2016年10月29日土曜日

25年ぶりの北岳

広河原から見上げる北岳「意外に近くに感じる」
この夏、25年ぶりくらいで、北岳に登ってきた。
東京から1泊2日で北岳・間ノ岳をゆく「弾丸登山」。(7月31日―8月1日)
朝4時すぎ、自宅を出発。中央高速経由で、北岳登山のターミナル芦安の集落に6時すぎに到着。
 日曜日なので、広河原行きのバス停近くの駐車場はほとんどいっぱいだったが、奇跡的に1台空いていた。朝早くから誘導の人がいて、駐車。バスの時間まではまだだいぶあった。1便は5時半に出ている。往復で2時間はかかるので次の便は7時半台だ。でも乗合タクシーが待っていた。6人先着がいて、私と息子で8人。あとひとり来れば出発してくれる。ほどなくもう一人来て、バスで行くより1時間近くはやく出発できた。幸先いいスタートだ。

 広河原のビジターセンターで用を足して準備を整え、出発。橋を渡る手前で撮った写真がこれだ。(上)

大樺沢を登りきったところ
早くも目前に北岳が迫る。それだけ近いが、急登だということでもある。
川を渡って登山道に入り、**コースを進む。最初は緩やかな樹林帯だ。昨日までの雨のせいか少しぬかるんでいるが、歩きにくいというほどではない。

 大樺沢 左俣コースを行く。例年より雪が少なかったのか、河原の水は少なくガレ場の急登が続く。剱岳以来の2年ぶりの本格登山。この日に備えて普段から筋トレとランニングを行っているが、やはり実戦は違う。明日で58歳になる身体には少々きついというのが正直なところだ。
 それでもまあまあのペースで登っていく。1便のバスで来た人たちを少しずつ追い越していく。
二股でトイレに行こうと思ったけど混雑。あきらめて登り続ける。

大樺沢ルートの後半 梯子が続く
その後愚息にアクシデントが起きた。受験勉強で少々鍛え不足のためか、足(ふくらはぎ)に痙攣を起こす。山岳部で一応部長も務めた息子は、普通に登ればペースははるかに私より早い。ついていけないほどだ。実際、登り始めではどんどん置いていかれ、途中で待ってもらうという有り様だった。しかしその息子も浪人生活で、山は久しぶりだ。水分不足というよりは単に登りの筋肉をしばらく使っていなかったための痙攣のようでった。

 しばらく休めば何とかなると思い、5分ほど休んであと私は先にゆっくり登ることにした。幸い大樺沢は一直線で見通しが利く。息子には十分休んでから来るように告げた。しかし焦りもあって十分回復しないうちに再び登り始めたため、調子がでない。そんなこんなの繰り返しで、ようやく梯子場まできた。
真横から眺めるパッドレスはさすがに大きい
その内息子の痙攣も回復してきた。北岳パッドレスがよく見える。2人ほどテラスにいるのが見えた。行ってみたいという気持ちはあるが、それは単なる憧れのレベルだ。これから多くの時間を費やして訓練してそしてガイドにお願いして登るという人生の選択肢はないだろう。まあ、この目でナマで見上げるだけだ。

 予想に反してこの日は天気はまあまあだった。翌日に通過するが、荷物を乗越にデポして山頂まで往復した。山頂についた時にはガスが濃く何も見えなかった。
そして北岳山荘まで下る。帰るだけなら肩の小屋に行けばらくだが、翌日は間ノ岳にも行くつもりだから、来た道をもどった。
北岳山荘はメチャクチャ混雑していた。手続きをとるのも30分近く待たされた。この日はカレーしか用意できないということで、値段も少し安かった。

一度目の“登頂”
当てがわれた場所は屋根裏。布団の幅は確保されたが、何しろ天井まで60㎝くらいしかない。ほふく前進と言うのだろうか、はいつくばってザックをずらしながら行くしかない狭いところだった。フトンを敷いて横になるとまだ4時半だがすぐウトウトして眠りについた。息子も同様だ。1時間近く寝てから荷物を整え、ヘッドライトを出して夕食への準備をする。そして妻にメール。便利になったものだ、ちゃんとメールできるんだから。

夕食はやっぱりカレーライスと味噌汁。少々物足りないけどそんなもんだ。我々のテーブルは他は韓国からの登山客だった。南アルプスでなくわざわざ北岳に来るのだから、山好きだというだけでなく、それなりに日本の山や山小屋にも慣れている人たちだろう。味噌汁をこぼして大騒ぎしていたけど漬物をまわしてくれたり親切な人々だった。

夕食はちょっと貧弱。
夕食ちょっと外に出てみた。星は見えなかったけど天気が悪いというほどではなかった。考えてみると私にとっては2年ぶりの登山だ。息子も同様だ。受験勉強という通過儀礼は大きい。
人生の残り少ない身にとってはあまりにも長いブランクのような気がした。

寝床に戻るとそんなことを考える余裕もなく、8時前にはほどなく眠りについた。夜中なんども目が覚めるが身体がくたびれているのでまたすぐ寝る。3時ごろには目が覚めたら、3時半に電灯が付いた。間ノ岳、農取岳と縦走する人たちはそそくさと出ていく。我々も4時過ぎには準備を始め、荷物をまとめてから食堂に並んだ。小屋に荷物を置き、6時すぎに空身で間ノ岳に向かった。意外なほどアップダウンがあったけど2時間ほどで往復した。

8月1日朝4時ずぎ、小屋から富士山が見えた
少し休んでからザックを背負い、今度は北岳山頂に登り返す。天気はさほどよくないが気持ちのよい登りだった。9時半ごろだったろうか山頂で記念写真をとって、下りに入る。

 2年のブランクで一番つらいのは、やはり下りかもしれない。前に足を出すのは普段のランニングや筋トレでなんとかなったが、足でブレーキをかける運動は普段はあまりできない。ストックを出して支えながらの下りとなった。結構シンドかった。

 途中小雨にも降られたけど、それでもまあ順調に下り、2時すぎには広河原まだ戻ってこられた。運よく乗合タクシーもあり、無事、登山終了。芦安のバスターミナル脇の休憩施設・白峰開館の共同風呂に入った。しかしこれが結構クセモノだった。トホホ。あれで600円も取るのかと思った。湯船も洗い場も狭い、脱衣所も貧弱。2日間の山行の疲れをいやすには少々ガッカリだ。汗臭い身体を洗い流すのが精いっぱいだった。帰り道に「金山沢温泉」というちょっとイイ日帰り温泉施設があった。駐車場も広い。なんだここに来ればよかったと、息子と嘆いて芦安を後にした。
「後悔先に立たず」なんてて、たかが日帰り湯のことで使うのもなんだけと、正直ガッカリだった。知らないというのは恐ろしい。

帰りの中央自動車道は、月曜日だったこともあり、まあ順調だった。

北岳そして間ノ岳。58歳の誕生日直前に息子と登った経験は、自分にとって、それはうれしいひと時だった。


 冒頭にも書いたけど、約25年くらい前に一人で登った時は、秋ということもあり、広河原までマイカーが入れた。確か10月始めごろだったと思う。
 ひとりで車を運転して狭い林道を行くのは少々怖かったような記憶が甦ってきた。北岳山荘には5,6人しか泊まっていなかったと思う。

当時の写真を探してみたくなった。











もう来ることはないだろう・・・。時間があれば違う山に行くから