2011年8月31日水曜日

会津磐梯山 ああ--どうして天気に恵まれないのか

 いわゆる独立峰は、山麓から姿がはっきり分かり、山の美しさを感じさせてくれる。富士山はもとより、東北で言うと、岩木山、岩手山、鳥海山、そして会津磐梯山などはその代表格だろう。

南側から見た磐梯山(猪苗代町のHPより)

 そして独立峰からは360度周囲を見渡せる魅力がある。このブログの表紙にもある鳥海山からは日本海や庄内平野、そして奥羽山脈の山塊が堪能できる。

 会津磐梯山も、視界良好の山だ。だから是非360度のパノラマを楽しみたい。ルートも比較的簡単で時間もかからない。小学生が「登山」を経験するにはうってつけの山かもしれない。

 磐梯山ゴールドラインにある八方台登山口からは往復で4時間程の登山ルートだ。しかし今回は2回目の“登山”となった。


1回目は4年前子どもが小学4年生の時だ。次第に強くなる雨の中、子どもの運動靴はズブズブになってしまった。危険ということでもでもないが、さすがに疲弊しているところもあったので、途中で引き返した。まあそれもいい経験になった。

山頂より五色沼方面の眺め(引用)

 事故が起きるのは決まって、「折角来たのだから・・・」「ようやく休みをとって来たのだから」という気持ちが判断を鈍らせる。もっともそれは勤め人でなくても皆抱く思いだろう。時間と交通費と宿泊費を使ってわざわざやって来た者にとっては当然の思いだ。
しかし事故はそういう時に起こる。

われわれもこの時は「勇気をもって」引き返した。
そして、今回は山形で朝日連峰を縦走した帰り、“常宿”になりつつある裏磐梯猫魔ホテルに泊まる日に、昼から登り始めた。

山頂より猪苗代湖を臨む(引用)


8月21日。この日も天気が悪かった。雨は降ったり止んだりで山頂などは見えない。日没は18時半頃だが、遅くとも18時には余裕をもって戻れるようにしないといけない。今回は子どもより家人が心配だった。ひと月ほど前に雲取山に登ったとはいえ、ひざが痛くなり通常よりかなり時間がかかった。午後から登山でもしアクシデントが起きると、いろいろ面倒だ。中2になった子どもは重登山靴を履き装備もそろっていて、あまり心配はない。

12時11分、無線機を持って先に妻子が出発。運転してきた私は、あとから装備を整えて10分遅れで追いかけた。
登りは予想以上に調子よく、2時間程で弘法清水の茶屋に到着した。ここから山頂はあと一息だ。
茶屋には皇太子が雅子さんと登山した時の写真が掲げてあった。

 話しはそれるが、奥多摩の雲取山荘にも皇太子の写真が3種掲げてあった。その2つは独身時代にひとり?で登った時のもの。最期のひとつが夫婦で登った時のものだった。笑顔の2人の写真を見ると、「適応障害」だという現在の雅子さんがちょっと痛ましい。


2度目のトライでも天気に恵まれなまった

 山頂からは何も見えなかった。トホホ。記念写真をとって終わりだ。下りは次第に強くなる雨の中を滑らないようにいくだけだ。一般に足を鍛えていないと下りの時にひざを痛める。またスリップするのも下りでた。案の定、家人はもう注意が必要なところは終わって、木道になるというところで、油断したのかスリップて手をついた。手首と肩を痛めてその後2週間、難儀していた。

 会津磐梯山。また散歩がてらに来ようと思う。裏磐梯はのんびりするにはいい所だし。ホテルもほどよく快適だから。





2011年8月9日火曜日

雲取山登山で考えた 首都東京の水源涵養林とペット連れの登山“客”

  
奥多摩から臨む富士山

  2011年7月16日-17日で、東京都の最高峰、雲取山(2017m)に登った。標準時間で上り約5.5時間のコースだ。目指す雲取山荘は、山頂から埼玉県側に少し下ったところにある。北アルプスなどと違い奥多摩、奥秩父には食事を出す営業小屋は少ない。(ここ以外私は知らない) 東京から比較的近くで、北アルプスや八ヶ岳などの同様な2食付の小屋泊まり山行ができるという点では、うってつけの山である。

 来る盛夏に予定している山形朝日連峰の縦走登山に備えて、小屋泊まりでなくても過ごせる装備と水・食糧を持って出かけた。林道脇から始まる登山道はずっと杉林の斜面を横切っていくようについている。


