2015年8月12日水曜日

安藤忠雄は責任をとれ・・・「言い訳」をする人間の精神構造。

かつてこのブログで、猪瀬元都知事ことについて「平気でウソをつく人」だと人間性を問うたことがあった。
何かマズいことに直面するとまず「言い訳」をする性癖の人間は少なからず存在する。その性癖はその人の能力や地位や業績に関係なく、そういう人間はいるのだ。

2015年7月17日 netより引用
新国立(こくりつ)競技場の建設を巡って、コンクリート建築家・安藤忠雄は、そうした人間なのだろう。
7月17日の記者会見で、図式まで用いて、われわれが「選考」したのはデザインであって、コストは「そんなんおカンケイない!」と言いつのっていた。
“世界的”な建築家として、恥も外聞もない「言い訳」だけの会見だった。

しかしどう考えても一流の建築家がコストを無視してデザインのみの「選考」だったなんて信じられるだろうか。デザインを見るだけなら、建築家である必要はない。建築の知識がなくてもセンスのいい人(っていう定義は難しいけど)にお願いすればいいだけだ。

安藤忠雄氏が選考委員長に選ばれたということは建築家として、その実現可能性も含めて考えてもらうというのが、いわば当たり前のことではないのか。

そんな、今回の問題の主犯格に対し多くのメディアは、弱腰の質問しかできなかった。
そりゃそうだろう、彼には多大なお世話になっているテレビ、新聞は多いから。

公共放送では、「プロフェッショナル」何かでも持ち上げいる。それだけではなくニュース企画にもよく登場する。ボクサーかは這い上がった東大教授という物語は、大衆受けするネタなのだろう。

下村文部大臣に指導力がないなど批判も多いが、もともと安倍の顔色伺いしかでない能力の人間だから「批判」しても始まらない。

この項を書いていて思い出したことがある。
サッカーの中田浩二が現役のころ、細かな背景は承知していないが、彼を追いかけまわすマスメディアに対して、「虫けら」と言って、それを記者会見で詰問されたことがあった。

記者は「虫けらとうはどういうことですか」とバカにされたことを不穏当な発言だと言わんばかりに質問した。。中田は「虫けらは虫けら。そういう意味です」というような内容を言って、じっと質問者から視線を話さなかった。この席では以上、「虫けら」について“追及”はなかった(ように記憶している)。

「虫けら」という言葉が良いか悪いは別問題として、中田は自分の発言にある種の責任を持ち、逃げなかった。それは本当の大人の対応だ。自分の行ったこと発言したことについて、自分でその責任を引き受けるのは。

質問した記者はここで論争しても負けると、直感したのだろう。
自分たちのマナーの悪い取材を逆に問題視されることを懸念したのかもしれない。
とにかく、中田は「勝った」。これはこれで立派だ。中田を支持する。

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