2012年10月23日火曜日

東京から「山形そば」の味が消えてゆく

東京・霞ヶ関ビルに「出羽香庵」という山形そばの店があった。この店はかつて虎ノ門の三井商船ビルの1階にあった山形プラザ(県のアンテナショップ)の中にあり、経営は山形のそば屋の老舗、庄司屋が運営していた。
http://tabelog.com/yamagata/A0601/A060101/6000003/
山形の「庄司屋」外観 駅から300メートルほどだ

庄司屋の店内 この席で何回そばを味わったものか
庄司屋の板そば
勤務が新橋近くになったので久しぶりに行ってみようと思っていたら、今年2月に閉店してしまっていた。ビジネス街の経営なので土日が休みで、なかなか行けなかったからなおさら残念だ。

ひるは結構サラリーマンが入っていて、そこそこ繁盛していたんだろうけど、なぜ閉めてしまったのか。






もうひとつ山形ゆかりの店が閉じた。神田神保町にあった。「そば切り源四郎」だ。
これは山形・大石田町の次年子にある「源四郎」で修行した人が開いていた店で、「山形の味」を引き継いでいた。8月下旬に平日に行ってみたら、なんと7月に閉店していた。
http://www.aa.e-mansion.com/~kawada3/y-soba/page_80.html

今はなき「そば切り源四郎」
なんだか残念で涙が出てきてしまった。食べログの情報によると、今後千葉の方で新たに店を出すそうだけれども、それも決まっていないようだ。

ちょっと講釈を述べる。
大石田は最上川の中流域にある川沿いの小さな町。その昔(なんとアバウトな言い方か)、北前船が最上川の河口の酒田から遡ってきて、京都の文化を伝えたという。
次年子は、大石田の中心部から車で20分ほど山に入った集落。
90年代はじめ、3件のそば屋があった。
手打ちそばが食べ放題で、店に入ってから1時間以上待たされることはざら。その間は出された漬物とお茶で時間をつぶす。漬物も美味しいので
ようやくそばが出てくるころには、腹いっぱいなんてこともあった。(ちょっと大げさか)。ともかくここのそばはそれなりに美味しかった。

源四郎の鴨汁と板そば
確か地元のNHKが「きょうの料理」で取り上げたことから、この山奥の「次年子そば」に俄然注目が集まり、人が押し寄せるようになった。そしてそば屋も増えてきた。

山形では「そば街道」と称し、そばをひとつの観光資源にして売っている。詳しくはサイトを見てください。でも玉石混交で、どのそば屋もウマイわけではないようだ。にわか「蕎麦打ち名人」も結構いる。一見さんには見極めは難しいかもしれない。




さて、「山形のそば」とは、それは私にとってふるさとの味と“味わい”であり、言葉では言い表しにくい、感情と感性が入り混じった「思い」である。

東京中を探せば、山形そばの店はほかにもあるのだろうが、少なくとも都心や城南地域には、気軽に入れる店が松屋銀座裏の「山形田」以外になくなってしまった。
どこかあったら教えてほしい。


考えてみると、そば屋の経営とは結構たいへんなんだろうか。まず単価が安い。蕎麦に専念している店ほど、他の料理が少ないため、夜の酒宴で利用する人も少なく、稼ぎがあがらない。
そして何よりも「手打ち」の大変さだろうか。一回の打ちで何人分打てるのか知らないけれども、蕎麦打ちは見ていると結構重労働だ。これも毎日何回も行うのは、大変だろう。いろいろ同情してしまう。

東京には何も山形そばでなくても美味しいそば屋は他にもあろう。確かに「味」だけにこだわるのなら、それでいい。が、山形そばはB級グルメとまではいかない、しいて言うとA’(ダッシュ)級グルメとして、なくてはならない存在であった。私にとっては。

※そばについては別項で続く(つもり)です。