2011年1月21日金曜日

自分が崩れ落ちてゆくという体験について①

 突然、背後から腰のあたりをピストルで撃たれたようだった。激痛が襲い、立っていた身体をまったく支えきれず崩れ落ちた。何かの戦争映画で見た、銃撃を受けて倒れこむ兵士の姿だったに違いない。崩れ落ちるわずかの時間に、そういう自分を見つめる「別の自分」がいた。誇張でも後付けの理屈でもない、本当にそんな瞬間だった。
 意識こそはっきりしていたが、床にうずくまった状態でしばらく動けなかった。頭は回転した。この危機をどうしたらいいのだろうか、と。時間にして10数分だったろうか、瞬間的な痛みの“余韻”を感じながら、少しずつ体の向きを変えていいた。これが所謂「ぎっくり腰」かと、冷静に思い至るには、しばらく時間がかかった。
 場所がまた悪かった。自宅近くに借りている古いビルの中のトランクルーム。日曜日の夕方、自動ロックが掛り、利用者以外は入ってこられない上、いくつも小さく仕切られた物置にするため、内部の通路は複雑で、自分の借りている場所は、入り口からも見えない所だ。でもなぜか真っ先に頭を巡ったのは、ちょっとのつもりでビルの前の大通りに路上駐車した車だ。「駐車違反を取られるかもしれない。」身体の一大事の時に、車の心配が先に来るというのは、ちょっとどうかと思うがそう考えたのだから仕方ない。車には携帯電話も財布もすべて置いてきてしまった。なんとしても車までは「帰還」しなければならない。痛みと必死さで背中に汗をかいているのがわかった。ゆっくり時間をかけながら、つかまり立ちをして、壁を這うようにトランクルームを脱出した。扉から目の前のエレベータまではわずか3m足らずだが、つかまる所がなく、とてつもなく長い距離に見えた。手の広げてバランスを取りながらすり足で進む。1階に降りたち、更に10m程通路を進み、そして歩道に出る。わずか10㎝の段差がこれほど恐ろしいものなのかと、思い知らされた。
 日曜日の夕方、歩道は走り抜ける自転車やジョギングをする人など、普段より人通りが多い。2.5mの歩道を横切るのは、かなりの勇気が必要だった。なんとか車までたどり着き、助手席側から入り込んで、携帯で家人に助けを求めた。
 これが、生まれて初めての「ぎっくり腰」体験である。経験者にしてみれば、「そんなもんヨ」という程度かもしれないが、初体験者にはいささかきつい洗礼だといえよう。
 実際あとからweb siteで「体験」を覗いてみると、いくつも「やった人でなければわからない痛さ」とあった。私自身も、こう言うほかない。経験則に依存した物言いは、好きではないが、今回ばかりは言いたくなる。
 そして分かったこと。足腰の弱った年配者にとって、人通りの多い道を歩くこと、段差を越えること、が、如何に恐怖であり、大変なことかということが。
物事には分かっているつもりでいても、本当は分かってなんかいないことが多々ある。そのことに自覚的であることの大切か、骨身にしみた経験だった。
 翌日は仕事を休んで整形外科へ。整形外科への疑問は、また次回。