2018年1月27日土曜日

蔵王は“残念なスキー場”になり下がってしまった。残念!

「蔵王の樹氷」は知名度はあるのに生かせてない
(netより引用)
  正月を山形の蔵王温泉で過ごした。子どもの受験で2年のブランクをはさみ、3年ぶりだった。スキー人口が減って、どこのスキー場も大なり小なり青息吐息なのは、ご承知のとおりだけど、「Mt.6」の一角、樹氷を誇る蔵王は、他のスキー場に比して、「じり貧度」が更に増しているように感じた。
 
 八方やニセコ、志賀高原、野沢などは、豪州や東南アジア、韓国、中国からのスキー客を取り込む努力をして、なんとか持ちこたえている。八方尾根スキー場などは、レストハウスにいるとここは日本かと思うほど、中国語、オージーイングリッシュなどが聞こえてくる。
 
風情ある温泉街 私は行かないけど(netより引用)
  東北人の気質のせいなのか。(サービス精神があり、接客に向いているという人々ではない)それとも戦略不足なのか分からないけど。
 
 蔵王温泉の宿泊施設で一人勝ちしているのが「高見屋グループ」。純日本風の温泉宿から、かつて防衛省の保養施設だった豪華宿泊施設を買い取って運営している高級リゾートホテル風施設、団体向けの比較的安価な宿など数多くの宿を運営している。しかし高見屋以外は苦しいところが多いように見えた。特にスキー場の昔ながらの「ロッジ」はいつの間にか営業をやめて空き家になっているところが目立った。(上の台ゲレンで前など)。
 宿泊予約をネットで検索すると、正月3が日でも結構空きがあったのには驚いた。

スキー場は広くて自然を満喫できるのに
スキー場のレストハウスもじり貧だ。来客が減るとコスト削減でメニューを減らす。また従業員も減らすのでサービスも悪くなる。ありていに言えば、悪循環=負のスパイラルに入ってきたように見える。蔵王温泉観光のwebsiteでは、それぞれのレストハウスの“売り”のメニューを掲げているけど、実施には営業していないところもあったりした。(ダイヤモンドゲレンデ)

 実は蔵王には、かなり昔からジャンプ台がある(70m級=今の言い方だとノーマルヒルに当たるのかな)。女性のスキージャンプが近年脚光をあびて、蔵王でもワールドカップが開かれるようになった。スポーツニュースでも取り上げられ賑わっているように見えるが、ジャンプのワールドカップくらいではあまり客足に影響しない。第一、蔵王のジャンプ台には観客席なるものがなかった。(少なくとも筆者が山形に住んでいた1990年前後は)。また、ジャンプは見る人は(多少は)いても一般観光客でやる人はいない。ゲレンデスキー(アルペンスキー)が楽しめなければスキー場は賑わえない。

 バブル時代に新設された黒姫ゲレンデも黒姫第4リフトが「廃止」になっていた。かなり前から平日は駐車場は無料だ。90年代は土日に駐車場に入るのに2時間もかかったというのがウソのような変化だ。

 と、前置きが長くなったが、今回の蔵王で一番残念だったことを以下に記す。「ぷうたろう」というペンションは、かなり昔からある老舗の宿だ。宿泊したことはないが山形ではちょっとは有名な宿だ。場所も横倉ゲレンデのすぐ前にあり、立地もいい。(蔵王ではちょっと離れたところにペンション村がある)。

 スキー場のレストハウスが貧弱なので、ぷうたろうのランチでも食べようと入った。4人席に案内されたけど、実はこの時からちょっとヤナ予感がしていた。10人ほどの子ども連れの集団が2組あり、まだ食事が出されていなかったからだ。でもテキパキ働く(ように最初は見えた)女性がいたので、まあ食事も出てくるだろうと勝手に思ってしまった。ところがそうではなかった。
 
 30分待っても何も出てこない。40分すぎてようやく1品ずつ食べ物が出てきた。余りにも時間がかかりずぎる。ぷうたろうの食事は結構評判でそれなりにおいしい(らしい)。実際、スキー場のレストハウスで食べるよりははるかにいいけど、余りにも時間がかかることには怒りを覚えた。

