2013年12月12日木曜日

川内優輝選手 「自己流」を脱して7分台をめざせ!

毎日webより「引用」
12月1日に行われた福岡国際マラソンは、思わず最後まで見てしまった。
20キロすぎ、ペースメーカーが外れて、飛び出した川内。しかしまもなく第2集団に吸収され、スパートは失敗に終わる。普通ならここで力尽きて、次第に遅れていくのだろう。
苦しそうな表情で何とか第一集団に留まっっていた彼を、ハラハラしながら見ていた。あの状況で、3位に入ったのは、上出来なのではないか?、シロウトとして見ているとそう思う。

さて、川内選手が今まで以上の成果を出すためにはどうしたらいいか。再び、BMIから考察してみる。一覧表をまた作ってみた。

 今回の選手のBMIを見ると、やはり川内は、少し高い。また朝日の記事によると、体重管理がうまくいかずベストより4キロオーバーしていたという。4キロの荷物を42キロ移動させる時のエネルギー(それがどのくらいだかは、私には計算できないけど)を考えると、自分が走っている経験則から言っても、やはり「重い」だろう。



マサシ、ギダウのBMIは18を切っている。女子選手並みだ。
シロウト判断だけれど、これから見るとせめt20を切る必要がありそうだ。
 
かつて川内を取り上げたテレビ番組を見た時、彼がてんこ盛りのごはんでカレーを食べるところやうどん屋でやはり大盛りのうどんを追加注文しているシーンがあった。

 試合前のカーボロディングだったのかもしれないが、それにしてもバカ食いが、選手としてのカラダを作るのに適しているかどうかは疑問だ。まず彼は、自己流を脱して、管理栄養士を依頼して食事改革をすることが必要だろう。それだけでも、記録は伸びる。


 私はべつに彼に五輪で出てもらって「日の丸」を掲げてもらいたいとは、思わない。ただ、ポテンシャルがあるのだから、市民ランナーとして、より上に挑戦してもらいたいだけだ。その過程として、五輪がひとつの目標になったり、また、宗 茂が言うようにナショナルチーム入りをするのも、手段として排除しない方がいいと思う。

朝日記事より引用
単純に体重を落とせば記録が伸びる訳ではない(だろう)。しかしマラソンでは非常に重要な要素であることは確かだ。
川内が食事を改善し、そしてトレーニングにも科学的な手法を取り入れたなら、きっと記録は伸びる。街場のランナーのはしくれとして、彼を応援したいし、記録を見てみたい。
ありきたりの言説だけど、市民ランナーとして彼がより高みを目指すことは、それだけ底辺でちょこちょこ走っているわれわれに希望と勇気を与えてくれるのだから。

2013年11月30日土曜日

50代からの「素足ラン」への道④ 「足底筋膜炎」になる

「足底筋膜炎」だと思う。
走りはじめて足掛け3年目。月間80~100㌔(夏はもっと少ないけど)の初心者ランナーを、“孤高”に続けているが、足の底に痛みを感じたのは初めてだった。

 
NHK-TVより「引用」
NHK-BSの「ラン×スマ」を見ていたら、「足底筋膜炎」という言葉が出てきた。これだ!。

 しかし、走れないという訳ではない。むしろフツーに歩いている時の方が軽い痛みがあり、走り始めると、あまり感じない。ベアフットランを心掛けていて、なるべくカカトからは着地しないようにして走る。自分のフォームが「正しい」のかどうか、それはよく分からない。本や雑誌で得た知識だけで、ひたすらそれをマネして走っているだけだけら。

 これまでの何度か経過報告を書いてきたが、ベアフットをはじめて初めに痛くなったのは、ふくらはぎの足の付け根付近の筋肉だ。それまでの「カカト着地ラン」では使わなかった筋肉なんだろう。いわゆる筋肉痛が起きた。しかしこれは慣れるにしたがって、鍛えられ問題がなくなりつつあった。

 もちろんそれでも、10㌔を超してベアフットを続けると翌日に痛みがあるので、まだまだ筋肉がついていないことが「痛感」させられる。それはそれとして、にわかに、足裏に痛みが出始めたのは、ちょっと驚いたし、「やっかいなことになった」と直感的に感じた。
痛みは医者に診てもらうほどではない(と勝手に思っている)。

 1週間ほど走るのを休んだけど、この軽い痛みは変わらなかった。なんと泳いでいる時も痛みが出たり、寝ていて「ちょっと痛いな」と感じることもあった。
 
 多くのランナーがそうだと思うが、走りをやめていると「もう走れなくなってしまうのでは」という、ある種の恐怖を抱く。これまで積み上げてきたことが無になってしまうような気がしてしまう。だから1週間あいて、トレッドミルで走った。意外に痛みがなかったので、現在は、これまでの走りを復活させている。これで「足底筋膜炎」は治るのだろうか。内心は少し心配している。
金さん教えて!

※これも「ラン×スマ」でやっていたのだが、片方の足に何らかのトラブルがあると、もう片方に負担がかかって、知らず知らずのうちにフォームのバランスが崩れたり、負担のかかった足にも故障を起こすことがあるという。これから長く走り続けるためには、気を付けなければならないのだろう。

※シューズの底が薄いのかもしれない。自分の実力では。
最初は、アシックスのNEW YORKから始めた。カカトが厚く、初心者ランには衝撃が少なかった。しかし、次第にスピードも上がってくるとちょっと物足りなくなり、底の薄い「中上級者」向けに変えた。これが影響しているのだろうか。(このことはまた、時間がある時にまとめてみたい)


2013年11月25日月曜日

「都営浅草線」という宿痾(しゅくあ)。

鉄道路線の相互乗り入れって、本当に「便利」なの?

