2012年3月28日水曜日

普天間基地問題を袋小路に追いやっているのは報道だ

(2月下旬に書きかけの文書を1カ月遅れでUP)

もう5年程前になるが、夏休みに子どもをつれて沖縄のリゾート地に遊びに行った際、時間をとって嘉手納基地の見える、いわゆる「安保の丘」(今は記念館のような建物の屋上から眺める)と、普天間基地を見渡せる公園に寄って、小学4年生の息子に、沖縄の現実を説明した。美しい海岸で遊べるのも沖縄。一方で基地と向き合って生活する姿も沖縄であると。

沖縄の在日米軍・普天間基地の移転問題は、袋小路に入っている。難しい問題だ。しかしそうさせた一因の大きな一つは新聞やテレビのマスメディアだ。
野田首相が総理として初めて沖縄訪問をした翌日の新聞各社の社説の主張は真っ二つに割れた。
各紙の社説の見出しはこうだ。
○朝日:負担軽減を早く確実に
→辺野古断念を主張し、米軍再編の見直し策を練ろと主張。しかし“どこに”とは巧妙に言及を避け、負担軽減を早くと主張する。
○毎日:「辺野古が唯一」は無策
→辺野古断念を主張しするが、「移転先がどこになるにせよ」という言い回しで、その先のことは知らぬふり。
○東京:謝罪では普天間返らぬ
→辺野古断念と、海兵隊の沖縄駐留が「抑止力にならない」と主張。(ということは、海兵隊の抑止力そのものは認めているということか)。移転先は「国外・県外移設の提起を決断すべき」と主張。

………………………………………………………
○読売:関係改善テコに普天間進展を
→これまでの政府の対応を批判しつつ、民主党沖縄県連と政府・民主党の考え方のズレを指摘。その是正をして普天間の危険回避のため、辺野古移転を支持。
○日経:「普天間」でもっと手を尽くせ
→読売とほぼ同様の主張。党内意見をまとめる努力、辺野古が「最善」との説明にもっと努力せよと主張。
○サンケイ:普天間移設さらに努力を
→鳩山、菅のおバカ政権に比して野田首相は努力している点を評価。その上で、辺野古案を進めるよる主張。

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A・M・T 各紙は、辺野古は実現不可能、「県外に探せ」という。しかし沖縄県外とはどういうことか、小学生でもわかる、それ以外の県に「迷惑施設」が来るということに他ならない。この新聞たちは、おそらくどこが候補に挙がっても、その地域が「迷惑している」ことを記事にするだろう。それ自体は部分的に正しいとしても、そうした「主張」によって“世論”が形成され、結局、政府が何も事態を動かすことができずに、更に袋小路に入っていく。

普天間の危険性や沖縄米軍基地の負担軽減は、いわば当然のことで、この日の社説でいまさらそれを主軸に論を展開するのは、実は何も言っていないに等しい。沖縄に寄り添った主張のポーズを示しているだけだ。

「米軍基地は必要ないから廃止し、普天間を返せ」という主張なら、(それが正しい認識かどうかは別にして)論理は一貫していて、筋は通っている。しかし移転先に言及しない、「どこになるにしろ」とか「県外へ」という主張は、欺瞞に満ちている。
この3紙は、米軍基地が、どこにどの程度必要であり、どうするのがいいのか、「わが社」としての主張は曖昧にしながら、ただ、中央政府の動きだけを批判する。あまりにもご都合主義の主張だ。これぞメディア版ポピュリズムだと思ってしまう。

沖縄の地元の方々や地場のメディアが、「基地は県外に」と主張するのは理解できよう。どこでも地域の論理はあるし、それ自体否定するものではない。しかし少なくとも全国紙としては、地元の意を斟酌しつつも、大局的な主張がなされてもいいのではないか。そうでなくては「全国紙」の存在価値はないし、読者として講読する意味がない。

在日米軍の規模が適正なのかどうかを、きちっと論じているのは、琉球大学の我部政明教授くらいしか知らない。(「世界」2012年4月号『限りなく実効性の低い米軍再編見直し合意』 )
我部氏の緻密な分析は、(素人には理解がちょっと難しい面もあるが)説得力は感じる。その我部氏さえも、「米軍は必要ない」とは言っていない。

沖縄に「米軍基地は全くいらない」という主張をする人は、きょう日ごく少数派だろう。軍隊が嫌いな人でも、中国の太平洋での動きや北朝鮮問題を考えると、程度の差はあれ、「やはり最低限は必要」という思いを抱いている人がほとんどではないのか。

新聞各紙の主張も、こうした「やはり米軍は必要」という空気(この言葉は嫌いだが他に適切な表現が思いつかない。)を読んだ背景がある。そこが朝日、毎日、東京各紙のズルいところだ。
どういうご主張をしようと、それはご自由だが、そうした態度こそが読者を失っていく契機になっていることを忘れない方がいいだろう。

翻って、Y・N・Sの各紙の主張する「辺野古」が「最善」という主張にも、ナチュラリストとしてはちょっと違和感も感じる。はたして「最善」なのかどうかは分からない。しかしこの3紙は、これまでの政府と米軍の交渉の経緯を踏まえた上で、論理の一貫した主張を行っている。その意味では、「「信頼に足る」主張だと言える。



