2013年10月24日木曜日

やまがたまるごとマラソン 参加の記

公式HPより
42.195㎞を走りきるという感覚を私はまだ知らない。未知の世界だ。
50を超してから本格的に走り始めた者にとって、まだ3年足らずの経験は、ハーフマラソンに己を留めている。
 で、3度目のレースも、ハーフだった。10月6日、「やまがたまるごとマラソン」
タイムはネットで1時間45分23秒。ほぼキロ5分で走ることができた。前日まで風邪気味で、宿泊先のホテルで夜、悪寒がしていたのだが、なんとか力を出し切った。

長々書いている参戦記の駄文は別項に載せるので、ここではハーフマラソン参加の「教訓」を簡単に記したい。シロウトランナーの私は、どうもう本や雑誌に書いてあることを信じたがるし、メーカーの宣伝にものせられてしまう。いろいろためしてみた結果が以下のような「知見」になった。

○カーボローディング
公式HPより 小柄な野口さん
あまり意識しすぎるとかえってよくないと思う。当日エネルギーを蓄えれば十分だ。雑誌に載っているように3日前から炭水化物を摂ると(もちろんこれはフルのケースが書かれているけど)、かえって体重が増えてしまい、タイムを落とす。エネルギーの補給はハーフならば当日で十分なのではなか。

○レース前、中のエネルギー補給
後半のスタミナはやはりエネルギー補給があるといい。
今回は、朝食(午前6時半:スタート2時間半前)ではごはんを軽く1膳とわかめたっぷりの味噌汁、納豆、野菜サラダ、トマトジュース、それにミニクロワッサン2つとコーヒー2杯。(ホテルのバイキング)をとった。
そしてレース直前にはアミノバイタル・スーパースポーツを摂取。
レースにはアミノバイタル・パーフェクトエネルギーをポケットに入れて走った。これは15㌔の標識を過ぎたあとのエイドステーションで水分補給で立ち止まった時に、一気に補給した。しかしタイミングとしては、少し遅かったかもしれない。

※アミノバイタルについて
 私は「味の素」の回し者でも、熱烈なファンでもない。たまたま以前東京で買って、自宅に置いてあったモノを持っていっただけだ。前日、山形駅前のマツモトキヨシと、住宅地の地元大手ドラッグストア「ヤマザワ」を見たが、アミノバイタル系のサプリは売っていなかった。

容器が小ぶりなのでレースに持って走るには、ちょうどいい大きさだ。グリコの「1 minutes」は、東京でもドラッグストアではほとんど見かけない。

顆粒状の「アミノバイタル」は、普段水泳の前に飲んでいる。


○やはり、ハーフでも後半は「筋肉勝負」だ。
 12㌔付近から川沿いを遡る緩い坂道が2キロ近く続いた。ここでスピードを落とす人々が数多くいた。この時モノを言ったのが金さんの本に書いてあったように、やはり筋肉だ。結果的にスピードを落とさず走り抜けた。
  筋トレは、平均すると2週に3回程度行ってきた。トシをとると筋トレをしても、あまり「鍛えられた」という実感はわかない。でも、わずかだがすこしずつウェイトをあげていった。どの程度の筋トレか、別稿で整理したい。

○トシ寄りにはスパートは難しい。
 最後の5~6㌔になり、川沿いの緩い下り坂でスパートした。この時の目標は時計を見て、1時間45分以内だった。しかし、スタミナが残っている割には、あまり速度は稼げなかった。スピードに足の振りが追い付かないのだ。
 レース後、5キロごとのラップを見てみると、確かに5キロで1分半ほどタイムを縮めてはいるが、自分で思ったほどにはスパートが切れなかった。12㌔~13㌔が今の自分の有酸素運動と無酸素運度の境目体力なのかもしれない。
まあ、キロ5分以上の“スピード練習”などまったくしたことがないのだから無理もないけど。21キロメートル全体のスタミナ配分を考えるのは結構難しい。

5㌔ごとのラップは15㌔から上がった
○体のケア
ワセリンは足指とゼッケンの安全ピンがあたる胸に塗った。
ゴールした時、爪は痛くなっていたが、その他はあまり痛みは残っていなかった。翌日になっても足の筋肉に疲れはさほど感じなかった。

○やまがたまるごとマラソンについての感想。
初めての大会だったが、県庁の所在地の山形市中心部での開催で、主催の市だけでなく、県も何かと後押ししていたみたいで、結構大きな大会になっていた。仮設トイレも多く、また荷物の預かりも体育館を利用してきちんとしていた。記録は5キロごとのラップを出してくれるのもよかった。
公式サイトを見れば、すぐにアップされていた。また参加者を名前やゼッケン番号から検索できるのもよかった。

