2016年1月30日土曜日

東急電鉄という体質④ 「雪」であらわになった最悪組織

netより「引用」
●池上線の悲惨な状況
2016年1月18日・月曜日の朝、雪の東京。通勤で混雑する鉄道は、その対応のまずさから混乱を極めた。特に東急と京王の対応は、ひどいの一言だ。
「東急電鉄という体質④」として、その報告・分析をする。

雪のため、徐行運転するのは分かる。また特急・急行をやめてすべて各駅にするのも分かる。これだけなら、さしたる混乱もなく運行していただろう。
すでに朝6時すぎには降雪は雨に代わっていて、線路が雪でアブナイという状態ではなかった。シロウト目にはもそれは分かった。事実JRなどは遅れがあったもののまあまあフツーに動いていたのだ。


しかし現実は違った。
『間引き運転』という、利用者無視のご都合施策が、大混乱を招いた。
電車の本数を普段より大幅に減らしておいて、一方では改札規制もしなかったら、どうなるか。小学生でもわかるロジックだ。

少なくと東急・池上線、雪が谷大塚町駅では7時20分すぎの状態で、改札規制は行われず、運行に関するさしたるアナウンスもない状態だった。当然ホームに下りきれない人々の群れで、階段から改札付近のスペースまで人であふれかえる。

NETより「引用」(イメージです)
改札口からやっとの思いでホームに下り、かなり待ったところに電車がやってきた。間引き運転しているから当然、大混雑だ。降車客がいてもホームの人間の2割も乗れない。
あきれるのは、アナウンスは(録音していた訳ではないので記憶の範囲だけど)、「後続の電車もご利用ください」と繰り返していた。間引き運転していて、いつ来るかわからない次の電車を待つよりもと、多くの人間が乗り込もうとする。

 ようやく扉が閉まり動きだししても、次の石川台、洗足池、長原と、どの駅でもかなりの時間停車してやっと動き出す。そして旗の台。ここまで40分近くかかった。
ついにここで電車は動かなくなったのだが、アナウンスが、迂回をススメながらも、しばらく待てば動くような「期待を持たせる」言い方だった。だから混雑の中、我慢して待った。乗客の判断は分かれた、動かないことを見越し、大井町線に回る者と「待つ」者だ。当初後者を選択したが、結果的にそれは失敗だった。
 アナウンスは、なおも運行を打ち切ったとは言わなかった。最初、しばらく停車しますと言っておきながら、そのうち「発車にはなお相当の時間がかかる見込みです」という言い方に変わっただけだ。この時、「少なくとも〇分は発車できない」とか迂回路の大井町線や東横線の運行状況を分かりやすく伝えていれば、状況は違っていただろう。

 今にして思うと、運行打ち切りはあたり前だ。あの異常な混雑の電車を動かしても次の駅でやはり動けなくなるのは容易に想像できる。さすがに東急もこれ以上動かすとけが人が出ると判断したのだろう。実際、私の乗っていた車両では、押された重圧で悲鳴に近い声を上げる女性の声が聞かれた。だったらなぜ打ち切ると言わなかったのか。

NETより「引用」
旗の台駅に止まったままの車両の中で20分ほど待ち、結局あきらめて駅を出て五反田までぐちゃぐちゃの中原街道の歩道を歩いた。幸いゴム長靴を履いていたので、足はぬれなかったが、ゴム長で4キロ近い道のり歩くのはしんどかった。しかも横殴りの大粒の「雨」は降り続いていたのだから。五反田から山手線。遅れ・徐行はあったが、通常の朝の混雑程度で目的の駅まで着けた。

