NETより「引用」 |
昨日(4月21日)の夕刊で、同じ場所で7年前にも、同じ高校生の講習で雪崩事故があったこと、同じ教諭が引率していたことが報じられていた。
路線バスや観光バスなどグリーンナンバー(営業車)が運転者の過失で何人もの人が死ぬ事故が起きたら、ほぼ間違いなくその運転者は逮捕されるだろう。新聞報道風に言えば(専門的に正確かどうかは分からないけど)、「業務上過失致死の“疑い”で、バスを運転していた●●(容疑者)を逮捕しました」となる。
バスに乗るということは、そこに身を預けることだ。従って、運転者やその管理者は、当然に乗客の安全に気を配ることが求められる。事故を起こせば、自損事故だったとしても過失が推認されて、逮捕されることだろう。その後、釈放されたり、不起訴になるとしても、交通事故の場合は、「とりあえず逮捕」というの一般的だと思う。(間違っていたら誰か指摘して)
左上の斜面が現場?(NETより「引用」) |
引率者は、集団の安全を確保する必要がある。当たり前のことだ。そこで事故が起きれば当然、責任が問われなければならない。
登山のことを知らない人々は、雪崩事故は自然現象で予測不可能だと思うかもしれない。また、好きで登山しているのだから本人にも責任があると感じるかもしれない。そういう、ヤマをしらない人々の“雰囲気”が、警察の判断を鈍らせている。しかしそれはれは違う。無免許の運転手が事故を起こして乗客が死ねば、当然罪に問われる。当たり前のことだ。登山に免許はいらない、従って法的に責任はないという考えは間違っている。繰り返しになるが、引率されている人は、責任者に命を委ねているのだ。
今回の事故では雪崩に巻き込まれたグループを引率していた教師も犠牲になった。ご遺族には申し訳ないけど一義的には彼に重大な責任がある。引率するということはそれだけ重い役割なのだから。しかし昨日(4月28日)のNHKの報道によると、この教師自体が、あまり登山の経験がなかったことが報じられていた。父親はインタビューに答えて、彼に引率させていた今回の登山研修の責任を問うていた。当然だと思う。
この経験の浅い(剣道部顧問も兼ねていたという)教師に先頭のグループを率いらせていた、教師グループの責任は重大だ。麓の旅館に待機していたという、猪瀬修一教諭(山岳部顧問)はまず一番責任を問われるべき人物だ。それが道理というものだ。
右:猪瀬修一教諭(NETより「引用」) |
猪瀬教諭の会見の模様に謝罪の言葉がなかったとネットで批判があるようだけど、言葉で責任や謝罪を口にするかどうかという矮小化された問題ではない。重大事故そのものも当然の責任者であり、まず逮捕して取り調べられるべき存在だ。
警察はなぜそうしない。同じ栃木県の「公務員」同士という甘えは存在しないだろうか。勘繰りたくもなる。
引率登山に重大な責任があるという「知見」は、何も私のオリジナルではない。ジャーナリストであった本多勝一氏は、引率登山事故について繰り返しこのことを書いている。(本多氏のスタンスなどの好き嫌いはあるだろうが、少なくとも山に関する著述は優れている方だ)。
繰り返す。
栃木県高校体育連盟登山専門部会が主催した『引率登山』は、高校生たちがバスに乗っていたのと同じだ。引率していた教師らは、バスの運転手と同じ安全を確保する義務と責任がある。そのことを警察も一般市民も理解する必要がある。警察はなおも業務上過失致死容疑の疑いで捜査しているというが、少なくともすぐに家宅捜査で書類等を押収しておかなければならなかった。軽井沢のバス事故では運転手は死亡したが、旅行会社や運行会社の家宅捜査を行っただろうに、なぜ高校生が犠牲になる事故ではそうならない。
報道も大いに疑問だ。軽井沢のバス事故では犠牲になった大学生らのことがさまざまなメディアで盛んに報道された。それだけメディアも重大なこととして、その犠牲者を同情的に報じた。それに比べれば今回の雪崩事故での報道、とりわけ山岳部顧問への報道は、少し及び腰だ。それは報道の担当者が登山そのものを知らないからだろう。勝手な「予断」をもって、自然現象、好きで山行に参加した高校生。その世話をしている顧問の先生。という構図を勝手にアタマの中で作り上げているだけだ。無知もはなはだしい。
学校の会見でも、そうした「山好きの高校生を世話してあげているんだ」という雰囲気が、にじみ出ていた。猪瀬教諭という人物に「山や」としての、そして「教師」としての責任のかけらも感じなかった。
ご遺族の方々はさぞかし悔しいだろう。告発すべきことだ。だれか力になってあげてください。