2015年5月26日火曜日

ボディービルダー、オードリー春日はすごい。文句なくすごい。

TBS系の「炎の体育会tv」でオードリー春日の「ボディービルへの道」を放送していた。(5月23日)

春日はすごい。並大抵の努力では、2年足らずでこの身体を作ることは、なかなかできないだろう。

①トレーニング
番組によると、ほぼ毎日2~3時間の筋トレを行っていた。それだけ時間があるなんて言っては失礼だ。仕事以外の時間ほとんどを費やして、ひたすら筋肉増強に取り組んだ努力はすごい。

②食事制限・・・これがすごいところだ!
食事は鶏ササミ肉と卵、キャベツだけ。
食べるという動物にとって最もと言っていい「欲望」=食欲に打ち勝つのは、なかなかできることではない。これは最後の減量期の一番キツイ食事なのかもしれないが、
カラダの脂肪を落とすために、かなりの食事制限を行ってきたことは想像に難くない。
これには、かなりの忍耐力と胆力が必要だ。
ネットより「引用」

筋肉を付けている人は、結構見かける。簡単とは言わないが、トレーニングをすれば筋肉は付く。たいていは筋肉の上に脂肪もある程度まとっている。
しかし春日(や他のボディービルダー)のように、ここまで脂肪を落とした人はなかなかいない。
大会に出てくるような人たちは、みな同様の努力をしているのだろうが、相当な苦痛を伴う生活だと思う。

「苦痛」とは、痛みということではなく。「欲望に打ち勝つ」苦痛だ。食べたいと思うものを食べないのはストレスでもある。

ボディービルはこの2つを成し遂げて初めて成し遂げられる。

他のスポーツのアスリート、たとえば水泳やサッカー、野球などでは、トレーニングはタイヘンでも、その代償として、食事はストレスを解消するものとして、(もちろん栄養バランスを考えて)好きなものを食べることができるだろう。
他のスポーツにしても食事制限がここまで極端なものは、私は知らない。
しかしボディービルは、アスリートとはちょっと違う。“余計な”脂肪を落とすために、極端な食事制限をしなければならないのだ。
その努力=欲望との闘いは、並大抵のことではできない。

また、春日がエライと思うのは、番組では、そうした苦労をまったく見せずに笑顔でいたことだ。
「オレはこんなに頑張ったんだぞ」なんて表情は見せず、あくまでお笑いタレントとして振る舞ったところに共感する。
「イヤー、タイヘンでした」などと言ったら、彼の魅力は半減する。苦労したところを見せず、訴えず静かに「結果」だけを示していた。
それはまた、この番組の構成・演出、もっと細かいことを言えばVTRの編集が巧みだったかもしれない。

ちまたでは、「私を認めて」という承認要求をする人があふれかえる世の中で、彼は静かに、そうした風潮にアンチテーゼを示したのだ。大袈裟に言えばね。

オードリー春日は尊敬に値する。

ちなみに60間近の私は、週に2回のちょろちょろした筋トレでは、体脂肪を10%に保つのがやっとて、腹筋もうっすら4つに割れたように見えるくらいだ。なかなか道のりは遠い。トホホ
57歳間近のmy body 週2回の簡単筋トレでこのくらい






2015年5月25日月曜日

『大阪都構想』の“否決”は、「シルバー民主主義」の勝利!?

大阪人(「大坂人」と書くのだろうか)は、なんて辛抱強い人たちなんだろう。そうでなければ、忘れっぽい方々なのか。

同じような高層ビルを建てて破綻したり、水道事業が並んであったり、大阪の納税者は、よくこれまで暴動を起こさないで来たと感心してしまった。どう見てもオカシイことがまかり通っているのに。

大阪市の負の遺産を、まとめている方がいらしたので、リンクを張らせて頂きます。
http://kyoneshige.hatenablog.com/entry/2015/05/10/201723

これを見ると、大阪市民でなくても「怒り」が湧いてきます。

かつて、大阪市職員用の「カラクリ背広」を民放で報道していたが、ほとほとあきれてしまった。胸ポケットの所に「大阪市」のマークか文字だか入っていて、市の業務用の「制服」のおうだが、このマークは、裏替えしてポケットの中に納まり、「征服」はたちまち「背広」として使えるというモノだった。こういうのを世間は「セコイ」と言うのじゃないかな。