 何がいけないか。
 店はなるべく売上を上げるべく(当然だろうけど)、お客を拒まない。しかし明らかに処理能力以上の注文を受けて、食事が供給できない事態になる。彼らには、「込み合っていますので、お時間がかかるかもしれませんが・・・」などと言う度量がない。明らかにスキーの格好をした客は、スキーをしに蔵王に来ている。それなりの食事もしたいけど、滑る時間もおしい。遠方から来る客はなおさらだ。

 何日も滞在する時間的、金銭的余裕がない人が多いだろう。我々もそうだ。限られた時間の中でいわば効率よく過ごしたい。でも「ぷうたろう」のスタッフにはそうした客への想像力がない。注文は受けるだけ受ける。残念は人々だ。こうした行為が、少なからず蔵王に足を向ける人を減らしていく。

 少なくともぷうたろうに、また蔵王に「また行きたい。また行こう!」という気にはならないだろう。他に選択肢がないならともかく、Mt.6 他にもスキー場はたくさんある。
単なるひとつのペンション食堂の振る舞い行為に過ぎないけど、それは蔵王温泉全体の印象につながっていく。蟻の一穴という言葉かあるけど、そういうことだ。ぷうたろう自体は、蔵王温泉で勝ち組なのかもしれない。しかし日本のスキー場全体の中で負け組になりつつある蔵王で、いくら勝ち組になったとしても、それはいわゆる「井の中の蛙」ということでしかないだろう。何年か先、この建物も、上の台ゲレンデ前のロッジのように空き家になってしまう姿を想像してしまった。悪いけど。
 
 かくして蔵王スキー場は、じり貧が続くだろう。このままでは。旅行業者は、常に客の反応をアンケートなどで収集し、評判のいいところに誘導する。スキー客の奪い合いの中ではそうしたマーケティングは当たりまえのことになっている。評判を落とすような行為はアンケートを通じて旅行業者に伝わり、新たな客には薦めなくなる。なぜなら旅行業者にとっても客にリピーターになってほしいから、評判のいい所から紹介していくのが当たり前の行為だ。

 「ぷうたろう」について言えば、1時間余り観察した限りでは、地元・山形の常連客が多いようだった。店の人の挨拶のしかたでわかる。またお酒の種類が豊富で昼間から飲む人向けの店だ。それでこれまでやってきたのだろう。我々のような一見さんはお呼びでなかったみたいだ。まあ今は常連で成り立つのならそうれでやっていけばいい。
 
 でもその常連客も人口減の中でやがて減っていく。店の人々は懸命に働いていた(と思う)。けど、それはその場しのぎ的でしかなかった。将来的に安定的にリピーターを増やしていく行為にはなっていなかった。「残念な店」だ。せっかくおいしい店なのに。


(追伸)
 テレビ東京の「街応援番組」で、先日、野沢温泉を取り上げていた。野沢も言わずと知れたMt.6の大スキー場だ。(30年以上も前の年末に、それも記録的雪不足の時に行っただけなので、実感としての記憶がないけど。)でも温泉街には外湯があり、蔵王と似た雰囲気だ。テレビ番組を見ていて、涙ぐましい努力がなんとなく伝わってきた。地道にしかし小さな積み重ねで、雪と温泉を楽しみにしている人々を内外から集めようとしている(ように見える)。テレビ番組の「切り取りの事実」であることを差し引いても、蔵王よりはマシだ。

 蔵王は地理的に不利だ。新幹線があるとは言え、長野県の野沢、八方、志賀高原の方が首都圏から行きやすいのは明らかだ。でもニセコのように飛行機を乗り継いで、しかも空港から更にバスで3時間かかるところでも人が集まることを考えると、努力不足が否めない。


2018年1月20日土曜日

ふざけんなJR東日本 列車を動かすことに固執し、乗客をないがしろにした

JR東日本・新潟支社 指令室
▽現場の列車運行係
「閉じ込められた乗客も疲労を増しています。まず乗客を降ろしてあげることを優先させましょう」
▽列車の運行責任者
「列車の運行はどうするんだ。信越線を利用している乗客はほかにもたくさんいる。朝の通勤・通学時までになんとかダイヤを正常化するのが第一だ」
「乗客は列車の中にいりゃ安全なんだ。トイレもあるんだろう」

