2017年6月17日土曜日

「最も危険なアメリカ映画」は米近代史の教科書だ。

 最初にアメリカに触れたのは、本多勝一氏の『アメリカ合州国』だったと思う。合衆国ではなく「州」だといちゃもんをつける本多氏の主張は確かにそうだった。そのタイトルだけでなく南部を歩くルポは、若い自分にとって新鮮だった。手元にないのでネットで調べると1981年刊となっている。すでに大学生だったのか。でも未熟な自分は、キング牧師の名と黒人解放くらいは知っていても、それ以上の具体的な出来事やアメリカの暗黒な歴史までの知識はなかった。
 
 「ドライビングMissデイジー」は、1989年の映画だ。
なぜだか印象に残る映画だ。DVDで2回観てしまった。
白人の警察官が「ユダヤ人と黒人の組み合わせか」と嘲笑するセリフが、この映画の背景のすべてを物語っていた。
『ドライビングMissデイジー』
(※追記:この印象深い映画も、見方を変えれば(町山さん的に解釈すると)、白人国家にあって、あるべき控え目で従順な、“模範的”黒人像を描いていると言えなくもない。またそういう見方はある面当たっていると思う。)

 と、前置きが長くなってしまったが、町山さんのこのアメリカ映画を分析した近著は、アメリカを知る上で、最もリアルな本だろう。この本を読んでアメリカの大衆社会のえげつなさと反知性主義の歴史が本当によく分かる。アフリカ系アメリカ人や先住民の苦難の道のりと、今も多くの白人に内在する差別意識など、一言では言い尽くせない豊富な内容だ。
 「バックトゥーザヒューチャー」や「フォレストガンプ」に隠された意図など、アメリカの現実を知ることができる。単純に感動したり、面白がって映画を見ていては、いけないことがわかる。
『さらば白人国家アメリカ』に書かれていたとおもうが、「サイレント・マジョリティー」の意味が、単に物言わぬ多数の人々という意味ではなく、アメリカでは、表立って差別意識を出せず、ホンネを言わない白人の集団を指すこと。ペイリンが言う「リアルなアメリカ人」という言い方が、白人たちを指すことなど、隠語的意味を解説してくれている。
報道では「草の根の保守」としか描かれていない(と思う。少なくともNHKニュースでは)「ティーパーティー」運動が、実はコーク兄弟に操られた運動だったことなど、それこそ「リアル」なアメリカが分かる。
 一読の価値あり。内容から言って1400円は非常にお買い得!
 

アメリカの“ルポ”というかフィールドワークで興味深いのは、もちろん渡辺靖さんの一連の著書だ。でも渡辺さんの本では補いきれないものが町山さんの本にはある。

ちなみに「アフターアメリカ」はこれはこれで、大変いい書籍だ。




2017年6月3日土曜日

春スキーの醍醐味。鳥海山ロングコース(湯の台~)

 バックカントリー(BC)スキーと言うのだろう。“最近”の言い方では。
来年還暦を迎える身としては山スキーという言い方の方がすっきりするけど、まあそれはどうでもいい。
2017年の大型連休は全国的にほぼ天候に恵まれた。5月4日、今年大学生になった息子と、鳥海山の湯の台から山スキーに出かけた。ここ数年ですばらいい経験が出来た。
登りは7時間半、下り1時間半という苦行だったけと、本当によかった。鳥海山(このブログの表紙でもある)風景を、7年ぶりにナマで見た。