それだけではない、ネットで検索すれば職員への福利厚生名目のお手盛りがわんさか出てくる。
そうしたことを大阪府民や市民はみな許してしまったのだろうか。

こちらは、当時のニュースを見返してください。
http://www.asahi.com/money/aera/TKY200503030172.html


橋下氏を好きか嫌いかという感情論は脇に置いておいて、彼の掲げた「改革」は傾聴に値するものがあったし、動機も意義も十分説得性を持っていた。

なのに負けた。これは彼のけんか腰の手法が、結果的に失敗したからだと多くの新聞で論じられていた。
確かに、良いか悪いかという単純な2分法に問題を落とし込み、勝負をしたのは、どうかと思うし、それで負けたから、「潔く引退」というのも、結構無責任な対応だ。

手垢のついた言説(だけど大切)を借りれば、民主主義は時間がかかるし、継続性が大事だし、「丁寧な説明」や「説得」が必要だ。そうしたものを、放棄したとは言わないが、軽視した手法はいただけない。

それはそれとして、敗因を別の視点から見ることもできる。

住民投票翌日のNHK総合テレビ「クローズアップ現代」では、投票結果に地域差が出たことと、高齢者が、老人のための補助金が減らされるのではないかという「心配」から反対に回ったことをインタビューなどで構成していた。

NHKの報道を前提にすると、反対したご老人方は、これまでの二重行政の「ムダ使い」や地方自治の将来のあり方ということより、目先の自分たちのための「補助金」がどうなるということが、もっぱら関心事だったということが見てとれる。
これを巷間では「シルバー民主主義」と言うのだろう。

もし住民投票が18歳以上で実施されていたら、結果が違ったかもしれない。(「かもしれない」という仮定を前提に論を展開しても、なにも建設的でないことが分かっているけど。)

反対する政党の市議団の方々は、若いのにそうした、「ご老人のご心配」に訴えて反対の論を展開していた。橋下構想に代わる、地方自治の青写真を示していたようには見えなかった。

自分たちの目先のことしか「見えない」お年寄りの勝利。『大阪都構想』は、こうして終わった。

○もちろん、そうでない年配者もたくさんいることは承知しています。



2015年5月19日火曜日

使ってみました「キャタピラン」。意外な発見と効用

キャタピランを3足のランニングシューズと1足のビジネスシューズで使っている。以下は、その体験から感じる「長所と短所」と、意外な発見。

長所:これはキャタピラン自身が言う「ウリ」そのものだけど、とにかく走行による靴ひもの緩みは起きない。またそれぞれのパートで絞め方を調節できるのがよい。もちろんキャタピランのコブの間隔での調整になるが、その幅もよく考えられていると思う。

一度使うと手放せないスグレモノと言ってよい。開発者に敬意を表したい。発明と言ってもいいくらいだ。

短所1:セッティングに多少時間がかかる。また脱ぐ時もきちんとヒモをずらして脱ぐ必要があるので少し時間がかかる。まあこれはキャタピランを使う以上、致し方のないことなので短所と言ってはメーカーに失礼かもしれない。

短所2:寿命が短い。ゴムなので使っているうち伸びてきて調整が変わってくる。それだけコストもかかるということだけど、もちろんこの短所は、使用を止めるほどの理由にならない。

使ってみて気づいたのだが、面白いことに、フィットするシューズの方がキャタピランが長持ちする。

ASICSのシューズは、足底の形状が合わないだけでなく、足の厚みもあまりフィットしていなかった。キャタピランで調整すると、どうしても強く絞めることになる。
当然、ゴムが弛緩してきてしまう。

ところがNBのRC1100では、さほどきつく締めなくても、足がずれずにフィットする。だからキャタピランも長持ちする。つまりキャタピランの使用は、そのシューズが自分に合っているかどうかのメルクマールになっているのだ。
これは意外な発見だった。

●ビジネスシューズでの使用について。
仕事用の靴は、一度ROCKPORTを使うと、老人ランナーは、他の靴底の硬いものが履けなくなる。いまは、ほぼ
ROCKPORTの2足を交互に使っている。