 という会話が交わされたかどうかは知らないが、かくして、JRは、除雪車を動かすことに固執して、430人余りの乗客は15時間以上も満員の列車に閉じ込められた。中には立ったままの者も大勢いた。

 年明けの11日の夕方、新潟・三条市のJR信越線で、4両編成の普通電車が積雪のため動けなくなり、乗客約430人が車内にマル一昼夜閉じ込められた「事件」。余りにも官僚的なJRの対応にちて怒りが収まらない。

 昨日のニュースでJR東が三条市のバスの提供の申し出を断っていたことが報道されていたが、この事実に象徴されるように、JRが自分たちのメンツを最優先に行動していたことは、明らかだ。
 これまで報道されてきた経緯から、JR東は、乗客への配慮より列車を動かすことが最優先にされてきたことが分かっている。会見では除雪車の到着が翌日の午前10時前後になったことからも、それまで他の手段を考えることをしなかっことがうかがえる。
 100歩譲って、予想しえなかった積雪で列車が立ち往生したこと。通常の除雪でなんとかなると見通しが甘かったことが“許容”するとしても、その後の行動は、あまりにも官僚的、大組織的でしかなかった。
 
 おそらく列車の運行責任者=それがJRの現場のたたき上げなのか、キャリアなのかは知らないけれど=のアタマの中には列車の定時運行、今回の場合はとにかく立ち往生した列車を一刻も早く動かし信越線を正常ダイヤに戻すことしか考えていなかったのだろう。それが運行責任者にとって一番「正しい」職業的判断であり、そういう組織だからだ。運行責任者が想像したのは、乗客が救出されるシーンではなく、コトが終わった時に、上司に「列車の定時運行に向けて最大限努力しました」と報告する自分の姿だったのだろう。
 鉄道会社にとって定時運行は命より大切な掟だ。それはJR西日本・福知山線の大惨事でも明らかになっている。乗客の安全よりも定時運行が最優先される企業風土だからだ。
 除雪にあたった現場の鉄道員。除雪車を一刻も早く現場に向かわせようと努力した鉄道員。現場の人々は自分の業務として、おそらく懸命に努力しただろう。そこに悪意はなく、むしろ自らの努力を誇っているかもしれない。しかし今回の事件全体を俯瞰すると、その努力は「乗客のため」にはなっていなかったということだ。
 
 運行責任者には想像力がなかったのだろう。通勤・通学帰りの乗客が立ったまま列車に乗っていて、何時間も待ち続ける姿を。現場からの「暖房・トイレはあります。飲料水の適宜配給しています」という報告を受けて、乗客は安全に確保されている。ヘタに動かしてケガ人でも出れば、どんな批判をうけるかも分からない。そのままにしておいてよい、と。

 日本の(大)組織、特にお役所にはひとつの掟がある。それは「決められたことを守る」ことが正しい職業的判断だという。JRは言わずとしれは元国鉄。中央省庁と同様にキャリアとノンキャリがいる「官僚組織」だ。アタマのいい社員たちは常に上司がどう反応するかを念頭に行動する。そういうところだ。
 
 良く言えば、上意下達の規律が整った、統率された組織だということなのだろうが、柔軟な対応はいたって苦手だ。それは組織人として規律を破ることであり、職務に忠実は行動にはならないからだ。どうしてそういう組織になったのか、国鉄時代の組織を見ればわかるだろう。戦後、就職難の時代大量に採用した現場労働者。強い組合。鉄道を動かすには、「規則」を大量に作り、労働者を規則通りに動かす・働いてもらうほかなかったからであろう。
 (この話を書きだすと長くなるので、やめる)

 それにしても、今回の事件で乗客の皆さんの反応が、なんて優しかったことか。出てくる話は「席を譲りあった」などの美談が多く、あからさまに怒りをぶつける人の報道は見当たらなかった。これを新潟人の美徳と見るか、お人よしととるかは別として、もう少し「怒った」方がよかったんじゃないの。でないとJR東の人間は、きっとこう思うだろう。
「ほら。乗客は従順だ。列車内で待ってもらって安全でよかった。マスコミの批判は過剰だ。」だって「ぜんぶ雪のせいだ」だもん。と。