2013年10月17日木曜日

横浜の『踏み切り救出死』。はたして「勇気ある行動」と言えるのか?

(先に書いた内容に事実誤認があったので書きなおしました)

10月1日、横浜市緑区のJR横浜線の踏切で起きた、線路に倒れていた老齢の男性を助けようとして、40歳の女性が亡くなった事故。各社は美談として伝える報道が繰り返された。


NHKテレビより「引用」
4日の報道によると、安部首相は、「勇気ある行為とたたえ」「弔意を表す感謝状を出す」とのことだった。官房長官(菅は横浜が地元だ)も会見で、「他人に無関心な昨今の風潮の中で、自らの生命の危険を顧みす救助にあたった行為を称えたい」という趣旨の発言し、紅綬褒賞を贈ることを決めたという。

古屋国家公安委員長も「崇高な行為」という言葉を使った。




NHKテレビより「引用」
政府の対応や措置は、この女性の遺族にとっては、いくばくかの慰みになることは確かだろう。女性に対しては冥福を祈りたい。
人を助けようとする行動は確かに尊い。「誰かの役に立ちた」「誰かのために生きている」というのは、正に生きている意味そのもである。しかし、その意味で彼女の「気持ち」は、賞賛に値するものであり、素晴らしいと思う。
でも、と、考えてしまう。こうした「気持ち」は「生きていてこそ」のものだ。批判を恐れずにいれば、彼女のとった行動は、自らの命を顧みない、冷静さを欠いた軽率なものだったという面も否定できないだろう。とっさのことで、己の身の安全まで判断できなかったことは、十分わかるが、結果として、「正しい行動」だったかどうかは、評価の分かれるところだと考える。




NHKテレビより「引用」
NHKでは、「もし あなたら・・・・」と、街の人に問いかけるインタビューを行っていた。これは見ようによっては、「勇気をあおる」ようにも聞こえ、違和感を覚えた。(2日の午後9時のニュース番組)
司会の男性は「勇気」という言葉は使用せず、慎重に言葉を選んではいたが・・・・・。


「勇気」という言葉を“軽々しく”使用した安倍首相は、子どもたちに、こういう状況に遭遇したら、まず助けることを一番に考え、自らの身の安全はその次に考えればよいと教えろということなのか。

人はいつでも冷静でいられるものではない。特に緊急事態に遭遇した場合は、判断力が鈍ることも多い。だからこそ、とっさの場合は、一呼吸置いて、冷静に判断する力こそが求められるのではないか。

山に行って、自らの体を確保せずに、他の人をロープで支える人はいない。まず自分の安全を確かめて行動するのが鉄則だ。そんなことは山に登る人なら誰でも知っている。

踏み切りに限らず、線路内の事故の「救出死」は、しばしば起きている。

○2012年11月:埼玉・本庄市で落し物を拾おうと踏切に戻った70歳の男性を救おうとした主婦が、はねられ2人とも亡くなる。
○2007年2月:板橋区ときわ台駅近くでは、踏切に入った女性を助けようとした53歳の警察官が電車にはねられる。 
○2001年1月:山手線新大久保駅で、ホームから転落した男性と救助しようとした47歳のカメラマンと26歳の韓国人男性、3人全員が亡くなる。

それぞれ事情は違い、一概にみな「軽率な行動」と切って捨てることはできない。特に新大久保駅での事故は、ホームの構造から線路脇に退避帯がなかったことが災いしたと伝えられた。もしふつうの構造のホームであれば、助かった可能性も示唆されていた。

 だが、それでもこれらの痛ましい事故は、「美談」として語ることは慎重でなければなるまい。

飛躍するようだが、さきの戦争で、情勢の冷静な分析なく精神論だけで戦争に突き進み、敗戦後は勇敢な戦士たちを称えることばかりに心血を注ぐ、(主に保守と言われる人々)の心性に似ている。これはもしかしたら、日本人(という主体があるとするなら)のメンタリティーそのものなのかもしれないけど。そう考えると安倍首相が「勇気」という言葉を使った意味もわかってくるけど。


NHKテレビより「引用」




0 件のコメント:

コメントを投稿