朝日

毎日

東京

読売

日経

サンケイ




2012年3月26日月曜日

消費税増税反対派に、なぜ「増税しない選択」でどうやって国を運営していくか聞かないのか

消費税の増税法案の、民主党内の議論が進まない。増税に反対または慎重な議員が多く、もう何日も「議論」しているのに了承を取り付けられないことは、日々の新聞・テレビの報道で周知のことだ。
この件に関しての、新聞報道(テレビは全部見ている訳ではないのでわからない)に、私は「苛立つ」。
どの新聞も「政局」として伝えるだけで、反対派、慎重派に対しての増税議論への突っ込んだ取材を行った形跡が、ほとんど伝わってこないのだ。
今回の消費税増税について、確か朝日も読売も毎日も、そして日経も、温度差はあるにしても概ね「賛成」の意を社説で説いている。それは常識的な判断だ。
であるなら反対派の議員に対して、「反対する理由」でなくて、「消費税を上げない選択肢」で、どう国を運営していこうとしているのか、聞くべきではないのか。また「景気が回復してから」という議員に対して、「非ケインズ理論」をどう考えるのか、聞くべきではないのか。
少なくとも政府や民主党執行部は、それが「十分ではない」という人はいるにしても、「なぜ消費税が必要か」について、国民に「説明」している。
反対したり、条件を厳しくする主張をする議員に対して、十分な説明を求めるのは、メディアが当然行うべき報道なのではないか。
それを行なわないメディアが不思議でならない。薄っぺらな「政局」報道だけが紙面を飾っている。

ここからは想像だが、民主党を取材し、記事を作っているいのが、どの紙も「政治部」だからなのだろうか。反対の理由は聞けても、経済のもっと突っ込んだ質問自体が出来ないのだろう。できないというのは、「資質として」と「他の部の領域に遠慮して」の2つの意味がる。一線の記者にとって、普段から付き合いのある議員を「怒らす」ことは聞けないし、また、経済部の守備範囲を侵すようなことは、組織の中でできない。
藤井裕久氏 79歳の信念には敬服する。
しかも方向性は間違っていない。

そんな事情の中で、消費税の増税議論は、反対派、慎重派のほとんど予想のつく「反対理由」という中身のない報道しか見えてこない。
政治部記者は「政局」を、お祭りとして楽しんでいるだけなのか。紙面からはこの国の財政をどうしていくかという切迫感は伝わってこない。こと、このことに関しては、「経済部頑張れ」だ。
内田樹さんなんかが、よく「報道の劣化」について書いておられるが、ホント、そう思う。苛立ちは消えない。


2012年3月23日金曜日

休日の半日を本屋で過ごす。書店はタイヘンだ。

春分の日(3月20日)、午後から神田・神保町の三省堂に行く。本屋にはよく行くが、じっくり長時間過ごすことは意外に少なくなってしまった。たまには腰を据えて本屋に行くのもいい。

批評家の東浩紀氏が本屋について新聞に書いていた。(日経2月6日「半歩遅れの読書術」)
▽リアル書店にほとんど立ち寄らなくなった。利用はもっぱらオンライン書店。
▽ いまの書店の棚が息苦しく感じられてならない。
▽ 書籍新刊発行点数は1990年代に急速に上昇。 90年4万点弱だったものが2000年には7万点まで迫る。(現在は7万5000点)
▽ しかし市場の拡大を伴っていない。90年代半ばを頂点として出版の市場規模は右肩下がり。
▽書店の棚がますます新刊、それも売れない新刊に埋め尽くされている
▽ 古典の文庫や教養系新書の棚は確実に小さくなりベストセラーに譲り渡されている。
▽ リアル書店はいまや新刊のフローに呑み込まれ教養のストックとして機能しなくなっている。
▽ 書店はかつて広大な知の宇宙に通じる夢溢れる扉として機能していた。その機能を回復しなければ書店文化はコンビニとレンタルチェーンに呑み込まれ消えざるをえない
というのが趣旨である。

三省堂書店 神保町本店
確かに、どこの書店も常に「新刊」と最新雑誌、はやりの本が多くを占めるようになっている。しかし、神保町の三省堂本店や新宿紀伊国屋(南店)、丸の内の丸善などは、売り場面積が広大で、まだまだ、「古典の文庫、教養系の新書」もけっこう置いてあり、それなりに選べる余地はある。ただ、文庫も新書も「読み物」や「ハウツー本」が多くを占めていて、それ以外の本はちょっと肩身が狭いとうのは否めないが。

東氏の言うように「リアル書店はいまや新刊のフローに呑み込まれ教養のストックとして機能しなくなっている。」というのは、多くの人が感じることなのだろう。

三省堂本店4階は、社会科学系の本が置かれているところだ。レジの前は、企画コーナーになっていてる。吉本隆明が亡くなった直後ということもあり、さてどうなっているか、少し楽しみだった。

「吉本」本は意外に少なかった。日曜日の新聞書評欄でも吉本の著書は「品切れ」が多かったが、この状況から察することができるのは、吉本はすでに過去の人になっていた、そして彼の著書はあまり「古典」として認知されていなかったということなのだろうか。