○ゲストランナー「野口みずき」さん。
野口さんが、あまりにも小柄だったのには少々驚いた。この体格で、オリンピックで優勝したのかと思うと、すごい。スタートは偶然にも私の近く(群衆の中間地点)だったので、5キロ付近くらいまで、彼女の集団にくっついて走った。ほぼキロ5分くらいのペースで走っていたようだ。ゴール直前では立ち止まって「ハイタッチ」のサービスをしてくれていた。








2013年10月18日金曜日

千駄ヶ谷・東京体育館プールの関さん

 東京・千駄ヶ谷の東京体育館プール。きょうも、あの関さんはいた。
ここに通っている人なら、おそらくほとんどの人がこの人の顔を覚えているだろう。
うみ坊主(失礼)のようにつるつるのアタマの小柄な人だ。常にプールの運営に気を配り、泳ぐ人の流れを「監視」している。

随分前に一度名前を聞いた。だから名前を知っている。(漢字が正確かどうかは不明)

彼は私が千駄ヶ谷に頻繁に通い出した5,6年前から、少なくともここにいたと思う。(今年4月、1年ぶりに再開したプールで、やはり関さんはいて、なぜだか安堵した)

今年4月に改装を経て1年ぶりに再開した東京体育館プール(以下、千駄ヶ谷プール)の運営が比較的うまくいっている話しを書いた。(東京プール難民 番外編2)
その理由は「ルール」を作らないこと。少なくとも「ルール」を利用者に全面に提示しないことだと分析した。いわば利用者の良識を土台にして運営する基本精神がいいことを指摘した。

なぜそれがうまくいくのか。千駄ヶ谷プールを事実上運営するティップネスが、エグザス(横浜国際プール)やトーリツ(世田谷)より優れた組織だから、うまくいっているのかどうか。それは分からない。しかし少なくとも千駄ヶ谷には関さんが監視員にいることが大きいこと間違いないだろう。

 彼は、常にプール全体を見渡し、泳ぎ手が文字通りスムーズに流れているかどうか、気を配っている。こうしたプールでは、しばしば「われ関せず」の非常識な輩が、後ろが詰まっているにも関わらずインターバルをとらずに泳ぎ続けたりして、迷惑な存在になっている。こういう人たちを「指導」したり、あるいは他の人にUターンを促して流れをよくしたりすることに常に気を配っている。

 他のプールでは、監視員はそんなことにはまったく関心を示さず、ただ、「溺れている人はいなか?」と漫然とプールを眺めているおバカばかりだ。だって彼らにとっては、利用者が満足しようがしまいが関係ない、ミッションはただ事故を出さないことだけだから、スムーズな運営のために何が出来るかなんで考えるインセンティブが働くはずがない。

 関さんは違った。彼はいつも使命感をもって職務にあたっている(ように見える)。それがおそらく他の監視員にも伝わり、彼らの職場に、ある種の緊張感が生まれたのだろう。(と、推察する)

関さんの存在は、もしかしたら、他の監視員(その中にはアルバイトもいるだろう)には、少々煙たい、口うるさい存在なのかもしれない。しかし彼がいるから職場に緊張感があり、意識も利用者本位になっていくのではないか。

 いきなり一般論に飛躍して恐縮だが、組織は案外、こうしたひとりの人物の存在でうまく循環するのかもしれない。そして、その逆もまたある。それは働く組織だけでなく、学級運営やサークルでも言えるのではなだろうか。

関さんのような人物に現場での高い権限を与えて、組織運営を行う。私が経営側ならそう考える。




2013年10月17日木曜日

横浜の『踏み切り救出死』。はたして「勇気ある行動」と言えるのか?

(先に書いた内容に事実誤認があったので書きなおしました)

10月1日、横浜市緑区のJR横浜線の踏切で起きた、線路に倒れていた老齢の男性を助けようとして、40歳の女性が亡くなった事故。各社は美談として伝える報道が繰り返された。


NHKテレビより「引用」
4日の報道によると、安部首相は、「勇気ある行為とたたえ」「弔意を表す感謝状を出す」とのことだった。官房長官(菅は横浜が地元だ)も会見で、「他人に無関心な昨今の風潮の中で、自らの生命の危険を顧みす救助にあたった行為を称えたい」という趣旨の発言し、紅綬褒賞を贈ることを決めたという。

