2015年8月18日火曜日

8月15日が過ぎ「戦後70年」は忘れ去られていく。これでは歴史を深く考える習慣が身に着かない。

メディアによる「戦後70年」をネタとしたキャンペーンはほぼ終わった。8月15日を最後として、おそらくメディアに登場するのはグッっと減っていくだろう。連載記事や公共放送の特集番組はまだ残っているが、それは余韻でしかない。
 「戦後70年」がこうした“お祭り”でいいのだろうか。本当に。節目で盛り上がれば盛り上がるほど、節目が終わった時の反動もまた大きい。これでは歴史を深く、長く考えていくという習慣が、人々に身に着かないのではないか。
 8.6などの儀式に違和感を感じた背景には、そういう思いがあるからだ。

「歴史が『現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話』(E・H・カー『歴史とは何か』)の指摘を待つまでもなく、「現在の視点から不断に解釈する営みが必要」(高橋伸彰さん8.16朝日書評より)なのだ。儀式に埋没して終わってしまうことの陥穽をもっと真剣に考慮すべきだと思う。

花火をブチ上げて、衆目を集め、終われば次のネタに移る。これがメディアの常とう手段だ。戦後70年はメディアによって生産され、短時間で大衆に消費されたにすぎない、と思うのは浅はかだろうか。
結局、われわれは歴史に向か合えたのか。
では、どうしていけばいいのか。正直言って、分からない。しかし、ひとつ言えるのは、あの戦争の「生々しい記憶」を呼び起こすという見方でなく、歴史としてきちんと位置付け、冷静に考えることの方が有益なのではないかということだ。
「戦後70年」報道で目立ったのは、(長生きした人々の証言や知られざる事実の発掘だった。それはそれでいいのかもしれないが、15年戦争(さきごろ亡くなった鶴見俊輔氏の言葉)の冷静な総括や戦後世界の分析はあまりなかったように思う。

○「証言」で秀逸だったのは8月13日に放送された
NHKスペシャル「女たちの太平洋戦争~従軍看護婦 激戦地の記録」だった。
http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20150813

女性は強い。男だとなかなか言えないことをずばっと正確に言うところはすごいと思った。
こういう証言集なら記録に値するし、番組としてもすぐれていたと思う。

→関連の考察を別ブログに記す


0 件のコメント:

コメントを投稿