“本当の”浅草線の駅はわずか15だ。
浅草線は、都営地下鉄としては最も古い路線だ。(以下この項はWikipediaからによる)
浅草線としては、大田区の西馬込から墨田区の押上まで、18㎞が「浅草線」ということになる。

しかし、この路線は西は京急線と、東は京成線や北総鉄道と相互乗り入れをしている。換言すると、三浦御崎から成田空港の先まで1本(本当は1本ではないであろうが比喩として)のレールでつながっている。先日、扉の上に路線図の駅の数を数えていたら、100以上あったように記憶している。

2013年10月16日 五反田駅の混乱

10月16日のあの台風一過の日。午前9時台いはほぼ雨も上がっていた。しかし電車の混乱は続いた。なんとか五反田までたどりついたが、浅草線は、人があふれ改札に続く階段を下るのもやっとだった。人の頭しか見えないところで、駅員の拡声器の声が、割れながら響いていた。

「電車は動いておりますが、五反田にまだ到着していません。到着してもお乗りになれるまでは30分以上お待ちいただきます」と。

地下鉄は比較的雨風には強いだろう。しかし東西に延々と続く私鉄と相互乗り入れしているこの路線は、非常に脆弱だ。

「直通運転」というとなんだか便利そう(「手打ちそば」がおいしそうといのと同じだ!)だが、これはなかなかくせ者だ。ひとたびダイヤが乱れると回復は容易ではない。この日ほど、浅草線の欠陥にまいったことはなかった。(相互乗り入れの弊害については、真の鉄っちゃん・原武史さんもどこかで書いておられた)

浅草線の入口は乗車のあきらめた人が戻っていった
しかし鉄道会社はなぜ、相互乗り入れにこだわるのだろか。シナジー効果で、その方が利用者が増えるということなのか。そうした信ぴょうが本当にあるのだろうか。

 通勤や通学で毎日のように利用する多くの乗客で、三浦海岸から成田までは行く者は、そういないだろう。鉄道会社は、マジョリティーな「固定客」利用者よりも、マイノリティな「一時的乗客」の利便を優先させているのだ。

これは、あたかも、サイレント・マジョリティーな一般“市民”の声よりも、一部の声高な“支持者”の声を優先させる政党の性質と似ている。

京急の路線
浅草線の相互乗り入れは、今に始まったことではない。おそらく古い方の部類だろう。だからこの「宿痾」とも言うべき、鉄道としての欠陥は、どうにもままならない。

路線図を見ればわかるだろう。これほどの複雑で長い、路線と東西でつながっている、いわばジョイント部のような浅草線は、「かわいそうな存在」としか言いようがない。なお京成のほか、こ北総鉄道ともつながっている。

京成の路線








2013年11月23日土曜日

都知事・猪瀬直樹は、「平気でウソをつく人」だということは分かった。

草思社文庫版も
出ています。
久々に朝日新聞のスクープを見た。
11月22日(金)の朝刊を見た、(朝日以外の)メディア関係者は飛び上がったのではないか。
猪瀬東京都知事が、徳洲会の徳田虎雄理事長から、5,000万円もの資金提供を受けていたのだ。しかもそれはいわゆる「ウラ金」だった。
NHKも朝のニュースではさすがに追えず、昼からなんとか報道していた。(他のメディアは見てないので知らないが。)

 その日に開かれた会見の模様は、多くの「都民」が見ただろう。あれを見れば、いかにその場しのぎの苦しい答弁だということは、子どもでもわかる。ここで多くを書く必要もない。

asahi.comより「引用」
このウラ金が、政治資金規正法など、法律的にどうイケナイことなのかどうか、専門家でないのでよく分からない。また倫理的、道徳的、社会的にどれほどイケナイことなのかは、それぞれ人によって感じ方や受け止め方も違うだろう。だから、そんなことは法律の専門家(司直というのだろうか)と、メディアと大衆世論に任せる。

これまでの報道から、ひとつだけ確実に分かっていることは、猪瀬は「平気でウソをつく人」だということだ。
 
 朝日の報道によると、当初、猪瀬は朝日の取材に対して「知らない」「知らないって言ったらしらない」と言いつのったという。(いま録音するのはあたりまえだから、証拠もあるだろうが、アサヒは、録音流出“事件”で痛い目にあっているから、そのことはおそらく絶対言わないだろうが)

一番問題なのは、何よりも、「平気でウソをつく」という性癖だ。
だれにでも間違いはある。(それが法に触れることであれば、それはそれで問題だけど)
都知事選挙に出る準備をしていた猪瀬の立場を忖度すると、選挙のシロウトとして、どのくらい資金がいるのか、どう用意すればいいのかおそらく不安だったのだろう。

 そして誰かの入れ知恵なのか、徳田虎雄に「おねだり」した。その気持ちはわからないでもない。猪瀬がかつて著書で書いているよに、ノンフィクションライターとしてデビューするまで、お金に苦労して、信用金庫でやっと融資してもらえた苦い経験があるからだ。