古屋国家公安委員長も「崇高な行為」という言葉を使った。




NHKテレビより「引用」
政府の対応や措置は、この女性の遺族にとっては、いくばくかの慰みになることは確かだろう。女性に対しては冥福を祈りたい。
人を助けようとする行動は確かに尊い。「誰かの役に立ちた」「誰かのために生きている」というのは、正に生きている意味そのもである。しかし、その意味で彼女の「気持ち」は、賞賛に値するものであり、素晴らしいと思う。
でも、と、考えてしまう。こうした「気持ち」は「生きていてこそ」のものだ。批判を恐れずにいれば、彼女のとった行動は、自らの命を顧みない、冷静さを欠いた軽率なものだったという面も否定できないだろう。とっさのことで、己の身の安全まで判断できなかったことは、十分わかるが、結果として、「正しい行動」だったかどうかは、評価の分かれるところだと考える。




NHKテレビより「引用」
NHKでは、「もし あなたら・・・・」と、街の人に問いかけるインタビューを行っていた。これは見ようによっては、「勇気をあおる」ようにも聞こえ、違和感を覚えた。(2日の午後9時のニュース番組)
司会の男性は「勇気」という言葉は使用せず、慎重に言葉を選んではいたが・・・・・。


「勇気」という言葉を“軽々しく”使用した安倍首相は、子どもたちに、こういう状況に遭遇したら、まず助けることを一番に考え、自らの身の安全はその次に考えればよいと教えろということなのか。

人はいつでも冷静でいられるものではない。特に緊急事態に遭遇した場合は、判断力が鈍ることも多い。だからこそ、とっさの場合は、一呼吸置いて、冷静に判断する力こそが求められるのではないか。

山に行って、自らの体を確保せずに、他の人をロープで支える人はいない。まず自分の安全を確かめて行動するのが鉄則だ。そんなことは山に登る人なら誰でも知っている。

踏み切りに限らず、線路内の事故の「救出死」は、しばしば起きている。

○2012年11月:埼玉・本庄市で落し物を拾おうと踏切に戻った70歳の男性を救おうとした主婦が、はねられ2人とも亡くなる。
○2007年2月:板橋区ときわ台駅近くでは、踏切に入った女性を助けようとした53歳の警察官が電車にはねられる。 
○2001年1月:山手線新大久保駅で、ホームから転落した男性と救助しようとした47歳のカメラマンと26歳の韓国人男性、3人全員が亡くなる。

それぞれ事情は違い、一概にみな「軽率な行動」と切って捨てることはできない。特に新大久保駅での事故は、ホームの構造から線路脇に退避帯がなかったことが災いしたと伝えられた。もしふつうの構造のホームであれば、助かった可能性も示唆されていた。

 だが、それでもこれらの痛ましい事故は、「美談」として語ることは慎重でなければなるまい。

飛躍するようだが、さきの戦争で、情勢の冷静な分析なく精神論だけで戦争に突き進み、敗戦後は勇敢な戦士たちを称えることばかりに心血を注ぐ、(主に保守と言われる人々)の心性に似ている。これはもしかしたら、日本人(という主体があるとするなら)のメンタリティーそのものなのかもしれないけど。そう考えると安倍首相が「勇気」という言葉を使った意味もわかってくるけど。


NHKテレビより「引用」




2013年10月12日土曜日

ルールを作らないという「ルール」東京体育館プールの試み(東京プール難民 番外編その2)

千駄ヶ谷プール
  東京体育館のプールがリニューアルオープンして半年が過ぎた。1年に渡る閉鎖だったのでその間、いろいろ公開されている50mプールに行ってみた。(辰巳、横浜国際、世田谷区民の3つだけだけど)。
プールの運営方法について、考察した。

 再開した東京体育館のプール(以下、千駄ヶ谷プールと略)の運営はどうか。ひとことで言って比較的うまくいっているのではないか。

面白いことに規則がなくなった。プールサイドに一切規則めいた但し書きはない。唯一規則らしいものとしては、各コースに(指導禁止、指導可能)と区分けしていることだけだ。(飛び込み禁止は言うまでもない)

 これまで一番苦情が多かった(と、思われる)、「指導」…(それは「もぐりの営業」だ) について、エリアをごく一部に限定し、一般の泳ぐコースでの指導を明確に禁止した。これは効果があっただろう。まだ土日だと、営業している輩を見かけるが、以前に比べればたいしたことはない。もぐり営業は確実に減った。

 それ以外の規則は明文化されていない。少なくとも利用者の目には触れやすくはしていない。これは非常にいいことだ。

 規則は作るから、「それに当てはまらないもの」はルール違反でないとして、脱法行為がまかり通る。そうするとまた規則を厳しくしなければならない。利用者はどんどん窮屈さを感じて、余計ストレスがたまる。

 規則でなくて、その都度、様子をみて管理する側が「指導」すればいいだけの話しだ。多くの人が「納得」できる指導であれば、人はそれに従い、秩序は保たれる。常識をもって使用している大部分の者にとって細かい「規則」は不要なのだ。
 
