2015年11月24日火曜日

イスラム文化を風刺と称して侮蔑してきた仏社会の背景にも目を向けるべきだ。テロについて。

2001年9月11日のアメリカ同時多発テロも、今回のパリで起きた130余りが亡くなったテロも、大きな出来事であること異論はいなし、それを容認するものでもない。
しかし。しかしである。報道のあり方も含めて、各国(特に西ヨーロッパ)の態度には少し違和感を覚える。
テロは背景は何か。
フランス人(と、十把一絡げに扱うのはナンセンスなことは重々承知しながら)が、風刺と称して、イスラム文化を侮蔑するような漫画を掲載して騒動を起こしたのは記憶に新しい。またそういうメディアを容認する「純粋フランス人」社会の世間があるからこそのメディアの振る舞いなのだろう。
そうしたことを考えると、イスラム文化圏の人々の中には、過激な行動をとる者が出てくる可能性を大きくしていると言えまいか。
「自由という価値観を共有する」とはいうフレーズには注意が必要である。自由は、ステータスの高い、文化資本も備えた階層の人々が持っているいるもで、西欧の繁栄を底辺で支えてきた移民には通じない言葉ではないか。
詳しく調べた訳ではないので的外れかもしれないが、フランスに多くいるアフリカ系の人々が仏社会でスポーツや芸能以外でエラくなったというのを見たことがない。それほど階級社会が固定されていると見ることは間違っているだろうか。それはイギリスでも同様だろう。その意味ではアメリカの方がまだしも多様性があり、そしてアフリカ系、アジア系、ヒスパニックもステータスを上げることができる可能性があるように見える。

かつて西ヨーロッパでは、庶民階級に教育を施すのを上流階級の人々は反対した。「既得権」が既得権でなくなること恐れたのだ。(と、世界史の教科書に書いてあったように記憶する)

フランスの掲げる「自由」はご都合主義にも見える。
今回のテロを「手放し」で批判する気にはなれない。もっと深く考えることが必要だ。しかしメディアの多くはその材料すら提供しようとしていない、ように思える。

追記:
このつたない論考を書いていたら、AERAで内田樹さんが、同様のことをもっと深く指摘していらっしゃったのを「ちょっと見」で見つけた。そちらの方が参考になる。当然だけど。

2015年11月20日金曜日

「一億総活躍社会」をどう“見るか”

朝日新聞より「引用」
安倍首相の好き嫌いは別問題として、政策は正当に評価することが「大人の見識」だろう。
 しかし朝日新聞や、一部のセンセーショナルに扱うことでしか自らのレーゾンデートルを示せない雑誌は、「一億総活躍社会」をハナから見下している。
 そんな中で、冷静な筆致でこの「問題」をとらえたのが湯浅誠さんだ。中味をきちんと検討した上で、その政策が真に効果的なものになるかどうか見極めるのがメディアの役割だと、朝日新聞を「叱って」いる。
 こういういわば当たり前の視点は、なぜか昨今のメディア環境では珍しいものになってしまった。湯浅さんの言説は説得力がある。
 これに比べれば本当に多くのメディアの「底の浅さ」は辟易する。

2015年11月10日火曜日

ノーベル物理学賞で、湯川秀樹「旅人」を思い出した。

「ニュートリノに質量」で、日本人がノーベル賞を受賞することになって、にわかに(再びというか)、物理学が一般の人の注目を集めた。11月8日(日)のアサヒの書評欄「ニュースの本棚」は『ノーベル賞と素粒子』を扱っていた。
その中に湯川秀樹の「旅人」が紹介されていた。
湯川秀樹と言っても、18歳の愚息は「それ誰だっけ?」レベルだけど、年配者なら日本人として初めてノーベル賞を受賞した物理学者ということは知っているだろう。

「旅人」を読んだのはもう30年以上も前の大学3年のころだった。いまでもよく覚えている。社会学のゼミの先生と飲んでいる時に、なぜか湯川秀樹の話になって、「旅人」を進められた。
「文庫の薄い本だkらすぐ読めるよ」という言葉に導かれ、数日中には購入して読んだ。
多くの中味は忘れてしまったが、確か湯川博士が確か5,6歳で論語を祖父から教えられてそらんじていたような記述があったように思う。
やはり、湯川博士は幼少のころから、並みの人間とは違うんだと思ったことと、同時に、理科系に進む人でも、幼いころの論語のような素養を大事にしていることに、かすかな驚きを持った。
すでに文化系に進んでいた自分も、反対に理科系の素養をまったく捨てるのはもったいないと、どこか心の隅で持っていた。
その後就職して家庭を築きと、人並みの生活に追われる中でも、おそらくこの思いはどこかで残っていたのだろう。かなり経ってから、畑村さんの「数学シリーズ」を読んだり、「もう一度高校数学」なども購入してそれなりに“読んだ”りした。(勉強しなおしたという程ではなかったけど。)
また、恥ずかしながら、子どもの中学受験では、ほとんど真剣に算数と取り組み、どうすれば一番子供に教えることが伝わるか熱中した。週に2日か3日。子どもの塾が終わるのに合わせて帰るのを待つ間、ターミナル駅のスタバで1問づつ問題を解いた。