 しかし知事選挙は、本人も驚くほどの支持を得て「楽勝」だった。結果的にウラ金は使わなかった。そのカネは妻の貸金庫という懐に入れてしまった。

「せっかくくれたお金を、お金持ちの人に返すのもなんだから」というくらいの感覚だったのかもしれない。

しかし徳洲会に強制捜査が入り、怖くなった。慌てて返却した。そしてバレた。

ここまでは、選挙を戦う政治家にはよくある話なのかもしれない。(もちろんいいことではないけど)

しかし猪瀬はそのあとに、「性癖」が出てしまった。
「平気でウソをつく」という。

こういう人は、一刻も早く政治の場から退場した方がいい。ウソをつくことを何とも思わない人間は、行政の長としては絶対だめだ。
「過ちを改めざること、これ過ちなり」ということわざを、博学な猪瀬は知っているだろうに。

このまま知事に居座るようなら、「ミカドの肖像」も「道路の権力」も色あせたものになるだろう。残念だけど。


(追記)
23日(土)のNHKの朝のニュースでは、追っかけスクープが出ていた。「猪瀬の方から1億円要求していた」というのだ。猪瀬、早く知事をやめるべきだ。





2013年11月20日水曜日

スマホの「とりこ」になった “かわいそう”な人々。山手線でのある出来事から。

何があっても子どもだげは
守りたい。
先日、山手線でのある出来事である。
午前9時台に大崎から外回りに乗った。幸いドアのすぐ脇、車両の端の3人掛けの座席の一番扉側の席に座れた。次の五反田で、人が乗り降りするとき、無意識に開いていた新書本から目を上げると、若い女性が乗ってきた。この女性はそのまま反対側の座席の前に進んでいったが、私の脇を通る際、カバンに付けられた、例のアレ、ピンクの丸い「お腹にあかちゃんがいます」バッジがチラっと目に入った。

 彼女が立った前のシートには、若い男1人と女性が2人座っていた。3人とも、いわゆる「スマホ」をいじっていた。前に妊婦が立ったこと自体に気付かないのか、それとも気づいて無視したのかどうかは分からない。しかしその3人の誰も席を譲ろうという行動に出ることはなかった。

 電車は次の目黒で非常ボタンが押されたとかで、しばらく五反田駅に止まっていた。妊婦の前の席の輩たちはどうすか、しばらく見ていたが、一向に行動を起こそうという気配がない。そのうち停まっている電車には人がどんどん乗り込んできた。

わたしは、カバンで座席を確保してから、この女性の肩を軽くたたき、後ろから席を勧めた。ただそれだけの出来事だった。

 でも気分は非常に落ち込んだ。“若者”への怒りというより、悲しくなった。この国はそういう国なんだと思うと。

 この小さな出来事は、たまたま偶然、何千人に一人の性悪な若者が3人に遭遇しただけかもしれない。フツーならこんなことは起きないのかもしれない。それは分からない。でも実際に、そういう場面に遭遇すると、少子化なんて止めようがない。子どもを産むことがイヤになる国だと思ってしまう。この国は。

 スマホは人をとりこにする魔力を持っているのだろうか。席を譲るという行為だけでなく、電車内で、他人の行動をまったく気にとめない輩は、かなり見かける。扉の脇に立ち続け、乗降の妨げになろとおかまいなし。足を組んで投げ出しても平気。そんなんのはザラだ。毎日、通勤で電車に乗るたびに、“民度”の低さを実感する。

 スマホの魔力とはいったい何なのか。ここ数日、そのことをずっと考えていた。そして思いに至ったのは、スマホをいじる行為は「モノを考えない」ということだった。

 テレビジョンもそうかもしれないが、ネット情報やゲームを行う行為は、実は「考える」という行為ではない。単に情報をアタマに流し込んでいたり、画面に動物的に反応しているだけではないか。そこには「深く考える」という行為はない。だから、とりこになってしまった人々は、常識では考えられない行動を平気で行うのだ。それは、選挙でも一時のブームで投票する、中味よりも見た目や印象で選択する行為ともつながっているような気がする。

大衆は、スマホによって、ますます「大衆」に堕落していく。これが今の状況だ。
たかが(だと多くの人が思うだろう)、妊婦に席を譲るの譲らないのというたわいもない話かもしれない。譲らなくても、妊婦のカラダには何も影響がないかもしれない。それでも、それではいけないと「考える」ことが、重要なのではないか。

「自分はとりこになんかなっていない」と言い張る、スマホのとりこになったかわいそうな人たち。それを毎日眺めながら通勤している。


(追想)
 以前には、通勤に利用する池上線でこんなことがあった。私は車両の端の一番奥の席に座っていた。旗の台から妊婦が乗ってきてドアのすぐ脇、私の位置からは2人隣りの座席の前に立った。
この時、座っていたのは30前後の女性だった。明らかに妊婦と気が付いたようだったが、そのまま目をつぶり「寝たフリ」をしていた。結構、混雑した車内で、私の位置から声をかけるのがちょっと難しい感じだった。しかしこちらとしては気になる。2駅目で電車が止まった時に、声をかけて席譲った。そのあとは、「寝たフリ」の女性の前に立っていた。終点で降りる時、その女性が立ち上がったので、耳元で言ってやった。「鬼」と、ひとこと。

2013年11月19日火曜日

手打ちそばは本当においしいか? 「食材偽装」から考える(その2)

そばブームだ。
もうずいぶん前からだろうが。ふるさとの山形県には「そば街道」なる名称もあり、それぞれの地域で、自慢のそばを出している。
東京でもそれなりのそば店があるし、そば屋に関するグルメ本も出ているだろう。