この日の企画コーナーのメインは、やはり「震災1年」だった。原発関係の本が数多く並べられていた。印象としては対談本、共著などが多く、粗製乱造の感はちょっと否めない気もした。いくつか手に取ってめくっては見たものの、どれも買う気にはなれなかった。印象でもそれほど人が集まっている感じではなかった。

企画コーナーを「売れる」コーナーにするのか、それとも「志」のコーナーにするのか、良識ある書店にとっては悩ましいことだろう。少なくとも三省堂本店4階は、後者のように思える。

いま本の返品率は4割だという。(3月12日読売「耕現学」返本率4割 改善なるか」)
10冊仕入れた本のうち4冊は売れずに返される。この事態はなんなのだろう。

読売のコラムの要旨
▽出版科学研究所によると2011年の返本率は、書籍37.6%、雑誌36.1%。書籍は1990年代後半から40%前後で推移。雑誌も2007年から35%を超えている。
▽委託販売制度は、新刊書籍が書店に届いてから3カ月半の間に売れなければ「取次」(卸業者)に返品でき、仕入れ代金が書店に全額戻るシステム。
▽出版社は返品本の一部をきれいにして注文に応じて再出荷するが、それでも売れ残った本は倉庫費用がかさむので廃棄される。
▽委託制度は配本で重要な役割。書店は売れ残りのリスクに悩まなくてよく、零細出版社や無名の著者の本も店頭に並び、日本の多様な出版環境を支えている。
▽しかし書籍、雑誌の販売額が96年をピークに減少に転じると制度の弊害も目立つように。
▽出版社は売上減をカバーするため出版点数を増やしたいが、粗製乱造でますます返品が増える悪循環に陥る。
ほか、委託販売制度の歴史や今後の改革案等も併せて記されているが、割愛。

出版を取り巻く、出版社・取次・書店の状況、そして東氏の思い。日本の「書籍」は今度どうなっていくのか、本屋で過ごしながら、ちょっと心配になってしまった。
「書籍はアマゾン.comで買えばいい」なんて、安易には同意できない。しかしかといってこれほど出版点数が多いと、書店の棚から「新発見」することも、なかなかタイヘンだ。
そう読書家でもない、テキトーな私のような人間にとって、新聞や雑誌の「書評欄」が頼りだ。しかしこれにもしばしば裏切られることもある。

人生の限られた時間、どれだけ自分にとって有意義な本に巡り合えるか、思考錯誤が続く。

三省堂4階の企画コーナーに並ぶ原発関連本、そのほとんどすべては「反原発」「脱原発」だったが、結局「買いたい」と心が動いた本はなかった。結局、原発関連で購入したのは、いくつかの書評で見ていた「『脱原発』の不都合な真実」(新潮新書)だった。

原発に関して様々な人の言説よりも、客観的なデータに触れて、自分のアタマで考え、判断することの方が、特にこの問題に関しては重要だと思った。

この日、他に買った本。「四字熟語で読む中国史」(岩波新書)・・・今読んでるが率直に言って余り面白くない。でも我慢して「字を目で追っている」。




2012年3月20日火曜日

走ることについて語る④「平常心のレッスン」から学ぶ 呼吸とリズム

普段、「人生訓」や「生き方ハウツー」本は買わない。はやりのタイトル「**力」本などは見向きもしない。(というのは大げさで、実際はちょっと立ち読みしたりするが・・)。
小池龍之介さんは朝日の夕刊に時々コラムを書いていて、ちょっと興味と持った。「平常心のレッスン」(朝日新書)は、著者の「東大教養学部卒の僧侶」という経歴から思わず買って読んだ。

Wikipediaによると、学生結婚と離婚歴、家庭内暴力や女性遍歴など、そう褒められた生き方をしてきた訳ではなさそうだが、そんな経験を経てたどり着いた「境地」が記されていると思えば、素直に読める。

たまにはこういう書籍もいいもんだと思うようになったのは年取ったということか。それとも謙虚になったということか。
この本は、いくつか「走ること」に役立っている。ヘタなランニングハウツー本よりは、ずっとましな指南書になっている。


いわゆる「相談」というのが、すでに自己決定していることの「確認」として機能するように、ハウツー本を読んで感じることは、実はすでに実践していたり、考えていたことの確認として意味を持つ。
「平常心のレッスン」も「自己確認」として読んだ部分と「新たな知見」として学んだ部分がある。

○「平常心のレッスン」から
▽仏道とは、一言で言うなら苦しみを減らす方法。 四苦=生老病死(しょうろうびょうし)や「一切皆苦(いっさいかいく)」など釈迦は言葉を換えながら生きることの苦しみを教え、その苦しみの仕組みを見抜くことで苦しみを減らすのが仏道の修行の目的。

→「生きること」を、そのまま「走ること」、「泳ぐこと」に置換する。走り始めた当初、走ることは結構苦しかった。以前から泳いでいたので、いわゆる息が上がるということはなかったが、足の筋肉の痛みという物理的な苦しさと、走りながら「なぜ、痛みに耐えてまでオレは走ろうとしているのか」と、自問自答することの苦しさが混ざり合った「苦しさ」だった。

WEB上より引用
「苦しみの仕組みを見抜く」とは、身体的には鍛えられていない筋肉や関節がどうなっているかを知ることであり、「なぜ」については、結局はひと言で言うと「老いを恐れている自分」であることを自覚することだった。