一つはスリップオンだが、もう一つは紐靴だ。ヒモ靴は結構めんどうだ。いちいち締めるのは手間だし、かといって緩めて使っているとカカトが浮いて気持ち悪い。

そこでキャタピランの短い(50㎝)のブラックを使用した。
ビジネスシューズでもそうヘンには目立たないし、しかも脱着がラク。これはなかなかよい。

キャタピランの用途は広い。
今後、登山靴用のものも出てきてもいいのではないか。現在のものを使えなくはないだろうが、重登山靴となるとちょっと強度に不安もある。

トレイルラン用のシューズならまったく問題ないだろう。私が夏場、履いているスカルパの軽登山靴も悪くはないが、締める手間とどうかどう比較の問題だろう。

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ところで、ランナーの皆さん。『足』または『脚』の悩みはありませんか?。

走ることを初めておよそ5年。この間、アシの悩みは尽きない。
教科書通りということか、
最初は膝の外側のスジが痛み、その次は、足の甲の痛み。
そして足底腱膜炎は、痛みがなくなるまで8か月近くかかった。

多摩川(下流域がホームグラウンド)や皇居を快適そうに走っている老若男女を見ていると、この人たちの足指や爪は何ともないのか、ちょっと見せてもらいたくなく。

そう、一番の悩みは「爪」の破壊と、マメだ。

足指の形が一般的な日本人とは違い、薬指が異常に長い。
そのためなかなか合うランニングシューズがない。

①最初に買ったのは、初心者ランナー用のASICS「NEWYORK」だ。

最初に買ったシューズ。
あまり靴底は減らなかったので、
今はランニングからは「引退」させて、
車の運転や自転車の時に使っている。

通常靴は26㎝を履いているが、アートスポーツで進められたサイズは27㎝。これで半年ほど走った。しかし、しばらく走っていると27㎝でも薬指が当たりだした。

原因はいくつか考えられるが、靴ひもが緩み、足が靴の中で前に出てしまうことが一番大きいような気がしていた。しかしこのころはせいぜい5㎞か、目いっぱい走っても10㎞程度だったので、さほど苦にならず、あまりケアはしていなかった。

 このころはASICSが、自分の足に合わないとは、まだ認識していなかった。

②次に買ったのは同じASICSの「FEATHER FINE2」。少し型落ちして安くなっているのを買った。これは初めてハーフに出場するためで、NEWYORKでは少し重いと感じて買ったものだった。

しかしこれでも薬指の爪がやられてしまい、生え変わるまで8か月以上かかった。

③ 3足目。
またまたASICSの「SKYSENSOR-GRIDE」だ。結構軽く、アートスポーツではキロ5分前後の人用となていた。基本は{FEATHER FINE2」と同じコンセプトだった。しかしこれもまた、薬指が当たってしまった。

なんでこの時、またアシックスを買ってしまったか、今でも自分で不思議でたまらない。
普通に考えれば、アシックスで2度も爪をやられていたら、少なくとも違うメーカーを選ぶのが当たり前だろう。しかしアシックスを買ってしまった。

自己分析すれば、あまりにもランニングシューズの種類が多くて選べなかったということなのだろう。よく言われるように、人は選択肢が多すぎると結局、同じものをまた選んでしまうという心理。

人によってこの傾向に程度の差はあろうが、私は、結構これが強い、いわば『保守的』人間なのだろう。

コンビニで選ぶ昼食の弁当やサンドイッチ、洋服、などなど、思い返してみるとあれこれ迷った末に「いつもの」に落ち着いてしまう。このクセが、論理的はオカシイことは分かっていながらアシックスになってしまったのだ。(と、思う)



走り始めて、足の変化はいろいろ出てきた。左足の小指の付け根と親指の付け根の関節が外に膨らんできたので。これがスキー靴が当たる原因にもなってきて、いろいろ不都合なことになってきた。

半年ほど前、足底筋膜炎がなかなかよくならないのと、小指の付け根にできたふくらみ(軟骨というでしょうか?)が痛くて、普段の生活でも支障が出るほどになったので、慈恵会医科大学病院の「足の外科外来」に行った。外反母趾ではないという「診断」をもらった。

付けねのふくらみの痛みは、3か月ほどで「固まり」そう痛くはなくなった。つくずく人間のカラダって、適応能力が備わっていることに感心したものだ。


○4足目
NBの軽量。 トップランナー向きだけど、
私のようなC級ランナーでも十分使える。
ビクトリアお茶の水で、年配の小柄なランナー店員の方に進められたのが、ニューバランスの「RC1100」だ。これは片足285gと非常に軽い。上級者向け(キロ5分前半)だし、ソールもレース仕様でポチポチ(としか表現しようのない、小さなゴムの鋲になている)になっているので、とラーニングで履くのはもったいないような気もしたけど、これにした。