そばを「語る」時、と言うか、そば屋のウリのひとつに、「手打ち」というのがある。

「手打ちそば」というだけで、きっと手作りだがらおいしいのだろうという気になる。反対に、「手打ち」と書いてないと、それは駅の安い立ち食いそば屋のそばとあまり変わらないのではないかという錯覚を持ってしまう。

「手打ち」は、“うまいそば”を連想させる装置になっている。

しかし「手打ち」であれば、そばはみなおいしいのかといえば、率直に言ってそうではない。
そば通の人の領域にはいかないが、それなりにそば屋を巡っている者としては、入って後悔した店も、結構ある。逆に手打ちでなくてもおいしいと感じたそば屋もある。

今回の食材偽装問題の一連の報道を眺めていて、この「手打ちそば」に考えが及んだ。高級ホテルやデパートの高級食堂で、“吟味された食材”の食事をしたことがないので、この問題は、「怒り」の対象ではなく、「笑い」の対象だったが、自分自身も「手打ち」という言葉に乗せられていたところがあったということだ。

「手打ちそば」信仰は、ブランド信仰や「血筋」「家柄」信仰にも通じる、心の弱い部分だと自覚しなければなるまい。


「言葉も食べている」(11月15日朝日新聞)というブルボン小林氏のコラムは秀逸だった。まさにわれわれ消費者一般大衆の“弱点”を指摘していた。
「ホテル空間」や「自家製」に惑わされる消費者真理の痛いところを率直に突いていた。

「偽装する店が悪い」と言っても何も変わらないことを、うまく表現していた。

2013年11月18日月曜日

意欲ある農家も大変だ。太陽のマルシェ、月島の野菜市を体験する。

山形・真室川町の「仁五右衛門芋」(さといも)農家。
11月の第2土曜日に、東京、月島の公園で開かれている「太陽のマルシェ」に行った。
http://timealive.jp/#Marche

 これは三井不動産が主体になって毎月第2土・日に開催している「日本最大級のマルシェ」というのが謳い文句だ。要するに 農産物を主体として「市」である。

この日は、曇り空で少し肌寒い日だった。昼前後のマルシェはそれでも結構込み合っていた。
周辺には、高層マンションが結構たくさんあり(俗に言うウォーターフロントということか)、また月島は古くからの下町住民も住んでいるところだ。来ている人の格好を見ると、「わざわざ遠くから」というよりは、近隣の住民が足を運んでいるように思える。
(高知市の「日曜市」を思いだした)

websiteもある
農家や加工業者?など全国の農業関係者が自慢の品を売っていた。
甘いフルーツトマトや金時いも、旬の果物など多彩な商品は、どれもおいしそうで思わず買いたくなるのだが、遠方より来た身としては、帰りの荷物の重さを思い、試食はすれど購入は正直ためらってしまった。しかしもし近くだっり、車で来ていれば思わず買っていただろう。

http://www.morinoie.com/

TPPで日本の農業の先行きを心配する人々がいる。ひとつは農協などの「既得権」勢力だろうが、そうではない、何ら利害関係がなくても、「自由化」が進むことに懐疑的な人々もいる。日本農業はどうなるのか、それは「やってみなければ分からない」としか言いようがない。

少なくとも、この太陽のマルシェに出店していた農家の方々は、「自由化」に対して反対か賛成かは、分からないが、農業に意欲を持って取り組もうとしていることは確かなのではないか。

自らが栽培した農作物を自信を持って、薦めていたように思う。
もちろん、ショーバイに慣れていない人たちもいて、その「薦め方」は一様ではないけれど。

それにしても、農業を継いでいくのは、タイヘンなことだと思う。
ブランド化、産地間競争、知名度アップ、販路の確保、マスコミで取り上げられるかどうか、有名レストランで使ってもらえるか、等々、ちょっと考えただけでの課題はたくさんある。

実際、マルシェを回ってみて、フルーツトマト(と言う名でもないところも含め)を扱っている屋台は4つか5つあった。金時いもも何軒かあった。

「皆さん頑張れ」としか、いち消費者としては言えないが、それでも消費者として意欲ある農家を支えていこうと思う。






結構な賑わいだった

流行りのドライフルーツ




どんよりした低い雲で少し寒かった

2013年11月14日木曜日

図書館の利用者は「お客様」ではない。武雄市の「TUTAYA図書館」から考える。

69年生まれの44歳。
東大経済卒の
総務省出身
 佐賀県武雄市の市立図書館が話題になった。TUTAYAに運営を委託し、開館時間を伸ばしカフェを設け、書籍・雑誌の販売も行い、Tポイントもつくという。

 こと「文化」に関することなので新聞なども敏感で、文化欄等で論評や論考を掲載している。

 その運営方法に対して賛否があるが、確かに、これまでになかったという意味では「革新的」だし、全国の注目を集めたのも当然だろう。
日ごろから地域の公立図書館の運営に不満を持っていてる身としては、どうなっているのか興味を引く出来事だった。

 

で、それこそ図書館で、「図書館が街を創る。~『武雄市図書館』という挑戦」なる書籍を借りて読んだ。まあ、官僚出身の若手市長、樋渡啓祐(ひわたり けいすけ)氏による自らの政策の自慢本だ。こ。が、内容はそれなりに参考になる。

 コミュニティーデザイナーの山崎亮氏との対談によると、樋渡市長が図書館改革に乗り出したきっかけは、自分が図書館のヘビーユーザーだったが、それに不便を感じたからだという。