▽瞑想修行を続けていると、最初は苦手意識が消えるのが一時的でしかなかったのが、徐々に継続的、持続的に消えたままになる。瞑想修行はその意味では、記憶の呪い、過去というカルマから解放されるレッスンだと言える。
→苦手意識というのは非常にやっかいな代物だ。学習、人、スポーツ、あらゆるものについて回った「経験」である。走ることの利点は、自分のペースで行えること。もちろん仲間を作って楽しく走っている人たちはいるが、自分には向かないと思っている。(まあこれも「苦手意識」なんだろうか。)ひとりで走っていれば、苦しみから逃れることも、誰にも気兼ねなくできる。でもそうしなかったのはなぜか。ひとりで走っているうちに、苦しみ=苦手意識というカルマから解放されたのだろうか。

▽歩く瞑想 足の感覚に意識を集中する。
▽坐禅で呼吸に意識を集中する理由。 呼吸は無意識に行っていることがポイント。
→「呼吸」という無意識で行っていることに、意識を集中させるというのは、走っていると自然にできるようになる。ランニングでは実は「走ること」も無意識で行っている。人間の基本動作であるが故に意識しなくても走れるから。そこを意識して、リズム、足の運び、フォーム、など様々なことを考える。しかしこれは意識すればするほどやっかいだ。これでいいのかと迷いもまた増幅するからだ。
しかし呼吸を整えること、走りに一定のリズムを持たせることだけは分かる。

この年になると、泳ぐことも走ることも、スピードを早めることはなかなか難しい。自分の呼吸が乱れない速さは自ずと決まってきてしまう。ちょっと無理をすると、「呼吸」が乱れて、続かなくなる。
しかし距離を伸ばすことは、少しずつだが何とかなる気がしている。疲れを残さずに泳いだり、走ったりする距離は、実際少しずつ伸びてきた。
水泳はようやく2㌔を越した。いまはもう少し泳ぐ。走ることもここにきてようやく20㌔の壁をちょっとだけ乗り越えた。でもサボるとまた戻ってしまうだろう。ようやくハーフマラソンの完走が見えてきた程度だ。フルマラソンへの道はまだ遠い。

2012年3月16日金曜日

吉本隆明は、そんなにエライのか。彼はルサンチマンの虜囚だ。

「共同幻想論」を“買った”のは確か、大学1年の時だった。すでに30年以上の時が経っている。数ページ読んで、ほとんど理解できずやめてしまった。いまこの本がどこに置いてあるか思い出せない。ただし捨ててはいないと思う。
吉本はすでにこのころサブカルチャーに傾倒していたように記憶する。いくつかの雑誌(朝日ジャーナルだったかな)で、彼の変節を揶揄するコラムなどが載っていた。いずれも細る記憶の中のことであるが・・・。

小熊英二氏が確か「民主と愛国」の中で、吉本を批判していた。彼のトラウマといも言うべき米沢時代の体験をとりあげ、それが彼の主張にどう影響したかを記している。吉本が批判した宮本顕二、丸山真男といった「知識人」はアジア太平洋戦争の戦前、戦中からの人だ。吉本は戦後にデビューした人間。後の時代の者が前の時代の人間を批判することの「ルール違反」を指摘していたと思う。具体的な話で、けっこう興味深い内容だったが、忘れてしまった。でもここは、吉本が死去したニュースに触れたのを機に読み返してみたい。
吉本隆明は、丸山真男を痛烈に批判して、新左翼学生運動家の強力な支持を受けたが、その丸山について、歴史学者の入江昭氏が、中央公論2012年4月号で記している。「半世紀前のハーヴァード、知識人の小さな共同体」。
高坂正堯と丸山真男、右と左、現実主義者と理想主義者という全く思想の違う2人が、熱心に議論したことなどが綴られている。

ハーヴァードの入江氏や東大の丸山、京大の高坂などの「知識人」は考えは違ってもある意味で「サロン」を形成している人々、換言すればいわば恵まれた人々だった。(のだろう。)そんな雰囲気が入江さんのエッセイからも伝わってくる。
吉本にすれば、それは嫉妬の対象でしかなかったのではないか。彼もまた「ルサンチマンの虜囚」であったのだ。そして彼を熱烈に支持した学生運動活動家も同じ気持ちだった。対象は共産党の宮本であり、学生運動に理解を示していた丸山でもあった。思想の立ち位置は関係なく、ブルジョア批判として、吉本の言説は存在した。
晩年、彼がサブカルチャーに「理解を示し」たのも、ブルジョアジー知識人への対抗意識ととれるのではないか。
今日の新聞、テレビでは、あいかわらず「紋切り型」の報道が続いている。死者への敬意ということでは、一次報道としてはそれでいいのかもしれないが、もう少し引いた「評伝」を読みたいと思う。後日、各紙の夕刊文化欄に載ることだろう。

(余話)
入江昭さんの「歴史を学ぶということ」(講談社現代新書)は、私が感銘した書籍だ。
後書きで、オスカーワイルド 戯曲「ウィンダミア卿夫人の扇から次の言葉を引用している。
「将来に向かって生きようとするものは過去に向かっても生きなければならない」
歴史学者のすぐれた知見に学んだ思いだ。




