2017年5月21日日曜日

「慰安婦像問題」を解決できるのは対日強硬派の文在寅新大統領しかいないというパラドックス

慰安婦像(netより「引用」)
 ●慰安婦像問題の泥沼 韓国の新大統領に文在寅(ムン・ジェイン)氏がなった。親北朝鮮、竹島にも上陸している対日強硬派だ。日本政府は表向きは平静を装っているが、内心はこれから大変だと思っていることだろう。日本大使館や総領事館前の慰安婦像問題には心を痛めている日本人も多いのではないか。右ウィングの方々の反発は相当だろうは。むしろ村山首相時代から慰安婦問題の解決に尽力してきたリベラルな人々の方が苦慮していることが伝わってくる。和田春樹氏など(この人はかつて拉致問題を否定してちょっとミソをつけたと記憶するが、そのことは置いておく)も、総合誌に寄稿したものなどを見るとそうした苦悩がにじみ出ている。 村山首相時代の「アジア女性基金」が日本側の努力にもかかわらず韓国で否定された。安倍首相が(この方にとっては最大限の譲歩だったと思う)パククネと同意した解決策も韓国では受け入れられたとは言い難く、それどころか慰安婦像問題は収束に向かうどころかむしろ各地でエスカレートしている。
文在寅大統領(netより「引用」)

●対日強硬派だからこその“期待”
 なかなか解決の糸口が見えないこの問題を、別の視点から考えてみたい。
結論から言うと、慰安婦像問題を解決できるのは、対日強硬派のムン大統領以外にいないということだ。
 方領土問題で、対ロシア交渉を行う時、“リベラルな”民主党政権が何か言うと、保守派からは、弱腰、譲歩しすぎ、と批判され、それが世論を形成してコトが進められなかった。しかし同じことを「右翼・保守」(右翼と保守は本当は別物だからあえてこう書くけど)の安倍首相が行えば、右ウィングの人々は、安倍さんが行うのなら仕方ないとなり、世論(とそれを誘導しているマスメディア)も認める。いわゆる「保守のパラドックス」だ。
 同様のことが韓国でも言えるだろう。親日派?のパク・クネが慰安婦問題で日本と交渉したことは、韓国内では「譲歩」「弱腰」と受けとられてしまった。しかい同じことを今度が対日強硬派のムン氏が行えば、「仕方ない」となる。これもまたパラドックスだ。

●理屈や論理では納得できない人々
 だれでも多かれ少なかれ、そういう面はあろう。
オルデカが「大衆の反逆」の中で、大衆性はインテリの中にもあることを書いていた。一人の人間の中に理性と大衆性のアンビバレントな心情は混在する。
 だから、ある人において、自分に関わる多くのことには論理的に対応できても、ある事象に対して(だけ)は、理性的に考えられないことがある。慰安婦像を設置することが(長期的にみても)正しいことと思う人たちも、そうした考え一色に染まっている訳ではない。この件に関して、いわば「気が済む」ことが、大事なんだと思う。

●「気が済む」ということ
ナルシシズム、承認要求などど、心理学的に切ってすてるのはたやすい。が、そうしてカテゴライズしても問題の解決の糸口は見えない。ちょっと譲歩して、「気が済む」まで、好きなようにやってもらい、その上で、対日強硬派大統領が解決策を示すということでしか、決してこの問題は前には進まないだろう。

どう思います。




 

2017年5月13日土曜日

月山・春スキーの黄昏’(たそがれ)。スキースポーツはどこへいく

2017年5月5日の月山(ピークは姥が岳)
山形の月山は4月にオープンする春・夏スキー場だ。一般のスキーヤーがアルペン気分で楽しめるといういうことでは、全国で唯一と言っていいスキー場だろう。大型連休中は、いつも多くのスキーヤー(ボーダー)や、山頂を目指す山スキーの人、登山の人でに賑わってきた(と思う)。少なくとも、初めて月山で滑った1985年以来、いつ来ても唯一のリフトは混雑していた。
 
 2017年の大型連休、3,4,5日は全国的にほぼ好天に恵まれた。4日に鳥海山で山スキーをしたあと(これはものすごく充実した山行だった)、5日に月山に向かった。大変な混雑は覚悟の上、眺望とブナ林を楽しめればいいと考えて行った。
 
 車が行ける終着点・姥沢の駐車場がいっぱいだと、いつも麓の志津集落からバスが運行して運んでくれる。これに乗れば、帰りはブナ林の中を滑って降りてくることもできる。
酒田市(旧八幡町)の鳥海山の登山口・湯の台を8時ずぎに出発し、志津についたのは10時前だったと思う。バスはちょうど出たばっかりだったが、志津の駐車場には数台の車しかとまっていなかった。姥沢への道も制限されていない。車で上がっていくと駐車場にはまだ十分に余裕があった。身支度を整え、リフトまで500mほどの雪の中を登っていくと、リフトにも人待ちはなかった。
 どう考えてもこれまでの大型連休中の月山では考えられなかったことだ。人が少ないのは明らかだった。リフトで上に登る。月山の山容が見えると、それでも山頂を目指している人の「点」は数十人確認できた。ここ数年ゲレンデにできるコブのラインも何本かある。その意味では山スキー(登山)マニアやコブ愛好家?など、元々の山屋、スキー屋たちは、きちんと来ているようだ。しかしマジョリティとしての一般スキーヤーは目に見えて少ないということか。
 
営業していなかったリフト終点の売店
若者たちのスキー離れが言われて久しいが、大型連休を春スキーに時間を費やす人は目に見えて減ったということか。月山は、自動車専用道路の完成で、山形市内からは1時間半程度、仙台からも2時間ちょっとで行けるようになった。以前にくらべてアクセスは格段にいい。しかし人は減っている。
 
 姥沢からリフトに乗って終点までいくと、トイレと小さな小屋があり春スキーシーズン中は売店もあって、玉コンニャクやソバなどが食べられた。しかしそれも閉じていた。
混雑していないということは、訪れた人にとってはうれしいことだが、なんだかちょっとさびしい気もする。
 レジャーの多様化だとか、若者が車を持たなくなった。SNSやゲームにレジャーがシフトしているという巷間言われる言説だけでは、“納得いかない”何かもやもやを感じる。
 (世間的には変わり者?の)我が息子は山屋として、オールドスタイルで鳥海山、月山といっしょに行った。
 話はそれるが鳥海山の素晴らしい山スキーは息子の強い誘いがなければ、遠くて億劫でいかなかっただろうと思うと、息子に感謝している。(鳥海山の山スキーについては別に記録を残したい)

 月山の話にもどる。以前にも書いたけど、山の自然に触れるということは、たとえそれがレジャー気分のスキーだったとしても貴重な体験だ。自然を感じ、ブナ林の存在を認識し、いい空気を吸うことの素晴らしさを体験できれば、それはやがて、この異常気象、地球温暖化への関心、自然環境保護の大切さへの認識への向かうだろう。

 東京・山手線の吊り広告にこんなのがあった。「検索より探索」。短い言葉でなかなかいいコピーだ。まず触れてみる。一番大切だ。