○樋渡氏が市長になった6年半前は、図書館の年間休館日が94日あった。それを34日に減らすのも大変だったこと。
○開館時間は午前10時から午後6時。毎週火曜日が休館日だった。これでは特定の人しか利用できないので、午前9時から午後9時にし、基本的に休暇日も設けなくした。
○カフェ席を100か所設けて、くつろいで本を選べるようにした。k
○雑誌を600タイトルそろえた。

等々、「スピードこそが最大の付加価値」と言う市長としては、2期目の自信からなのか腕力でTUTAYAとの提携でこうした改革を行ったことが記されている。

武雄市図書館(websiteより)

長すぎる前振りになった。やっと本題。

私が普段利用するのは都内の港区と大田区の図書館だ。両者とも運営は「指定管理者」の業者が行っている。

それなりにサービスに力を入れていて、カウンター業務はどちらもスムーズだ。でも、どちらにも、多少不満があるし、どうにかならないかと思う。

原因は何かと突き詰めて考えた。それは「利用者」を「お客様」と勘違いしている、指定管理者、そして利用者自身にあった。

 みなと図書館では、「利用者」のことを、「お客様」と呼びかけていた。指定管理者の業者の方針なのか、それとも委託元の港区役所の要請かは知らないが、すごく違和感を覚えたので、春にアンケートが行われた際に書いた。以下その時の要旨。

▼図書館利用はお客様ではない。お客様などと呼ぶから、利用者はつけ上がり、本をぞんざいに扱い、平気で盗んでいく輩が後を絶たない。
▼税金で賄われている施設の、あくまで単なる利用者なのだから、「お客様」などと呼ぶのはやめた方がいい。
そう書いたからかどうか分からないが、最近は「お客様」を聞かなくなった。

大田区の図書館ではこんなことがあった。借りに行った本を前に担当者が「この本は、汚れていますのでご注意ください」とぬかすではないか。見ると、おそらくコーヒーか何かをこぼして濡れたようだった。私は怒った。「借りた本を汚したのなら、弁償させるのが、まっとうな対応ではないか」なぜ、そのまま受け取り、また貸し出すのか。責任はどこにあるのか、と。

どういう場合に、弁償させ、どういう場合は見逃すのか。その基準はるのかないのか。聞いても納得いく答えは返ってこなかった。指定管理者の業者にどこまで権限があるのかさえ分からなかった。

 図書館は公的施設として開かれた場所だ。だから無料で本の閲覧、貸し出しを行う。それは法律でも決まっている当たり前のことだとう。だがここに落とし穴もある。

 行政は住民サービスの向上を目指し、「民間の知恵」を入れ、業者に委託する。(もちろん経費の節減が主目的なのは承知している)。受諾した業者はサービス向上に努め、「利用者」を「お客様」などと呼ぶトンチンカンな習慣ができたりする。また、お客様だから、少々「商品」が汚れたくらいで、「客」に弁償させるようなことはしない。

こうして、横柄で無神経な「客」が横行する。彼ら(大衆的人間)は、タダなら何でもやっていいと思っているから。

小雨が降り始めているのに、自転車の荷台にそのまま書籍を入れて帰っていく年配男性を見かけたこともある。本を汚さないために袋を持ってくる人など、あまり見かけない。

***************
武雄市の取り組み、図書館革命はよく分かった。開館日や時間の延長など、サラリーマンが利用しやすくする取り組みは大事だ。年寄や無業者のためだけに図書館があるのではない。主たる「納税者」にもっとサービスの目を向けるのは当然だ。

こうしたサービス向上には人件費がかかりなかなか難しい面もあろう。どう折り合いをつけていくかは、それこそ委託元の行政が知恵を絞るべき問題だ。

そして大田区図書館には、ひとつ提案したい。閲覧、貸し出し業務はとりあえず現行の時間でいいから、学習スペースは夜9時まで開けるべきだ。

せめて年末年始は、学習スペースを開放すべきだ。
29日から3日までしっかりお休みする大田区の図書館って何?。
日本は1月から本格的受験シーズンだ。頑張る学生に、行政ができるせめてものサービスだろう、場所を提供するのは。





2013年11月12日火曜日

「食材“偽装”“事件”」を笑う。そんなにタイヘンな事件なのか?

 プリンスホテルから端を発し、阪神阪急ホテルズに飛び火し、そしてすべての(と言っていいほどほとんど)のホテルやデパートまで広がった、いわゆる「食材偽装事件」。世間はなぜそれほど大騒ぎするのか、私にはよく理解できなかった。

 なにしろ生まれて半世紀、「ブランド食材」を目当てに、高級ホテルやデパートなどで食事をした経験がいっさいないし、基本的に「高いものは食べない」ので、偽装が発覚したことがどんなに「悔しい」ことなのか、さっぱりわからない。

アサヒのwebsiteより
偽装(メディアによっては虚偽表示などとトーンを落としているところもある)が、良いことだとは思わない。(あたりまえか)。でも昔からそんなのいくらでもあったではないか。

 食べる方も、それをお約束で食べていたのではないか。私はデパートやホテルのステークホルダーでも回し者でもない。彼らを擁護する気はサラサラないけれど、大騒ぎしている人々には、へきへきする。

 おそらく「高級」イメージのある場所での事件だったから、大衆は怒ったのだろうか。あるテレビニュースでは、「一生に一度あるかなかいの晴れの席で、大金を払って食べた高級料理がウソだったなんて許せない」という「消費者」の感想を紹介していた。