2012年3月15日木曜日

放射能と食品添加物 リスクをどう考えるか



食品の放射能の問題を考えていて、ふいに以前読んだ書籍を思い出した。
「食品の裏側」はなかな興味深い本である。単に食品添加物の「怖さ」を煽る本ではない。元食品添加物のセールスマンが、様々な添加物について丁寧に説明し、どう付き合うが導いてくれている。
興味深いのは「味は科学的に作り出せる」ということだ。特定のフルーツの味を添加物だけで作り、それを主婦に食させる実験の話が面白い。全員が、添加物だけで作ったとは分からなかった。また、うどんを打つのが大変になった手打ちうどん屋に、軟化剤を売り込んだら、もうその誘惑から抜け出せなくなったという話しも出てくる。(記憶で書いているので、ちがったらすみません。)

いずれにしろ、ふつうの生活をしてる私たちは食品添加物から絶対に逃れられないということだ。おそらく農薬も化学肥料も同様だろう。それは、確かに「リスク」である。健康被害もあるやもしれぬ。しかしそのリスクをどの程度と考えるかは、人それぞれであろう。そういうことを踏まえて、少し気を遣いながら日々生活をしているのがフツーの人ではないのか。

実際この著者も、。出張に行く途中で買う弁当にはかならず添加物は入っているのだから、添加物入り食品を過剰にならないように注意しながらも食べていると書いていた。


先日テレビで「放射能の影響はゼロでなければだめだ」と、訴えていた主婦のインタビューが放送されたいた。しっかり見てはいなかったので、どういう文脈での発言かは定かでないが、子どもへの影響を心配していたように思う。
こういう方には、放射能以外のリスクの情報もきちんと教えて差し上げて、絶対安全な食品を食べるようお勧めしてあげた方がいいだろう。食品添加物、農薬、化学肥料を「ゼロリスク」にして、生活するには、すべての食品を自給自足で賄う必要があると。いやそれでも大気中のダイオキシンの心配もある。空気も作り出す必要があろう。コストだけでなく、手間暇がたいへんだ。とてもサラリーマンにはできない。

食品の放射能の基準を4月から厳しくすることが決まっている。しかしどんなに厳しくしても、「信用できない」と言う人はいる。どうにもならない。新聞テレビの報道も、「国は明確な基準を示せ」と急き立てるが、実際「基準」を示すと、それに不安を覚える人のコメントを載せ、疑問をなげかける。
たから基準などいっそなくていいのではないか。どのくらいの量の放射能を食品から摂ると、例えばガンではどのくらいのリスクがあるのか示せばよい。喫煙の20分の1とか、肥満の30分の1とか言ってくれればよい。それをリスクと考えるかどうかは、消費者が判断することだ。

だって、どんなにお上が基準を決めても、かならず不安を訴える人、マスコミはいて、この国では「ゼロリスク」以外受け入れないのだから。

最近はあまり見かけないが魚介類に含まれるPCBの量について、厚労省が1年に食べてよい許容量を示した例があったように思う。トロをたくさんたべるか、少しにするかは、その人が判断すればいいことだから。(きちっと調べてみよう。この項を書きながら思い出した)

走ることについて語る③ ストイックということについて

走ることは、ある面非常にストイックだ。スキーや登山、また水泳やテニスなどポピュラーな運動では、腹が出ている人は、まあよくいる。が、走る人ではいない。
出腹を引っ込めようと走り始める人はいても、基本的に走る(ある程度の距離)ためには、腹は出ていられないのだ。ポピュラーな市民スポーツでこれほどストイックな種目は他には思いつかない。

金哲彦さんの著書だったか、体重が1キロ落ちるとマラソンのタイムが3分縮まると書いてあった。フルマラソンで3分が正確かどうかは分からないが、走り始めて分かることは、体重が軽い(つまり余計な脂肪分がない)方がラクに走れるし、気持ちがいい。

だから走る人は、おそらく例外なく体重管理に気を使うようになる。つまり食事に気を使う。それまでと同様の食生活を送っていても、ある程度は体重が落ち、体もスリムになる。しかし運動だけではやはり限界がある。食事を改めてはじめて「理想体重」に突き進んでいけることが、身体で分かってくる。

そうなると実生活でどういう「影響」が出てくるか。(私の場合)
○外食を好まなくなる。パスタやカレー、焼き肉、中華など、手軽な外食で「おいしいものを食べたい」という欲求は減り、カロリーのわかるものを自然に食べるようになる。(もちろん外食はするが、たいてはそば屋だ。)
○肉は少量だけ食べてもおいしく、それで満足できる。(足りないタンパク質はプロテインで摂る)
 ○野菜はたくさん食べたくなる。

あまり運動をしないような方々から見れば、ストイックに見えるかもしれない(実際、そんなんで生活楽しんでるの?と真顔で聞かれたことがある)が、実は少しも苦ではなく、たくさん食べることがかえって体重が気になりストレスになる。

この道の私の先達が言っていた。「一度スリムになると、太ることが恐怖になり、それでまた走る」と。そう、太ることはランナーにとって「恐怖」なのだ。恐怖というストレスを避ける行為は、心をラクにこそすれ、苦ではないということである。