●東急の「失敗」はなんだったのか。
 
 運行のまずさだけでなく、情報を曖昧にしか伝えない姿勢、すべてに対応のまずかさがあった。
これこそが「東急電鉄という体質に他ならない」

今回の雪ではじめに携帯電話に「お知らせメール」が来たのは前日17日の午後9時20分すぎだ。表現は「雪のため遅延や運休の恐れがあります」というものだった。しかしおそらく東急幹部はこの段階で早々と「間引き運転」を決めていたのだろう。
東急幹部もただの人だ。物事の判断を決めずにおくと、モヤモヤ感が残り自分自身にもどかしさが残る。決めてしまえば、次にモノゴトが進むので、あるめんスッキリする。天気予報は繰り返し、翌日の大雪を報道している。「早めの対応」が「良いこと」と勝手な思い込みで、東急電鉄のモノゴトが進んだ。そこには月曜朝の乗客の状況や、天気が好天した場合の人の行動への想像力が皆無だった。おそらく間引き運転を決めた幹部は、自分の早めの「判断」を「迅速な決断」とでも思ったのだろう。知恵のない人間だ。
「翌朝は間引き運転」ということが現場の人間に伝わるとどういうことが起きるか。「やった仕事がラクになる」と、少なからぬ労働者は思ったことだろう。何しろ朝動かす電車が少ないんだから。気の回る現場長は、早々と間引きダイヤに合わせた人の配置を決めたのかもしれない。それが労働者への「誠意」だとも思ったのだろう。
 しかし天気は幸いにも好転した。未明の雪は夜明けごろには雨に変わり、線路が雪で運行に支障という状態ではなくなった。普段の利用者の多くは、おそらくそうした天気を見て、通常の雨の時くらいの遅れくらいにしか思わないだろう。事実、いつもの月曜朝と同様の人々が駅にあふれていた。
しかしすでに「間引き運転」を決めていた東急に、その後態勢を立て直すことはできなっかた。いやしなかったのだろう。一度決めたことを再び元に戻すのは相当なエネルギーがいる。現場で働く者のモチベーションをもう一度あげるのは容易ではない。
「なんだ、運行本数を通常に戻すなら、最初から間引きするなんて言うなよ」と“上司”への恨みが先に立つ。
そして間引きは続行された。しかも「お知らせメール」など、利用者への情報伝達手段はさまざま進化しているのに、そこでは曖昧な情報しか載せず、いわば自分たちの失敗を誤魔化している状況では混乱を招くのは必至だ。


駅員など現場の彼らに文句を言ってもしかなたい。何も考えずに上からの「指令」で、決められたことしかできない輩に、文句を言うのはウサばらしにしかならない。彼らに当り散らすほど落ちぶれてはいない。ただ睨みつけてこちらの「意思表示」だけはしたけどね。

東急の混乱ぶりは、この地域独占企業の体質そのものから出てきた、いわば当然の結果なのだろう。
電力の小売り自由化が始まり(それが良いことかどうかは留保するけど)、来年には都市ガスも自由化されるらしい。で、今や地域独占企業の「雄」となった鉄道会社。

これだけの混乱を招きながら、簡単なお詫びをウェブサイトに載せただけだ。おそらく間引きを「決断」した幹部は、何もお咎めもなくノウノウとしているに違いない。もしかしたら今でも早めに「決断」したことを、けが人は出なかったからよかったくらいにしか思わす、正しい判断だったと思い続けているかもしれない。

●構造化されている、地域独占電鉄会社の「体質」
私鉄の「目的」はは何か。それは乗客を増やすことと、事故なく安全に「運行」させること。突き詰めるとその2つに尽きる。東急はまさにその目的に向かって「全力東急!(投球)」している。

前にも書いたが、乗客数が減ることはそのまま運賃収入に直結する。企業としては売り上げを減らす訳にはいかないので、如何に乗客を増やすかが、ほとんどの唯一の目的だ。

人口減少社会で、黙ってても沿線の人口が増えて乗客数がそれに比して増える時代は、すでに遠く過去のものになった。では、どうすれば乗客は増えるのか。
・他路線との相互乗り入れを推し進め、「利便性」をウリに増やす。
・路線を延長して利用可能者を増やす。
・イメージを上げて不動産開発を進めて沿線人口を増やす。

 路線を延長するのはもはや望めない。フロンティアはもはなくなった。そうすると残るは沿線人口の増加と、相互乗り入れによる「利便性」の向上だ。
だが相互乗り入れは、もろ刃の剣だ。乗り入れた沿線から人を吸収できればよいが、逆に吸収されてしまうこともある。東急は日比谷線と「決別」し、副都心線や東武と結んだのは、乗客の利便性を追求したからではなく、その方が乗客が増えて得だからにすぎない。
ありていに言えば、北千住やその先の千葉住民より、埼玉県民の方が横浜中華街に来たがるだろうし、北千住の先にはビジネス街はないが埼玉新都心にはそれなりの企業群があり、東横線沿線に住んで通う人も出てくるだろうという読みだ。
乗客を増やす施策は、「より利便性を増した東横線」という、利用者へのメッセージにすり替わる。
「安全運行」は、利用者の命を守りたいからではない。事故を起こした時の損失・イメージダウンを防ぎだいというのが第一の目的だ。(ホームドアもまたそう)


●結語
『間引き運転』に戻ろう。
なぜ降雪が雨に変わり、それほど運行に支障がないと思われるのに『間引き運転』が続けられたか。おそらくこの企業には、一度決めたことは容易に変えないという体質がこびりついているのだろう。地域独占企業は、それでやってこれたということだ。
市場や利用者のニーズをいち早くくみ取る、臨機応変の対応なんて必要がないのだ。