 途中、七つ石小屋に上がっていく途中に木々の切れ間から富士山が見える。そして急登の道を登り詰め七つ石小屋につくと展望が開ける。つくづく富士山は「見る山」だと思う。独立峰の美しい姿は何度見てもよいものだ。(ただし登るとなると、小屋のし尿の臭いがたまらなかった記憶がよみがえってくる。今は違うのかもしれないが・・・。)
雲取山山頂より富士山を臨む



 雲取山の登山ルートや展望については、いくつものサイトがあるのでそちらに譲る。今回の山行で、気になったことが2つあった。


 ひとつは、ペットを連れての登山である。昨年足慣らしに御岳山に行った時もそうだった。御岳山はロープーウェイで上まで上がれるので犬を連れた登山?客を多くみかけた。登山と言ってもハイキング、ちょっと遠出の散歩程度のところだからペット客には登山という意識はないのだろう。あまりいい気はしなかったが、ここはそんなものだろうと思いっていた。

 ところが雲取山という、まあ本格登山の範疇に入るところでもペットを連れている者がいるではないか。途中の登山道にフンがあり悪臭を放ってハエがたかっていた。その時はそれが何のフンかわからなかったが、犬連れに出会って合点がいった。雲取山の登山道は途中すれ違うのもやっとという狭いところもある。かなり大型の犬をつれていた夫婦にも出会った時はかなり驚いた。

雲取山荘はきれいで気持ちの良い山小屋だ

 雲取山荘につくと、そこにも犬をつれた人がいた。夜中、吠えていた。部屋が小屋の表(広場側)でなかったので、安眠を妨害される程ではなかったが、表側の人たちは迷惑だったのではないか。

 それにしても、で、ある。いったい犬を連れて登山するメンタリティーとはどういうものなのだろうか。単純に考えれば、その人たちにとって家族の一員であり、置いてはいけないということなのだろうが、だったら山に来るなといいたい。犬はそれを望んでいるのか。犬を連れていくのに他にふさわしい所だってあるだろうに。

 いわゆる「ペット愛好家」を私は好きになれない。今回の山を始め、様々な場所で遭遇した多くの場合、彼ら彼女らは、自分のペットを最優先に考え、周囲に気遣いができない人が多い。誰もが犬好きだと勘違いしている。


 まだ子どもが幼い時、こんなんことがあった。東京・立川市の「昭和の森公園」に行った時のことだ。ここには芝生があって子どもたちが自由に遊べる。芝生のよさは裸足で走りまわったり、寝転がったりできることだ。こともあろうにペットを連れた輩(年配の女性だった)は、この芝生に平然とペットに小便をさせていた。というより、ペットの小便を制御できないのだろう。さすがに、声をかけて注意した。件の中年女性はそそくさと逃げいった。帰りがけに管理人室にひとこと文句を言っていった。渋谷の代々木公園は、もっとひどい。ここは子どもを遊ばせるところではない。ペット愛好家の無法地帯だ。放し飼いにするのは“当たり前”。彼ら彼女らには人間が目に入らない。湯浅誠さんの言葉を借りれば、要するに「見えない」のだ。見ようとしないものは。(ブログ参照してください)

 山での楽しさやくつろぎを半減させてしまうペット愛好家、どうしても私は彼らを受け入れられない。


間伐された木が放置されている

 もう一つ気になったこと。それは植林地帯の荒廃だ。雲取山周辺は東京都の水源涵養保安林になっている。1000万都民の水がめのひとつ小河内(おごうち)ダムに水を供給する森林である。それが荒れている。日本林業の衰退と植林地帯の手入れがされない荒廃は、言われて久しいが、それを目の当たりにした思いだった。間伐された木はそのまま放置されていた。おそらく運び出す費用が出ないのだろう。それは足で登ってきた者ならば大変なのがよく理解できる。また間伐さえもままなず、密集して植えられた杉があまり育ちがよくなく細いまま林立しているところも多く見られた。


東京都の水源涵養保安林でもある杉林

 もしかしたら「捨てる所は捨てて、手入れをしている所はそうしている」のかもしれない。養生に限界があるのなら、それも仕方ないかもしれない。しかし枝が落とされず(枝打ちをしないとふしが多くなり材木としての価値は下がる)、あまりまっすぐには育っていない杉を見ると、杉そのものがちょっとかわいそうになる。かつて訪れた山形・金山町の民有林の杉は樹齢60年を超すものばかりでその立派さに驚いたことがあったが、東京都の森の杉の「育ちの悪さ」はそれだけに気になった。

 われわれはこの森をどうしていったらいいのだろうか。この問題はもう少し考えてみたい。