 運営会社もそれに気づいたのだろう。再開後「規則」が「見えない化」されても、運営に支障が出ているとは思えない。指導員はその分、秩序が保たれるよう緊張感をもって監視をしている。

 休憩時間をなくしたのも評価できる。以前はなんのための休憩時間が理解不能だった。「安全のため」「お客様の健康管理のため」と昔はアナウンスしていたが、そんなのは一義的には自己責任の範疇だろう。また休憩時間を入れたからといって事故が防げるという有意な差は、ないだろう。
(以前にも書いたが、世田谷区民プールでは、9時に開場して9時50分から「休憩」になる。ほとんど理解不能の「規則」が続けられている。ちなみにここの運営はトーリツという、もともとはビルの管理会社で、プール管理は、ほとんどがアルバイトで賄っている)

規則で縛るのではなく、管理者が状況に合わせて良識的判断をする。そういう「思想」が、新しい千駄ヶ谷プールには見て取れる。これこそが、いま社会全体に求められていることではないのか。

 こうした、ある面「先進的」ともいえる運営を決定した経緯はどこにあったのか知りたいところだ。
後述するが、あいかわらず旧態依然の運営を行っていて、そのことに何の疑問ももたない、おバカ公営プールに見習わせたい。

千駄ヶ谷のプール(トレーニングジムも)の運営は、直接的にはティップネスが行っている。
http://tip.tipness.co.jp/

入り口の看板には都の外郭団体である東京都スポーツ文化事業団とセントラルが共同指定管理者だと記してあるが、ノウハウを持っていない前者が直接の運営に関わっていないことは明らかだろう。
http://www.tef.or.jp/message.jsp


ティップネスが、エグザス(横浜国際プール)やトーリツ(世田谷)より優れた組織だから、千駄ヶ谷の運営がうまくいっているのかどうか。それは分からない。しかし少なくとも千駄ヶ谷には関さんというひとりの人物が監視員にいることが大きいことは断言できる。

この人のことは別項にする。(→東京体育館の関さん)

 
コナミは決してヘンな会社ではないだろう。あれだけ全国にスポーツクラブを広げているのだから、それなりに会社組織としてちゃんとしていると考えるのが自然だ。しかし横浜市の横浜国際プールの運営はいただけない。

横浜市が運営する、横浜国際プールは設備としては新しく清潔であり、その点ではなかなかいい。
ここはコナミとトーリツが運営を担っている。プール管理はコナミのようだ。

外観も立派な 横浜国際プール(web siteより引用)
http://www.waterarena.jp/

 週末は朝7時半から入れるのはうれしい。1日の時間を有効に使える。しかしその他の面ではどうか。
9月の日曜日のある日、こんなことがあった。サブプールの1,2コースが9時半まで貸し切りになっていると看板を出していた。しかし9時半を過ぎても一向に開放しない。貸しきり終了から10分程過ぎたころ、プール正面の机ののある席にいる「監視員」(女性)に、なぜ開放しないのか尋ねた。そうしたら、「ああそうですか。忘れていました。」とぬかした。思わず、あなたはコナミの社員かと尋ねたら「いいえ」。アルバイトかとたたみかけたら、そうだと言った。

プールの床は可変式(web site より引用)

 ここのプールの管理は、この程度だ。職業意識の低い、ボンクラのアルバイトにまかせて、ルーズな管理しか行わない。シャワーは一部壊れたままいつまでも放置されている。ロッカーも床が濡れたままで汚い。700円と、公営にしては高い方だがまったくそれに見合ったサービスが行わない。お役所仕事(と言っては最近の頑張っている役場職員には失礼になるが)そのものだ。

 ただ、ここで注意すべきことがある。緊張感がないのは、コナミがティップネスより劣った組織だからという短絡的に結論づけることはできない。横浜国際プールのていたらくの遠因は、安い委託費にあるのか、それとも管理者の組織「横浜市体育協会」の組織にあるのか。

横浜国際プールは細かくルールが作られている。サブプールでは、フィンやグローブをつけて泳ぐコースも決められている。飛び込み専用のコースもある。プール脇のジャグジーは「中学生以下は使用不可」となっているが、これはどうやって規制しているのかまったく不明だ。
管理できないことまでも「ルール」が作られている。

ルールがあり、それを管理することが「お仕事」となった人々は、それを守ることしかアタマもカラダも働かない。そして意識が低いと、それすらもきちんと管理できなくなる。利用者は窮屈な規則に縛られて、利用しずらい。常に「ルールはどうだっけ」と、余計なことに神経を使う。

他の公設の施設でも同様だ。
管理が大好きな学校や杓子定規な対応しかできない交通監視員、等々こうした組織やヒトは思いつくだけでも結構あるある。
入り口に掲げてある看板