この時、店の人に勧められたのが、むしろサイズを落としてぴたりの方がいいということ。
26.5㎝にして、しかも2E幅を進められた。確かに締め付けがあり、履き心地の安定感はあるが、ちょっとキツイ気もした。しかしシロウトの悲しいところろ、言われるままに買ってしまった。

これで山形まるごとマラソンを走った。
しかしこのNEW BALANCE のシューズはなかなか良い。軽いこと。そして、少々きついがフィット感が自分の足には合っている。つま先の形状がしゃもじ形のためか、問題の薬指は当たらない。しかしレースを終えて、靴下を脱いだら左の親指が当たっていていた。トホホ。

紫色に変色した大きな爪。これが生え変わるには1年を要したように思う。しかも再生された爪はいまだに小さなもの。元の立派な爪にはなっていない。

ランニングによって手に入れた「心身の健康」の代償は、足爪の喪失という事態である。まあこれもしょうがないかな。

今、次に狙いを定めているのがアディダスのブースト系のシューズだ。夏の賞与で買うつもりだ。








2015年5月10日日曜日

山形・月山の異変。こんな5月は初めてだ。春スキーから異常気象と温暖化を考える。

2015年5月6日:姥ケ岳のピークから見た月山山頂(右奥)
日本海側(西側)にはほとんど雪がついていない
2015年5月6日。大型連休の最終日に、毎年の恒例になっている月山春スキーに出かけた。

朝6時過ぎに山形市を出て、山形自動車道をゆっくり西川町に向かい、自動車専用道路の終点から、昔のいわゆる六十里超えの道を月山に向かう。

しかし、何かいつもの年と比べてヘンだ。ふもとの弓張平のグラウンドのところにはほとんど雪がない。アレ、と思いつつ志津の集落まで進んでも雪がまばらにしか見えないのだ。

山形市から車を走らせながら遠くに月山を仰ぎ見た時は、そうした変化には気付かなかったが、近づいてみると、明らかに今年は雪が少ない。

2014年5月4日:月山山頂を臨む
この年も雪が少ないと感じたの
だけれど、更に少ないとは…。

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右の写真は、去年(2014年)の5月4日に撮影したもの。上の写真と撮影位置は異なるが、山頂への斜面の雪が明らかに違う。
感覚的には1か月アト(6月並み)の雪しか今年はなかった。
これが、たんなる、年による「違い」ならばいいけど・・・。
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さて、
志津の集落を過ぎ、つづら折の道の高度を上げていくと、いつもは両側に表れる、雪の壁もほとんどない。午前7時半前、姥沢の駐車場に着く。気温は、朝はやはり低い。けっこう凍えるほどで、しっかり防寒の準備をした。

2015年:リフトの下り場にある「月山」の看板。
周りの雪はスキーヤー用に運んできている。
山スキー(最近はバックカントリースキーというらしい)、シール、兼用靴(スキー靴と登山靴の兼用のブーツ)用の12本爪アイゼンを準備し、おにぎり2個とパンと500ccのお茶などを持ち、リフト乗り場までの300m余りに雪道をあるく。この辺は例年と変わらない雪の量に思えた。

8時から動くリフト。乗客としては2番目だった。前には中年男女の登山客のみ、スキーを持った者としては1番乗りだった。この時間のリフトおり場はまだまだ寒い。天気はいいが風が少し強い。

驚いたことにいつも一面雪に覆われているリフトおり場周辺に雪がないのだ。見慣れた看板もしっかり地面が出ている。スキー客のためにブルドーザーで運んできた雪で、雪道が作られている。
こんなことは30年近く月山に通っていて(毎年ではないが)、初めてのことだった。

2014年5月4日:山頂への斜面。
下に見えるのが姥ケ岳だ。
スキーをザックの両脇に着けて、ツボ足で、姥ケ岳まで直登した。20分ほどで到着。日本海が霞の向こうにかすかに見えた。見慣れた光景だが、何回見ても、すばらしい景色だ。好きな場所のひとつだ。