この組織がどうなっているか知らないが、そういう体質の「指令」の任にある者が、、前の晩に天気予報を見て、早々と翌日の徐行運転と急行などの休止、間引きを決めただから、動きようがない。

利用者の立場に立つアタマがみじんもない幹部は、「安全は確保される」という自己弁護的事なかれ主義を「前意識」で貫いたにすぎないのだ。

代替の製品が他にあるものならば、以後、不買を貫くということもできる。しかしこの地域に住む以上、東急を利用せざるを得ない。くやしいけど小市民のは「東急様」のお世話になる以外、生きる道はないのだ。


2016年1月23日土曜日

軽井沢バス事故、「原因」ばかり追求するメディアの愚。

YOMIURI ONLINEより「引用」
15人もの若者などが犠牲になった軽井沢のツアーバス事故は、1週間たっても連日メディアでは「原因」を巡って報道が続いている。

・ギアがニュートラルになっていた。
・時速100㎞を越えていた、等々。
メディアの言うところの「新たに分かった事実」として報道されている。原因を追究することは一見、一番重要なことに見える。確かに事実関係を明らかにするのは大切だ。しかしメディアがそればかりに囚われているのは、「真理」を追究するという観点からは見誤る。

 メディアのそうした「原因」報道の、出どころはほとんどすべて「警察の調べ」だ。警察の交通課のやる仕事を報道しているにすぎない。

 事故→警察の仕事→マスコミのいわゆる「サツまわり」(多くは若手の記者だ)の記事。という構図の中でこの報道は消費されている。メディアにとっては警察情報は言ってみれば一番「確実」な情報であり、「間違いない」報道ができる「便利な情報源」だ。ほとんど予想の範囲を越えない事故の「原因」ばかりをテレビのキャスターたちが、いかにも深刻な顔をして、伝えている姿は滑稽でさえある。

 アドラー心理学を持ち出すのは、いささかオカト違いかもしれないが、原因論より目的論の方が、真理に近づくのではないか。

死亡した運転手は「大型バスには不慣れだった」という「原因」が語られるが、「不慣れな運転手」がみな大事故を起こすのだろうか。違うだろう。この運転手の「目的」は何だったのか追求することこそ、真相に迫ることだ。それは「事故原因」を調べる警察情報を伝えるほど簡単な話しではないのは分かる。しかしその困難さを追求することこそメディアの役割だろう。警察調べは別に今の時代メディアを介さなくても開示されればいい情報だ。

NETより「引用」
①運転手が予め決められたルートの高速道路ではなく碓井バイパスを走っていたのはなぜか。
②なぜ100㎞ものスピードが出されていたのか
③ギアがニュートラルになっていたのはなぜか
目的論的に今回の事故を考えるとうこいうことになる(のではないかな)。

①なぜバイパスを走ったのか。
大型バスはUターンが難しい。一般道を走行していたバスが入るべき高速の入り口を間違ってやり過ごしてしまった場合、どうするか。よく知った道ならば、どこまで行けばUターンできる。戻れるということが分かるが、知らない道だと難しい。まして国道18号線の碓井バイパスの登りに差しかかると難しいだろう。運転手にはバイパスを行くしか選択肢がなかった。(のではないか)
それとも、高速道路料金を節約するため、あえてバイパスを行ったのか。そうだとすると高速料金の負担は個人持ちだったのか。もしくは領収書なしで経費がもらえる仕組みで、彼は「節約」したのか。
②なぜ100㎞も出ていたのか。
碓井バイパスはずっと登りが続き、軽井沢に出る最後のところでとつぜん下りになる。(確か)。大型バスが坂を上るのは相当な馬力が必要だ。アクセルを目いっぱい踏み込んで走っていかのかもしれない。それが急に下りになった時、うまく対処できなかったのではないか。登りが急に下りになると、ついスピードが出すぎてしまうということは運転ではよくあることだ。

③なぜギアがニュートラルに入っていたか。
バスのようにエンジンや駆動軸が後ろにありギア操作が前(運転席)にあると、ギア操作が難しい、つまりギアが入りにくいということが(少なくとも昔は)あった。だから運転手はよくダブルクラッチを分でいたのをよく見た。クラッチを踏んだままギアを変えるのではなく、いったんニュートラルでペダルを離し、改めてクラッチを踏んでギアを入れるのだ。
スピードが出すぎて、減速するためにシフトダウンをしようとしてギアが一瞬ニュートラルになったが、うまくシフトダウンしたギアに入れることができなかった。その間に下りでスピードが増し、しかもカーブでハンドル操作をしなければならなくなり、どちらも中途半端になってしまった。
などが、シロウトでも考えつくことだ。

