽくて斜め読みしてやめてしまったけど。

2015年8月1日土曜日

木曽御嶽山の「捜索再開」に、あえて異を唱える。+追記

netより「引用」

 57人が死亡し、戦後最悪の火山災害となった木曽御嶽山の事故。先日9か月半ぶりに行方不明者の捜索が再開された。
 昨日1人の遺体が発見されたが、なお5人の不明者がいる。不明者の家族にとって肉親がどうなっているのか、自分の気持ちの整理をつけるためにも早く「発見」してもらいたいと思うのは、ごく自然なことだ。私自身も登山をする子どもがいるし、自分も登る。
 もし何らかの事故に見舞われたら同じ気持ちになるだろう。だから、そうした家族の気持ちを何ら否定しない。人として大切なことだ。
 しかし、それと捜索を続けることは分けて考えなければならない。1人の遺体が発見されたということは、他の5人についても発見の期待が高まる。家族にとっては朗報だ。最後のひとりが発見されるまで、捜索は続けられるのだろうか。

これまでのべ何千人もの人員が投入され、標高3000mを超え、しかも火山灰で埋め尽くされた過酷な条件の中で、捜索は行われてきた。それはすべて「税金」で賄われている。それがはたして「正しい」ことなのだろうか。

netより「引用」
人命は何よりもまして重要だ。生きている見込みがあれば捜索を続けてもらいたい。しかし災害では72時間と言われる生存確率の高い時間を経過した場合、それは、マスコミは絶対そういう表現は使わないが、「遺体の発見」のための捜索になる。
 
 宗教観はひとそれぞれだが、日本人はどうちらかというと「遺体」にこだわる傾向があり、残された家族も「発見」が「けじめ」と感じる。だから行政も「家族の気持ちを組み」「遺体の発見」に多大な人的、金銭的資源を投入するし、そうせざるおえない状況になる。

テレビも大衆紙も企画を組んで、「残された家族の思い」を大々的に伝え、それが行政の方向性すら左右するようになっている。でもそした流れには、何か違和感を覚える。

 行政が何に税金を使うかは、形式的に言えば選挙民選んだ「選良」が代議して決めるのだが、実際は、大くの場合、首長の方針で決まる面がある。首長にとっては「残された家族に寄り添う、やさしいリーダー」というイメージは選挙でプラスに働くだろう。そしてこういうことに対して、注文をつける(文句を言う)ことははばかられるから、ほとんど批判の声はあがらない。

netより「引用」
かくして捜索は冬直前の山が危険になる時期ぎりぎりまで続けられ、そして再開された。だれも文句を言わないどころが、まるで日本国民全員がこの日を待ち望んでいたかのような雰囲気にメディアも静かに「訴える」。

本当にこれでいいのだろうか。今回は「戦後最悪の火山災害」という冠(カンムリ)が付いている。しかし災害による行方不明者はすべてのケースについて公的資源で捜索が続けられる訳ではないだろう。実際海難事故ではある程度日数が経つと打ち切られる。1、2人の行方不明の山の事故は限りなくあるが、延々捜索が続けられる訳ではない。

「火山災害は予測不可能の突発事故であり、その意味では被害者に瑕疵はなく、他の災害といっしょにできない」と言う人もいるだろう。しかしどこまでが自己責任でどこから「災難」なのかなんて手線引きはできない。身もふたもない言い方だけど、運・不運もある。

私はこう考える。生存のみ込みがあるのなら、行政が捜索を続けることに異議はない。繰り返しになるが人命は何よりも大切だからだ。しかし72時間が経過したら、(もちろんもう少し見込んで1週間としてもいいが)、それは「遺体発見」の捜索になるのだから、捜索にかける費用対効果も斟酌して決定されるべきだ。打ち切りも当然あってよい。

残された家族も意識を変えることが必要だ。冒頭に記したように気持ちは理解するが、「カオを見るまでは『死』を信じたくない」という、素朴な思いを乗り越え、現実を受け入れ生きていくことが、長い目でみれば必要だ。それが“遺された人”にとっても責務でさえあると思う。

だから捜索再開には「反対」する。
悲しみの気持ちを乗り越えて生きていく「強さ」が家族にも、行政にも求められている。


追伸
8月6日。長野県は捜索を中止することを決めた。理由の詳細はあまり報道されていないので、わからないが、常識的な判断だろう。
オカシイのはメディアの方だ。捜索再開の時は、多くのメディアで(少なくとも、私が通常見ているテレビの公共放送や築地に本社のある新聞)、「捜索再開を待ち望む家族の思い」を大々的に伝えていた。それも見ている側、読む側が、感度移入しやすいストーリー仕立てで。しかし捜索の打ち切りを伝える報道はほとんどベタ記事だった。
遺族にしてみれば、梯子をはずされた思いだっただろう。
マスコミはずるい。論理の一貫性から言えば、「最後の一人が見つかるまで捜索を!」と主張しなければオカシイではないか。
場当たり的、その時、その時で読者・視聴者を獲得できればいいという姿勢そのものだ。
彼らメディアは「報道とはそういうもの」としたり顔で言うだろう。だから信用されないということに気付いていないのか、分かっているけどやめられないのか。おそらく後者だろうが、火山噴火に散った人々やその家族は「いいネタ」として消費されただけだった。

山をやるものとして、彼ら犠牲者に、合掌。