走ることはストイックと、冒頭に書いた。しかし当事者にとっては少しもストイックでないというまったく逆の言説になった。

※ランニング雑誌を見ていると、読者紹介には「月間走行距離○○キロメートル」というのが必ず載っている。こういう人たちの食生活を知りたい。

2012年3月13日火曜日

放射能問題が露わにした、オーガニックな人たちの底の浅さ

NHKの首都圏向けニュース番組で、興味深い企画リポートを放送していた。東日本大震災による原発事故の影響で、風評被害を受けた茨城県の野菜生産地の話しだ。震災後、この地域では、いわゆる「放射能の風評被害」で、出荷する野菜などの価格が下がったが、いまは、ほぼ平年並に戻っているという。
しかし、有機栽培を手掛けてきた農家は、顧客が離れたままだという。取材した有機栽培農家はお得意さんが3割しか戻ってこないということだった。

これまで有機野菜を購入していた人々は、農薬や化学肥料を嫌う、なるべく避けたいと思う、「不純物」に敏感でエコロジーな人々であろう。それはそれでよい。多少価格が高くても子どもにはなるべくオーガニックなものを与えたいと思う人々は当然いる。わたしも多少はそうだ。

しかしそうした人たちが購入していた有機野菜の生産地が原発に近いという状況になると、消費者は現金なものである。放射能の影響がとたえわずかでも、健康被害があるかもしれないと思うと、もうそこからは購入しない、ということなのだ。

有機栽培農家と、ネットなどを通じたその購入者(消費者)は、普通の生産者・消費者よりも、より強い信頼関係で結ばれた、お互い顔の見える間柄と思われていた。少なくとも私はそう思っていたし、生産者側は、割高な(通常、有機栽培は普通のものより高い)野菜を好んで購入してくれる人々に、信頼感を抱いていただろう。

しかしひとたび、生産者の責任とは無関係であっても「放射能」という、オーガニックな人々が警戒する要素が入るやいなや、購入者は逃げてゆく。こうした消費者にとっては、「産地」はどこでもいいのだ。生産者が「誰か」というのも実は副次的な要素でしかなかったということだろう。

ネットをサーフィンすれば、日本全国で有機栽培農家はいくらでも探せる。もしかしたら、これまでより、もっと条件のいい所が見つかるかもしれない。何も好き好んで「原発に近い農家」から購入する理由はないのだ。こうしたオーガニックな消費者は、敏感なだけに「逃げ足」も早い。

東京の西の端、自宅に近くの駅そばに有機食材を売り物にしたミニレストランが開店し、宣伝ちらしが自宅ポストに入っていた。そのキャッチコピーを見て驚いた。
「放射能で弱まった免疫力の回復に、ぜひどうぞ」とある。
「有機」を売り物にする店がすべてそうだとは言わないが、少なくともこのミニレストランにとっては、「有機食材」は単なる客集めのためのツールでしかないことを、このキャッチコピーは如実に表している。
生産者の思いは、消費者には言うに及ばず、消費者に“安心”を届ける存在のオーガニックショップやレストランにも届いていないということだろうか。

香山リカ氏が中央公論2012年3月号に興味深い論考を書いている。
「覚悟のない自己愛人間たち」
要約すると、いま世間には口では「世の中の役に立ちたいんです」と言いながら、心の内側では「とはいえ、私が損をするのは困る」「私は安泰でいたい」と思っている人が増えている。
昔、精神疾患の病歴のある人をアパートに入居しようとして拒絶される時、説得に行くと、「あんたがそこまで言うなら信用しよう」と、入居を認めてくれる人がいた。いまは、顔ではニコニコ理解を示しながら、いろいろ理屈をつけて断る。
「無知ゆえに精神障害者を危険、迷惑な存在と思い込んでいる」のであれば説得のしよもあるが、「私も理解者です」と言いながら断固として断る「笑顔の拒絶」ほどやっかいなものはないのだという。
香山氏はこの現象を「自己愛過剰」で説明する。
「少しでもリスクが増えそうな施設、人などが私の近くにやってくることだけは避けたい」「私さえ安全であればそれでよい」「私のような(特別な人間が)危険にさらされるなんて」という肥大した自己愛だ。
「自己愛過剰社会」(河出書房新社)はアメリカに蔓延した自己愛過剰人間がいかにコミュニティーや社会を蝕んでいるかを克明に記していることを紹介し、それを後押ししているのは、セレブを賞賛するマスコミは「誰でも簡単に目立つこと」を可能にしたブログ、ツイッターなどのネットコミュニケーションであることを指摘する。

香山氏の論を借りれば、放射能の影響を過剰に不安視して、原発に近い有機栽培農家から逃げてゆく、オーガニックな消費者は、すべてではないにしろ、単に自己愛過剰な人々とみられるのではないかな。

がれきの受け入れ問題も同様の現象として説明できるのだろう。

2012年3月12日月曜日

東京大空襲報道に見る、日本人の宿痾(しゅくあ)