これらは想像でしかない。ブログだから勝手なことを書ける。マスメディアはそういう訳にはいかないことは分かる。しかしそれを様々な「傍証」を集めて、説得力ある「推論」を構築することこそ、メディアの役割なんじゃないですか。
 警察発表と、犠牲になった方々の「お涙ちょうだい」話しばかり垂れ流すマスメディアは、ますます信用を失うだろうし、次第にメディアそのものが飽きられ、視聴者・読者は離反していく。まあそれでもいいけど。そんなのカンケーないから。




2016年1月1日金曜日

元日の多摩川を走り初め

ガス橋から少し下った所(大田区側)
全国的に初日の出が見られた所が多く、比較的穏やかに明けた2016年。東京の西のはし(西東京市ではありません。)の大田区も、天気のよい夜明けだった。

 ということで、ルーチンワークを大切にする朴念仁としては、切り餅2コと雑煮を食べてから、朝9時過ぎに、ランニングに出かける。
さすがに元日午前中の多摩川はまだ人もまばらだった。いつもの丸子橋を渡り、右い折れてその丸子橋の下をくぐって“下流”に向かう。橋の下にはいつものホームレスの方、おふたにの姿があった。

 ひとりは6年前に走り始めた時にすでにいた女性で、もうゴミの山としか思えない荷物を橋の下に並べている。よく生きているもんだと感心しるほどだ。もう一人は比較的若い(40歳くらいか)男性で、同じ丸子橋の大田区側に住み着いていたのだけれど、橋の塗装かなにかの工事が1年ほど前に行われた時に居場所を失って、対岸に越してきた人だ。メガネをかけていて、いつも座って本を読んでいる姿ばかり見る。いったいどういう人なのか気になるが、声をかける勇気もなくいつもよ横目で見て通るだけだ。

ガス橋付近(川崎側)から上流を見る。人影もまばら
そんな2人の姿を2016年も「確認」して、ガス橋を目指す。河口に向かう風が結構強いようだ。河川敷のススキが斜めになって揺れていた。
ランニングをしている時、追い風は意識されない。自分の足が軽くなって調子がいいと錯覚する。その錯覚を意識しながら走るが、左足のモモの下の方の中の筋肉に軽い痛み(といっても違和感でいど)を感じていたので、ペースは緩く走った。キロ5分10秒~20秒ペースか。

 ガス橋を渡り、再び大田区側に移り、更に多摩川大橋を目指す。川沿いには大規模開発のマンションが並んでいる。きょうは軽くと思っていたけど、追い風効果とスローペースでまだまだ距離は出せそうなので、大橋を通り過ぎで六郷橋方j面を目指した。きれいに弧を描くように大きく湾曲したこのあたりは、道幅も広く、走りやすい。しかし風を受けやすいということもある。右手に富士山もよく見える。きょうは、ちょっと立ち止まって携帯電話で写真も撮った。そばで誰かが「北アルプスが見える」と叫んでいた。おそらく南アルプスか八ヶ岳くらいではないだろうか。いくらなんでも北アルプスまで見えない(と、思う。)
ガス橋(大田区側)から上流を見る 左の高層ビルは新川崎あたり

湾曲部を過ぎ、大田区の六郷グラウンドの端まで来たところで、引き返す。計算ではこのあとルーチンのコースを行けば、だいたい18㎞くらいだと勘定していた。
さて、川を上る方向を向くと、はたして向かい風の強さには予想以上だった。なにしろ湾曲部の風が吹きぬける所では、なんとカラスがホバリングをしていた。
トンビみたいに羽が大きくて滑空性能がいい鳥は風上に向かって絶対速度をゼロにするホバリングをするのをよく見かけるが、カラスがしているのは初めてみた。瞬間は風速15メートルくらいあったのではないかな。

前回のRUN(12月27日)では、向かい風に抗って頑張って走ったら、12~3㎞で失速。足にダメージが来て、そのあと帰宅までの3㎞ちょっとがつらかった。その時のモモのインナーマッスルの疲労がまだ残っていたので。今回は風にまかせてペースを自然に落とした。キロ5分30秒~40秒だ。でも少し慣れてくるのと、大橋を渡って川崎側を遡ることには風がいくぶん和らいできて、多少ペースは上がった。それでも無理はせず、18.8㎞で帰宅。2016年初日としてはまあまあかな。

六郷橋とガス橋の間(大田区側)大きく湾曲している。