 他の番組では中年の女性アナウンサーが「消費者は怒っています」と、特集の前触れで唸っていた。きっと彼女は、頻繁に「高級食材」の料理をレストランで食べているのだろうと、思ってしまった。

みんなで誤れば怖くない
景品表示法では、グレーゾーンが多くて罪には問えないと、いろいろなメディアで伝えていて、だから「道義的責任」を声高に言うメディアすらもあった。

 ただ、新聞もテレビも次第にトーンが落ちてきている。さほど問題なことではないと認識しだしたためか、あまりに「告白」が多くて、ニュースバリューがなくなったためか、それとも、デパートやホテルレストランは、東京など都市部の新聞の折り込み広告では貴重な収入源になっているから、あまり騒げないことに気付いたのか、それらがミックスされた結果なのかどうか。

とりあえずお客様に頭を下げるポーズ
いずれにしても、大騒ぎする消費者に、またまた日本人の「大衆的振る舞い」を感じてしまった。それまで有り難がたがっていた物に何かあると、「けしからん」と180度態度を豹変させて大騒ぎして、事態を一層混乱に陥れるのが大衆だ。

 ちょっと卑近な例かもしれないが、(これは以前にも書いたが)、福島の有機栽培農家の食材を購入していた消費者が、原発事故があったという理由で、放射能の影響がない農家の食材までも「拒否」して引いてったのと構図は同じだ。いわゆる「風評被害」といういうのは、まさに「大衆的振る舞いによる被害」だから、当然と言えば当然なのだろう。

ちょっと話がそれました。

 さて、食材偽装をなくすにはどうしたらいいのか。法律を厳しくするのか。いやそうではないだろう。もちろん最低限守るべきことは決めなければならないが、あまりに細かく「決まり事」を作ると、それは社会的コストが上がるだけでなく、消費者にとっても、それこそ味気ない食生活しかないだろう。

AERA 11.19号より引用
ブランド食材をありがたがる風潮そのものが、今回の「事件」を生んだ背景のひとつだ。言ってみれば裸の王様だった大衆が変わること以外に、表面だけ「お・も・て・な・し」の文化はなくならないだろう。

 ホテルやレストランは寡占市場ではない。選択肢が著しく多い業界だ。あまりに「高級」をありがたがらない「心掛け」があれば、あとは自然淘汰されるだろう。
評判の店は繁盛するし、おいしくない店はやがてなくなる。これは当たり前のことだ。

※ただしこの業界にも例外がある。大都市のターミナル駅など好立地で、しかも一見さんの客が多いところは、マズくても生き伸びている。こうした店を見分けて避けるのは、結構難しいかも。

 その意味では高級ホテルや高級デパートの「食堂」は、それだけで好立地であり、ブランドにあぐらをかきやすかったという背景があるのも確かだろう。

 AERA11月19日号の記事はそれなりに面白かったが、一番、同意したのは、巻末のコラム「ぐっちーさんのここだけの話し」だった。
「引用」しておこう。



一応謝ればヨシ
「オレのせいじゃねーよ」と心の中で叫んでいる

2013年11月11日月曜日

マナスルに登頂したイッテQのイモトに「嫉妬」す

マナスルは、世界第8位、8163m。日本の今西壽雄氏(1914-1995)が初登頂したので、日本人にはわりとなじみのあるヒマラヤの山だろう。ネットで今西氏のことを調べていたら、websiteまでもあった。
http://toshio.imanishigumi.co.jp/

去年9月には12人の死者・行方不明者を出す大事故も起きている、決して簡単な山ではない。(8000m級の山なのだから、あたりまえだけど)

そのマナスルに11月10日(日)の日本テレビの「世界の果てまでiイッテQ」で、イモトがなんと登頂したのだった。

 思わず見てしまった。そして、単純に彼女たちに「嫉妬」した(笑)。

 だって、山好きの人にとって憧れであるヒマラヤに行って、そして登頂までするんだから。フツーの会社勤めの人間には、1か月の休みをとって、隊を作ってヒマラヤの高峰を目指すのなんか、なかなかできることではない。

それを(彼女自身が言っていたように)、バラエティー番組で、お笑い芸人がやってしまうのだから、こちらは心穏やかではいられない。オレだって行きたいよ、と。

もちろん、シェルパがルート工作をしてフィックスロープを張り、危険なセラック地帯には梯子もかけられ、そして酸素ボンベもつけての登山だから、いわば「お客さん登山」だ。竹内洋が無酸素、アルパインスタイルで登るのとは訳が違う。

しかし、それでも8,000mまで行くというのは、一般の人(山をやらない人)が考えるよりはずっと大変なことだ。それを多くの人々に支えられながらも「成し遂げた」というのは、けっこうすごいことだ。(と思う)

テレビで見る限り、イモトはそれなりに根性があり、かつ冷静に行動のできる人にみえた。よく登ったと思う。本人は三浦雄一郎とはモチベーションが違うと、あまり乗り気ではないようなことを言っていたが、どうしてなかなか、実は登りたかったのではないかと思ってしまった。
身体もスリムで普段から節制していることが伺える。