3月11日は1945年(昭和20年)の東京大空襲の日だ。10万人以上が犠牲になった大空襲として、新聞の首都圏版やテレビの首都圏向け放送では、これを特集することが結構多い。おそらく読者、視聴者の評判もいいのだろう。だから特集を組む。
日本人に限ったことではないだろうが、「被害者としての私」を取り上げてもらえることは、心地よい心情に違いない。「こんなに大変だったんですよ」と。
しかし東京大空襲について、「アメリカ軍の責任」を厳しく追及する記事を見たことがない。これまで皆無だったとは思わないが、少なくとも目立ったものはないし、「被害者としての東京の民」ほど繰り返されてはいまい。広島・長崎の原爆投下、沖縄戦の犠牲など、「戦争の悲惨さ」を伝える報道の中で、なぜアメリカ軍の責任は追及されないのか。もっと言えば、アメリカの責任は、いつも隠されている。これがもし「加害者」側が中国や朝鮮・韓国だったら同じような論調で報道されているのだろうか。メディアが保守系、リベラル系に限らずだ。
結局、日本は「アメリカの52番目の州」と揶揄されても仕方がない国なのだろう。(それでもいいという論調もあり、一定の説得力を持っている)アメリカを加害者として糾弾することは日本にはできない相談なのだ。それが日本のエートス、少なくとも1945年以降の日本においては、スタンダートな選択であり、日本人の屈折した感情という「宿痾」なのである。

別にアメリカ軍の責任をもっと厳しく追及しろとは思わない。しかし戦争という国と国との戦いの中で、常に犠牲者と加害者がいて、そのどちらも当事者だということは「東京大空襲」でも忘れてはならないことだ。
また、国民は「犠牲者」、国は「加害者」という分け方は、物事を必ずしも正しく理解することにはつながらない。わわわれ「国民」自身も「加害者としての自分」を引き受けなければならない。

それができないと、名古屋市長の河村たかしのように、「南京大虐殺はなかった」ということを公人として平気で発言する人間が出てくる。

「宿痾」は治らない。治そうとしても無理だ。だからこのこのメタリティーを持ちながら、上手に付き合っていくしかない。
※虐殺の規模についてはいろいろ論争はあろうが、「なかった」という論は異常だ。それも根拠が、そういうことはなかったと叔父から聞いたという「伝聞」でしかないのは驚いた。彼を市長に頂く名古屋市民はあわれだ。

野口みずきは、尾崎好美 女子マラソンの2人の闘い方に学ぶ

日本人1位 尾崎好美
日刊sports webより引用
名古屋ウィメンズマラソンは、尾崎好美(30)が日本人1位(2時間24分14秒)になり、五輪の金メダリスト野口みずき(33)は6位(2時間25分33秒)に沈んだ。
野口はレース前半でペースメーカよりも前に出てレースを引っ張ったが、17㎞付近で先頭集団から脱落。後半一度は先頭集団に追いつく粘りを見せたが、登り坂でついて行けなかった。尾崎は反対に常に先頭集団にいながら決して前に出ることはなく、うまくレースを運び、スパートしたロシアのマヨロワにはついて行かず、「日本人1位」にこだわった走りで、最後に中里麗美を振り切った。
野口はなぜ、シロウトにも無謀と思えるペースメーカーの前に出る走りをしたのか。おそらく最初からじわじわ差をつけて行き、その貯金で走り抜かなければ勝てないと、「一発勝負」に出たのだろう。、年齢的なことこ、股関節の故障のことなどから、後半でスパートされるとついていけないことをすでに悟っていたのだ。しかし、それは実を結ばなかった。

尾崎はしたたかに、いわゆる「勝負にこだわった」。彼女の(今回のレースの)目的が「五輪代表になる」こと、その1点だったことがよくわかる。無理もない、2度レースで失敗していて、今回が最後のチャンス。また年齢からするとロンドン五輪の次はないからだ。
このブログを書いているころには、おそらく五輪代表に内定するだろう。(午後3時40分 内定のニュース速報が流れた。)

しかし尾崎は、おそらく五輪では勝てない。どのくらいの成績を残せるか想像できないが、8位入賞が精一杯だろう。でも彼女にとっては初めて(そして最後になるであろう)五輪の大会に参加することが目的なのだから、きっとそれで彼女自身は満足するだろうし、周囲や日本の観衆もそもそもそれ以上を期待はしない。そして尾崎は五輪参加を契機に、レースからは引退する(はずだ)。

泣きながらフィニッシュ
野口みずき
日刊sports webより引用
しかし野口みずきは、たとえ選考レースに勝って五輪代表になっても、アテネのメダリストという接頭語は消すことができない。再び金を期待されてしまう。そのことを彼女は無意識に悟っていたのだ。だから「引っ張るレース」展開をした。レース後のインタビューで野口は、もう一度、多くの人たちの声援を受ける五輪の舞台で走りたい、という趣旨のことを言っていた。彼女にとっての「承認要求」は、かつて味わった「五輪で優勝して注目されること」だったことがわかる。
比較的地味な野口は、五輪後、高橋尚子のようにはマスコミにもてはやされることはなかった。彼女を奮い立たせるものは五輪への道以外見つけられなかったのだ。

スポーツ選手には2タイプがあると思う。ある程度の成果を残すと、スパッと引退し、他の展開を考え道を歩むタイプ。もうひとつは、ずっと現役にこだわるタイプ。どちらがいいとか悪いとかという問題ではなく、生き方の問題だ。なぜ現役にこだわるのか、それぞれ理由はあるのだろうが、その一つが「過去の成功体験」の呪縛なのかもしれない。(野口がそうだとうは、必ずしも言えないと思うが・・・。)