 話が逸れたが、「旅人」はおススメの書籍だ。30年前に読んでも、時代背景が少し古臭いと思ったので、今の人々が読んだら、ほとんど「古典」かもしれない。それでもおすすめだ。愚息にも薦めてみようと思う。

で、全然関係ないことだけど、梶田隆章さんがノーベル賞の受賞が決まった時、会見で前の受賞者・小柴さんのことを盛んに聞かれていた。メディアは「カミオカンデの師弟関係」という分かりやすいストーリーを作りたかったのだろう。梶田さんは(もちろん)大人だから、それなりに受け答えをしていたが、どこか小柴さんに対してよそよそしい感じを受けた。
 ここからは単なる想像だから失礼になるかもしれないが、梶田さんは小柴さんに「冷遇」されていたのではないか。なぜか、小柴さんは東大卒だが、梶田さんは違う。当時の状況から言うと、東大閥の中で、梶田さんは様々なカベに苦労したと思う。きっとそういう壁を研究で打ち破ってきた努力の人なのではないか。あの穏やかな表情の中で、そんな「闘志」を感じ、梶田さんに好感を持った。
以上。


2015年11月3日火曜日

答えが簡単に出ない問題をどう考えるか。辺野古と普天間、労働者派遣法・・・etc.

 韓国の主張する「慰安婦問題の解決」や、新安保法案がいいのか悪いのか。また、改正労働者派遣法は、政府の言うように労働環境がいい方向に行くのか、それとも改悪なのか。沖縄普天間基地の移設問題。18歳選挙権になった場合の高校生の政治活動問題、等々。

辺野古(netより「引用」)
どれも簡単には「正解」が出せない問題ばかりだ。全体を俯瞰し、よく考えれば考えるほど、問題の本質の奥深さ(根深さ)が見え考えことに「迷い」が出てくる。

 確か古市憲寿さんがどこかで書いていた。沖縄基地問題に関して、メディアの世論調査が「白黒」を設問・回答を要求してくるが、考えれば考えるほど「分からない」という答えがまっとうなのではないか。と。(表現はこんなにストレートではなかったけど、要するにそういう趣旨で言っていた)。

 高校生の愚息が新聞を読んで、こちらに「答え」を求めてくるが、いずれも「う~ん。難しい問題だ」としか答えられない。すると「オマエは逃げている」と不満を言われるけど、しかたない。

○韓国の“従軍”慰安婦問題。
安倍首相の「本音」や「思想」はともかくとして、これまで政府も出資した償い金や村山首相の「談話」など日本としては決着を図ってきたのは事実だ。いまさら韓国で騒ぐことには、リベラルな文化人も「困惑」している。だから今回の日韓会談際して沈黙しているし、実際「何も言えね~」状態だ。

○改正労働者派遣法
いわゆる26業務がなくなり、すべての業務が3年の「期限」になった。ただし3年は人のことで、事実上、「仕事」についてはずっと派遣労働を導入していける。これは、突き詰めると「人」重視なのか「仕事」重視なのかという問題になる。そして派遣法そのものが製造業などの、言ってみればあまりスキルや人の継続性を重視しない仕事のためのものになりつつある。
実際、事務などは有期の直接雇用が増えている。有期が5年という「目途」が示されているためだ。
コスト的には派遣会社に支払うより社会保険を負担しても「安い」という目算なのだろう。
生産量に応じてすぐ人を切りたい製造業の「単純作業」では、派遣は都合のよい労働力の導入だ。そのための改正だったと見ることもできる。
 では、これまでの派遣法でよかったのかというと、そうとも言えない。

○普天間基地の辺野古への移転問題
 「在日米軍はまったくいらない。だから基地は廃止すべきだ」という主張ならば、それはそれでスジは通っているから、論争のしようもあろう。しかし南沙諸島や尖閣など、結構きな臭いことが日本の周辺で起きている現状では、そういう『主張』はごく少数だ。それは世論調査からも伺える。
 だから社民党などは「国外へ」とか、おバカ首相だった鳩山の「最低でも県外」などという中途半端な発言が出るのだ。基地が迷惑施設であることには変わりない。国外、県外でもどこかで誰かが迷惑を被るのだ。ではどうするのか。答えが出ない問題の最たるものだ。

福島第2原子力発電所
(netより「引用」)


(続きを書くのが億劫な話しだ。嗚呼)