嫉妬はしたけど、とにかく「登頂おめでとう」とは記しておこう。



2013年11月9日土曜日

人口減少社会で「定常型社会」の実現は・・・考えてしまう

「人口減少社会という希望」(広井良典 著)を読む。

図書館で少し待って借りることができた。
奥付けを見ると、すでに3版だ。この手の本としては売れているようだ。

 広井さんは、成長型経済ではなく、定常型社会の必要性を説く方として知られている。日本の人口は今後確実に減ることが分かっていて、これから少子化対策が“万が一”功を奏しても、実際に増えだすのは何十年先になるかわからない。
  だから経済も縮小に向かわざるを得ない。よって定常型社会、ひとことで言えば経済成長がなくても「幸せ」になれる社会を目指すべきだし、それしか道はない。というのが一般に理解されている主張だろう。

総務省のwebsiteより

 理念としてはよく分かる。人が減るのに経済のパイを増やすのは限界があろう。
しかし世の中はまだ「成長経済」以外の経済のモデルを持っいない。だからアベノミクスも「成長」を謳い、財界も労働者も大衆もみなそれに群がる。

広井さんの考え方がいまひとつ「支持」を広げられないのも、経済学者の間で、「成長」以外に経済モデルを見出せていないからかもしれない。

大竹文雄さん(大阪大学教授)は、最も信頼できる経済学者のひとりだが、この人をもってしても、やはり将来世代のためには、成長はある程度必要だとおっしゃっている。(私は、こちらの主張をいくらか支持している。)

とはいえ、この書著ではいくつかの知見を得た。巷間言われていることもああるが、改めて気づかされたことも多い

○日本の高齢化率はやがて40%前後で「高値安定」する。
 人口トレンドで見ると2030年に高齢化率が31.8%だったものが、2050年には39.6%に上昇する。しかし2100年の推計でも40.6%である。つまり今後高齢化率は2050年ごろまでは上がり続けるが、その後は50年で約1%上昇と、上昇率は非常に緩やかになるというものだ。

 ここから導きだされることは、われわれは高齢化率が約40%の社会を定常化した世間として、社会構造を考えなければならないということだ。

 そのモデルはすでに地方都市にあるだろう。また一口に高齢化社会と言っても、高齢者も元気な人が増えることが“期待”されるので、実体としての高齢化率は、低く見積もれる可能性がある。
(余談だが、私の祖父は中卒で働きだし、60で引退し隠居した。その後13年生きた)。清家篤さん(慶応義塾塾長)が唱えている、「生涯現役社会」を実践している人もこれからはぐっと増えると思う。

○日本にとって1億2,000万人の人口が「適正」か?。
 「人口減少」というが、今の人口が絶対維持されるべき水準ではない。英、伊、仏はほぼ6,000万人代、ドイツが8,000万人台。国土面積は英、伊は日本より小さいが、仏は1.5倍、独がほぼ同じだ。1億2,000万人いなければ日本が維持できない訳ではない。

 ただ、「減っていく」という現実をどう乗り切るかという長いスパンの問題は決して小さくない。縮小経済を乗り切るのは、容易ではない。その辺については広井さんはあまり言及していない。定常型社会に至る過程は険しい道のりなのかもしれない。


○日本は意外に「貿易立国」ではない。
 日本の輸出依存率は意外に低い。2009年で11.4%、60年が8.8%、70年・9.2%、80年・9.2、2000年・10.1%であり、「高度成長期に特に高かったわけではない」と指摘している。ちなみに2009年で見ると、韓国42.4%、中国24.5%、ドイツ33.6%、アメリカ7.4%だという。中国、韓国の好調な経済は輸出に過度に頼っていると見ることもできるし、日本はこれから輸出に「延びしろ」があると言うこともできるのだろうか。

 ただ、注意しなければならないのは、この数値は「GDPに対する輸出額割合)であり、中国や韓国より先に「豊かになった」日本の数値が低いのは当然なのかもしれない。今後、中韓の国内がより豊かになってGDPを延ばすと相対的に輸出依存度は下がることも考えられる。
(広井さんが自論を展開するために恣意的にこの数値を出したということではないだろうが、統計数値を見る時は注意が必要だ。)


○「地域でお金を循環させる」。
 これはよく言われるコミュニティー経済であり、これからサービス中心の経済構造になっていく中で、必然的にそうなっていくものかもしれない。しかし、結構それは悩ましいし、そう簡単な話しではない。
 現代生活を維持するには、モノは必然的に必要だし、原始的に生きていける訳でもない。例えば自動車ひとつをとってみても、これからはCO2を出さない車、衝突防止装置の車が「地域」でも必要になるし、そうし「道具」は一定の期間を経て更新が必要だ。モノ作りの革新は、経済活動全体の中では相対的にその割合は低下するだろうが、かなりの部分として残さなければならないし、それは「地域経済」の中では回っていかない。その折り合いをどうするかを今後論じる必要があろう。

 ネット販売による「地域外へのお金の流出」も無視できない。地方にいて気づくのだが、東京や大阪と圧倒的に「現物」の種類が違う。欲しいものを購入するには、やはりネットに頼るというのが現実だ。それは地域外へお金が流出することを意味する。若い人に「この地域にあるもでガマンせよ」なんて、何の説得力も効力も持たないだろう。

 広井さんは、地方に定着する若者が増えていると、最近の傾向を見ているが、もしそれが本当としても、地方にいてもネットなどIT環境が整っているから、地方に若者が不便を感じなくなっているという面も見逃せないだろう。何しろ生活コストは大都市に比して格段に低い。


○消費税の必要性について(別項で考えてみます)