駐車場からの見えた月山の山頂方面だが、改めて目をやると、もう南斜面の上の方には雪がついていない。どう見ても1か月先の光景だ。これでは山頂を目指すスキーヤーはいないだろう。
(冒頭の写真が、その時の光景)

去年、ここに来たのは5月の4日。前日降雪があり、宿で気を付けてくださいとアドバイスをもらったくらいだった。この違いはなんなのだろう。

2015年:姥ケ岳から庄内平野と日本海を臨む。
普段はこちらの稜線は一面白なのだが・・・・。
降雪量は例年“並み”にあったように、感じていた。4月の気温が異常に高かったことが原因だろうか。全国的に高温が続く中で、山形でも大型連休前後から25度前後の気温になっていると天気予報で言っていたように思う。

山頂を目指すのはやめた。スキーをつけて、姥ケ岳をくだり、最近月山ではやりの「コブ」を練習することにする。まだスキーヤーもまばらだ。雪も比較的締まっている。浅いコブを選び、練習した。
気温はぐんぐん上がってきた。朝は寒く感じたのがウソのように、暑いほどだった。

1度少し休んで、リフト回数券7回分を滑り終えたのが11時半すぎ。持ってきたおにぎりはリフト小屋併設の食堂で豚汁を頼んで食べた。早めに帰ることにする。

駐車場から、志津集落まで滑って下りられる「清水コース」は4月30日に閉鎖されたと看板があった。
このコースは、ブナ林の中を滑って下る、非常に気持ちのいいところだ。車で上がってきてしまったので、もとより滑って降りる訳にはいかないが、連休中、このコースを楽しみにしていた人もいるだろうに。

2014年5月4日:月山の広い稜線にあがり、山頂はすぐそこ。
山小屋や社の埋まり具合からすると、まだ相当雪はあった。
以上は、今年はひとりで行った月山春スキーの記だけど、それにしてもこの異常気象は尋常ではない。あまりに高温が続くと、山形ではこれから田植えの季節、夏の高温障害などもあるのではないか。さくらんぼの生育も心配だ。


 農業についてはシロウトなので適当なことを言っているのかしれないが、例年と違うというのは、農家にとって神経つかうことだけは確かだろう。

簡単に言うと、春がなくて冬からいきなり夏になる感じ。これは東京でも感じているが、つまり温帯から亜熱帯に東日本もなりつつあるということではないか。
2015年:ふもとの弓張平。例年に比べこの時期としていは、
極端に雪が少ない。桜が咲いていた。
(奥にかすかに月山が見える)

高知に2年ほど暮らして、冬からいきなり夏の感覚は経験している。5月に引っ越して、子どもが幼稚園に行く時にはすでに夏服の季節だった。そして6月に入るとすぐ「プール遊び」が始まったように記憶している。

 こうした気象状態がじわじわ北上し、日本列島全体が亜熱帯になることも絵空事ではないだろう。現実に月山の雪から感じているのだ。いずれ月山の春スキーなんているものもなくなってしまうかもしれない。

わたしたちはこの異常気象を止められないか。
先日のニュースで地球の二酸化炭素の濃度が過去最高になったと伝えていた。↓



http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150507-00000029-jij_afp-env
世界の大気中CO2濃度、月平均で最高値更新 米NOAA
AFP=時事 5月7日(木)13時52分配信

生きる世の中にさまざまなリスクがある。もちろん原発も「大きな」リスクに違いない。しかし地球温暖化は、ひとつの側面から見れば、更に大きな「リスク」なのではないか。温暖化による異常気象で起きる災害死、砂漠化による干ばつで起きる飢餓。

ひとつのことに目を向けて「危険」「やめるべき」という主張は、それ自体は正しいかもしれないが、『全体最適』として見た場合は、また違った見方が出てくる。

原発はないに越したことはない。この考えに同意するが、人類がエネルギーの欲望から逃れられない中で、リスクを除去する方法のひとつとして原発はハナから排除する考えには同意できない。もう少し深く考える必要がある。

5月の月山の、あの雪とブナ林のすがすがしさを、子どもだけでなく、その次の世代にも末永く味あわせてあげたいから。

今年は“残念ながら”単独行となった。
愚息は「受験勉強」

2013年5月5日の月山(姥沢の駐車場から)
右奥のちょっと見えているのが月山主峰
雪の量が今年とまったく違うのが分かる