成功体験と、それに伴う注目、賞賛の目が忘れられず、同じものを追い求めてしまうことは、ヒトに限らず企業の生産活動でもよくあることだ。しかし、願いが成就しない場合、傷が深くなり、ますます「成功体験」の夢から抜け出せなく陥穽もあることは、認識しておかなければならない。

尾崎の選択は、「身の程」を知った走りだった。そして彼女は「身の程」の生き方をこれからも選択するのだろう。それも悪くはない、と思う。

PS:
まだハーフの距離しか走れない私にとって42,195㎞を走り切る時に「どう走るか」というその構成は想像もつなかない。でも2時間20分~25分という長い時間の中で、「1分」という差が、そんなにたやすいものではないことは、少しは分かる。


2012年3月8日木曜日

「穢れ」と「言霊」。 原発問題、がれき問題の根っこはこれだった。

朝日に載った環境省の全面広告 山手線の吊り広告にもあったが、
なぜか、読売、日経などでは見かけなかった。
東日本大震災によるがれき問題で、環境省が朝日新聞に協力を呼び掛ける全面のカラー広告を出した。政府も野党も自治体に対して協力を促している。
なぜ放射能とまったく関係ないがれきまで、受け入れてもらえないのか。一部のヒステリックな人々が強い拒否反応を示すのか。

一番納得のいく説明がされたのは、精神科医の斉藤環氏だった。
2月26日の毎日新聞紙上で、斉藤氏は言う。
通常の地域エゴと様相が異なるのは、津波による被災地のがれきまで、ほとんど放射性廃棄物も同然の扱いを受けているから。これは京都の五山送り火で、岩手・陸前高田の松が拒否された時点で予想されたもの。最近でも子どもに青森の雪を見せようとした那覇市の企画が反対の声でいったん中止に。こうした反応の根底には「放射能=穢れ(ケガレ)」の発想がある。」と。


震災直後には、福島で製作された橋げたが西日本の自治体で拒否されたこともあった。福島県産だけでなく被災地域の農畜産物を忌避する、いわゆる風評被害も同様の構図だろう。メンタリティーも含め、それらは「不浄」なものとして日本(特に西日本)の(一部の)人々に意識化されているのだ。


斉藤氏は「戦後日本でケガレが科学的根拠を圧倒したケースは「らい予防法」くらいしか思いつかない。」と書く。一番納得のいく、「腹に落ちる」説明であった。


では「放射能は穢れた存在」という「空気」が醸成された要因はどこにあったのだろうか。政府のアナウンスの不手際。(結果責任はあるものの、初めての事態で同情の余地はあると思うが・・・)、そしてマスコミの冷静さを欠いた報道。受け取る側のリテラシーの問題。すべてが相まって、穢れの「空気」が出来上がった。これが日本人のエートスなのだろう。


一方、原発問題について、どうして安全が確保されなかったのか、いわゆる「原子力ムラ」が形成されたのか、雑誌エコノミスト(2011年6月7日)で、2人の経済学者が鋭い指摘をしている。大垣昌夫(慶応教授)・大竹文雄(阪大教授) 。

「ことばには霊の力があるから悪いことを言うと実際にそのことが起こる」という古代からの言霊(ことだま)信仰 故に 「最悪の場合」は可能性があっても言及しないよいとされる」。「現 代日本社会の考え方は、言霊信仰そのもの。この文化の最大の欠点は最悪に場合について冷静な議論をし ないこと。」だと指摘する。

「本来官僚が担ってきた役目だが、官僚は自分の任 期内に最悪のことが起こらない可能性が高いなら沈黙を保つ。 原子力の安全神話維持されてきた背景はここにある。」と。
同様の指摘は確か東洋経済誌上で北川達夫氏もしていたようい記憶する。

原発を建設・維持していく過程で、少しでも「安全性は絶対ではない」という、いわば当たり前のことが、電力会社も政府も公の席では絶対口にできなかった。つまり「絶対安全」という説明をするしかなかったのだ。

日本人の「不吉なことを言うと本当になる」という、言霊信仰がために。
そしていつしか、原発当事者たちは、「絶対安全」という自らの「主張」に縛られ、最悪の場合の備えを怠ってしまった。「原発の安全神話」は、当事者たちが進んで作り上げたのではなく、大衆の要求によって作り出されたのであろう。

「原子力ムラ」はさんざんメディアで叩かれ、今回の事故の諸悪の根源、つまり「原因」として描かれた。しかしそうではない。最初からムラが形成されていたのではなく、原子力政策が、反対運動の中で進められていくなかで次第に身を寄せ合ってできた「結果」なのである。

電力会社や政府を擁護するつもりはない。当然結果責任はある。しかし彼らの瑕疵の一端は、われわれの側にもあるということだ。いま、巷で蔓延する「ゼロリスク」信仰も、言霊信仰と同類のものだろう。

「穢れ」といい、「言霊信仰」といい、どうしてわれわれはこうした「迷信」に縛られるのか。自らは「合理的だ」と思っていても、やはりその呪縛から逃れられていない自分の自戒も込めて。


ジャックラカンは難しい、
私には。しかし読む価値はある。
毎日新聞の斎藤環氏のコラムはしばしば鋭い。
ジャック・ラカンの解説本だと思って読んだが、正直ちょっと難しかった。しかしラカンに接した初めての本でもあり、「読んでよかった」。