○余話
ちょうどNHKの教育テレビで、「亀田音楽学校」http://www4.nhk.or.jp/kameon/
というのを放送していて、そこに吉幾三の「おら東京さ行くだ」が、紹介されていた。80年代前半の若者の気持ちを、ある面では見事にとらえていた、歌だったとつくづく思う。
https://www.youtube.com/watch?v=wQ2zeulYjnI




2013年10月24日木曜日

やまがたまるごとマラソン 参加の記

公式HPより
42.195㎞を走りきるという感覚を私はまだ知らない。未知の世界だ。
50を超してから本格的に走り始めた者にとって、まだ3年足らずの経験は、ハーフマラソンに己を留めている。
 で、3度目のレースも、ハーフだった。10月6日、「やまがたまるごとマラソン」
タイムはネットで1時間45分23秒。ほぼキロ5分で走ることができた。前日まで風邪気味で、宿泊先のホテルで夜、悪寒がしていたのだが、なんとか力を出し切った。

長々書いている参戦記の駄文は別項に載せるので、ここではハーフマラソン参加の「教訓」を簡単に記したい。シロウトランナーの私は、どうもう本や雑誌に書いてあることを信じたがるし、メーカーの宣伝にものせられてしまう。いろいろためしてみた結果が以下のような「知見」になった。

○カーボローディング
公式HPより 小柄な野口さん
あまり意識しすぎるとかえってよくないと思う。当日エネルギーを蓄えれば十分だ。雑誌に載っているように3日前から炭水化物を摂ると(もちろんこれはフルのケースが書かれているけど)、かえって体重が増えてしまい、タイムを落とす。エネルギーの補給はハーフならば当日で十分なのではなか。

○レース前、中のエネルギー補給
後半のスタミナはやはりエネルギー補給があるといい。
今回は、朝食(午前6時半:スタート2時間半前)ではごはんを軽く1膳とわかめたっぷりの味噌汁、納豆、野菜サラダ、トマトジュース、それにミニクロワッサン2つとコーヒー2杯。(ホテルのバイキング)をとった。
そしてレース直前にはアミノバイタル・スーパースポーツを摂取。
レースにはアミノバイタル・パーフェクトエネルギーをポケットに入れて走った。これは15㌔の標識を過ぎたあとのエイドステーションで水分補給で立ち止まった時に、一気に補給した。しかしタイミングとしては、少し遅かったかもしれない。

※アミノバイタルについて
 私は「味の素」の回し者でも、熱烈なファンでもない。たまたま以前東京で買って、自宅に置いてあったモノを持っていっただけだ。前日、山形駅前のマツモトキヨシと、住宅地の地元大手ドラッグストア「ヤマザワ」を見たが、アミノバイタル系のサプリは売っていなかった。

容器が小ぶりなのでレースに持って走るには、ちょうどいい大きさだ。グリコの「1 minutes」は、東京でもドラッグストアではほとんど見かけない。

顆粒状の「アミノバイタル」は、普段水泳の前に飲んでいる。


○やはり、ハーフでも後半は「筋肉勝負」だ。
 12㌔付近から川沿いを遡る緩い坂道が2キロ近く続いた。ここでスピードを落とす人々が数多くいた。この時モノを言ったのが金さんの本に書いてあったように、やはり筋肉だ。結果的にスピードを落とさず走り抜けた。
  筋トレは、平均すると2週に3回程度行ってきた。トシをとると筋トレをしても、あまり「鍛えられた」という実感はわかない。でも、わずかだがすこしずつウェイトをあげていった。どの程度の筋トレか、別稿で整理したい。

○トシ寄りにはスパートは難しい。
 最後の5~6㌔になり、川沿いの緩い下り坂でスパートした。この時の目標は時計を見て、1時間45分以内だった。しかし、スタミナが残っている割には、あまり速度は稼げなかった。スピードに足の振りが追い付かないのだ。
 レース後、5キロごとのラップを見てみると、確かに5キロで1分半ほどタイムを縮めてはいるが、自分で思ったほどにはスパートが切れなかった。12㌔~13㌔が今の自分の有酸素運動と無酸素運度の境目体力なのかもしれない。
まあ、キロ5分以上の“スピード練習”などまったくしたことがないのだから無理もないけど。21キロメートル全体のスタミナ配分を考えるのは結構難しい。

5㌔ごとのラップは15㌔から上がった
○体のケア
ワセリンは足指とゼッケンの安全ピンがあたる胸に塗った。
ゴールした時、爪は痛くなっていたが、その他はあまり痛みは残っていなかった。翌日になっても足の筋肉に疲れはさほど感じなかった。

○やまがたまるごとマラソンについての感想。
初めての大会だったが、県庁の所在地の山形市中心部での開催で、主催の市だけでなく、県も何かと後押ししていたみたいで、結構大きな大会になっていた。仮設トイレも多く、また荷物の預かりも体育館を利用してきちんとしていた。記録は5キロごとのラップを出してくれるのもよかった。
公式サイトを見れば、すぐにアップされていた。また参加者を名前やゼッケン番号から検索できるのもよかった。

○ゲストランナー「野口みずき」さん。
野口さんが、あまりにも小柄だったのには少々驚いた。この体格で、オリンピックで優勝したのかと思うと、すごい。スタートは偶然にも私の近く(群衆の中間地点)だったので、5キロ付近くらいまで、彼女の集団にくっついて走った。ほぼキロ5分くらいのペースで走っていたようだ。ゴール直前では立ち止まって「ハイタッチ」のサービスをしてくれていた。