※以下に記すのは登攀記録ではない。単なるスキー登山の感想記だ。そのつもりで“見て”ね。

 山形県の旧八幡町(現在は酒田市と合併)の湯の台から鳥海山を目指すコースは、道路の除雪がされていないので、かなり下から歩きださなければならない。今回は牧場地帯の上、標高660mからの登山となった。
 前日酒田駅前に宿をとり、(バイクツーリングや工事関係者向けのビジネスホテル)、朝4時ずぎに出発、1時間ほど車を走らせて湯の台を目指す。休暇村との分岐点を右折して牧場脇をしばらく行くと、すでに15台ほどの車が道端にとめてあった。この先はまだ雪が残っていて進めない。車をとめて準備にかかる。食料(コンビニで買ったおにぎりを2つづつとフリーズドライの野菜スープ。さばのレトルト、あとは行動食などだ。
息子と2人で山に行くのは何度目だろう。去年の夏の北岳、一昨年は受験で行かず。その前が剱と槍。山スキーでは月山にも行った。
 スキーとシール、ストック、息子は一応アックス(ピッケル)も持つ。クランポン(アイゼン)は12本爪と6本爪の両方を用意してきたが、6本爪を持っていくことにする。
ストックは普通のゲレンデスキー用のものだ。
 5時半前後に歩き出す。車道に雪が残っているので歩き出しからスキーをつけてシール登行を始める人もいたが、我々はスキーはかついで歩く。九十九折の道をショートカットしながら登っていくが、いまいちコース取りが難しい。ガイドブックにある「宮様コース」をうまく見つけられず方向的には(山頂を向いて)右のずれた所を登ってしまったみたいだ。それでも尾根を間違えた訳ではないので、すこしトラバースしてコースを修正すると、ブナ林を切り開いた「宮様コース」(だと思われる)ところに出た。皇室が滑るというだけで木を伐採してコースを作ってしまうということが、時代とはいいえすごい発想だ。(これで思い出したのが、もう10年以上も前のことだけど、天皇が出席する全国植樹祭を行うある県が、会場の整備のために“違法伐採”をして整えたという“事件”のニュースを思い出した)
 結構急な宮様コースをツボ足で直登すると緩やかな尾根のとりつきに出た。そこからまたしばらく登ると、滝乃小屋にたどり着く。
ここで初めてシール登行にした。結構くたびれた。登り始めから滝の小屋まで2時間半。けっこう道のりは長い。滝の小屋の裏手に出ると鳥海山の山容が一望できる。独立峰の雄大な白い世界が広がっている。空は雲ひとつない青一色だ。これほどの晴天に恵まれた登山は記憶にない(笑)。ここからはどこを登っても外輪山につけそうだ。我々は左に巻きながら尾根を登っていった。
新山方向を見る。登っている“物好き“がいるよ(笑)
  ここからのスキー登行が、けっこう長かった。遮るものがほとんどない雄大なフィールドは広くも見えるし、すぐ行けそうな気もする。しかしスキーを上へ上へと滑らせながらも意外に遠い。途中から急登になってくる。外輪山に正午まで着くことを目標にしていたが、ちょっと難しくなってきた。午前11時過ぎ、腹もだいぶ減ったので「お昼にしよう」と息子に言ったら、ちょっと「えッ」と意外なカオをされた。トホホ。でも同意してくれて、まだ登りを残しながら板をはずし靴を緩めて、休憩をとる。コンビニで買ったおにぎり2つと、お湯を沸かしてフリーズドライの具だくさん野菜スープ、アンパン、それだけでは足りずウィダーのジェル、まだまだ入りそうだけど、あまりくつろぎすぎるとその先に進めないので、我慢する。20分くらいの休憩だったろうか。ここからはアイゼンをつけて再びスキーを担いでの登山になった。
19歳になった息子と
それでも1時間ちょっとだったろうか。地図を正確に読める息子に、もうすぐだと励まされながら1時前に外輪山にたどりつく。この時の喜び、達成感は、本当に何物にも代えがたい。 この日のために、日々、嫌いな筋トレをして、ランニングをして、水泳してるんだから。
風がものすごく強かった。息子はここから伏拝岳(2035m)まで往復する。こちらはちょっと気力が出ず、そこに留まった。午後1時すぎだったと思う、シールをはずし、

もう、だいぶ下ってきたところ
いよいよ滑る。ほとんど誰もいない広大なフィールド。雪は締まっていて起伏もほとんどなく非常に滑りやすい。問題なのはこちらの足の疲れだけだ。なんて楽しいんだろう。
 適度な緊張と楽しさ、一気にという訳にはいかないけど、大回り、小回りとどんどん高度を下げていく。さっきまでいた外輪山ははるか遠くになった。
鳥海山から臨む日本海
登ってきた宮様コースを下り、ブッシュを抜けて、そして道をを歩いて1時間半ほどで車までたどり着く。ホッ。


左の写真は外輪山付近から見た日本海。このブログの巻頭写真と同じような位置からだ。
季節は違うものの、変わらぬように見える風景はなつかしい。
 でも実は、中味は変わっているのかもしれない。同じように見える水田も休耕田が増えたり、海の表面は同じように見えるけど、水産資源は激変しているかもしれない。
 山も同じだ。以前と同じようにみえるが実は異常気象の影響で植生が変わってきているのかもしれない。
鳥海山はイヌワシの生息地だ。(「だった」と、過去形かもしれない)。90年代、西武鉄道がここにロープウェイをかけようとして、大きな問題になった。人口減少、高齢化になやむ旧八幡町は本心ではかなり乗り気だった。でも自然環境保護の高まりなどで、反対運動も活発化し、結局この時は西武はやめた。その後の西武鉄道の凋落はみてのとおりだろう。あのころ、西武は東北で、第2の雫石や安比をねらっていたのだろう。秋田県阿仁町でも同じような騒動が起きた。しかしそうした時代はもう過去のものになった。
 自然を楽しむことはロープウェイをかけることではない。ただこうした自然をもっと身近に感じられる方策は、もう少し知恵を絞ってもいいかもしれないけど。