2017年7月29日土曜日

民主党(民進党)にもう一度チャンスを与えたい。蓮舫は頑張ったと思う。

 蓮舫さんは頑張ったと思うよ。自分が「党首」の器ではないことは重々承知の上で、民進党(民主党)をなんとか浮揚させたいと去年立候補して党首になり、人寄せパンダになることことを決意したんだから。自宅や私生活まで民放のゴールデンタイムで公開して、それはそれで涙ぐましい努力だったと思う。
 でも、力尽きた。主に新聞報道から判断すると、まあどこの世界でもあるんだろうけど、ポストへの妬みなど不満ばかりが目出ち、足を引っ張ることの方が目立った。支持率が上がらない原因はきっとその辺になるんじゃないかな。
 世論の支持があれば不満も控えられるがそれがないから、いろいろ文句言う輩が出てくる。マスコミはそういう声を「拾う」。だって記事になるから。そうするとますます支持率は下がる。いわゆる負のスパイラルということだろう。
 やれ下野した時の党首(総理大臣)が幹事長だの、党首の国籍問題だのといろいろい不平不満を言いつのる人々、風に乗りたいだけで、離党(要するに宗旨替え)してナンとかファーストに行く人など、もともと党を利用していただけの人々。はたから見ていると人間の醜さだけが見えてきてしまう。
 月刊誌『世界』7月号に、玄葉さんなど民主党(民進党)のホープと言われる人々の対談が掲載されていたけど、そういうことはある程度、こうした良識ある人たちには共有されているのはせめてもの救いだ。
 今月のアサヒの論壇でも取り上げられていたっけ。
「自民党の受け皿」という言い方はあまり好きではないけど、政治に緊張感をもたらせ、よりよい方向にこの国(「この国」という言い方も自分ファーストみたいで好きではないけど)を導いいくためにも民進党の存在価値は大きい。好き嫌いは別としてね。だから小異を捨て大同につく度量をもってやっていってもらいたい。(ゴメン、そういいながら先の都議選では民進党候補以外に投票しました。だって民進党候補は当選の可能性がなかったし、魅力のない人だったから)。
 話は少し逸れるけど、安倍首相はどうなんだろうね。この人ほど失敗を糧にして学んだ政治家はいないだろうし、菅のサポートの凄さでもあるけど。こと外交に関してはなかなかやると思った。退任間近のオバマ大統領と真珠湾に行き、和解を演出し、その記憶も新たな時にとってかわって就任前のトランプに合いにいって、飼い犬のごとく尻尾を振ってきたのにはいささか驚いだけど、それはそれでなかなかしたたかだ。トランプへの態度を聞かれて「もっとも重要なパートナーであるアメリカのリーダーに敬意を法するのは当然のことだ」と言っていた。あの安倍が、腰の低いことを言うのは、なかなか大人だと、この件に関しては思ったけどね。
 その安倍もつまらないこと(と、言ったら批判されるけど)でつまずいた。日本の政治家ってその意味では似たりよったりですね。過去には宮沢喜一や加藤紘一のリクルート事件。まあ宮沢は復活したけど。
 よく言われているけど高度成長期でお金がじゃんじゃん入ってくる時に利害調整や利益配分をやっていれば政治になった時代ではない。もう選択肢は狭まっている。その意味では自民党でも民進党でも政策は似たり寄ったりだ。それはしかたない。だから何を選択するではなく、誰にやらすかという選択肢になってきてしまう。
 あまり同じ顔ぶれ同じ政党が続くと、そこにはなれあい癒着、マンネリがはびこる。民進党ももう一度政権を担わせ、政治に緊張感を取り戻すことは必要なことだ。「お部屋の掃除」と同じだよ。
 PKOで「戦闘状態」だったかとか、憲法改正の是非など、どうでもいい。と、言ってしまうとニヒリズムとみられ、良識ある人々からバカ扱いされるけど。あまりそういう問題で先鋭化するのではなくて、党議拘束を解いて平場で議論するくらいの冷静さがほしい。だって周辺の国々はみんなしたたかでしょ。内田樹さんが「街場の中国論」などで書いていたけど、15億人の胃袋を預かっている国の元首の緊張感と島国日本の政治家ではそりゃ違うだろう。ノーテンキな国だよね。
 蓮舫の好き嫌いを別にして、民主党(あえて民主党というけど)にはもう一度頑張ってほしい。鳩山や菅など第一世代のおバカさんたちがいなくなったのだから。
 
 本日は久しぶりに、ここ最近の報道からか感じることを書き殴ってしまった。まあこれが無責任ブログの良さだけど。

2017年7月8日土曜日

「トミンハイム」と「都民ファースト」て発想は同じだね

大田区多摩川の「トミンタワー」
「トミンハイム」という名称の建物が、拙宅の周囲にもいくつかある。大田区の多摩川沿いにある少し高層の大きな建物(トミンタワーと言うらしい)、目黒区の都立大学跡地のパーシモンホール脇、最近発見したのは田園調布の玉川浄水場の脇に建物もトミンハイムだった。
 『都営住宅』という言葉が「良くない」とされ、カタカナでヘンテコな和製英語だかなんだか分からない言葉にすることで、都営住宅の持っているイメージを一新しようという「たくらみ」又は「くわだて」なんだろう。
 都営住宅(市営住宅)は低所得者のために提供される住宅、都営住宅がある学区の学校は「よくない」などと言われる。それが本当かどうかしらなけど。そうした風評をぬぐいさる手立てとして「トミンハウス」なる名称が誕生しただろうことは、想像に難くない。そのことを
 で、これって『都民ファースト』とは、発想や構造がまったく同じじゃないか。言葉をおしゃれにすることで、大衆に「夢や希望」(実は幻想なんだけど)を与えて、期待を持たせる。実態を覆い隠す。
聞きかじりのにわか知識で言うと、ソシュールの言語論で言うところの、「モノが言葉を規定するのではなく、言葉がモノを規定する」(言語論的展開)ということであれば、それなりに効果はあり、為政者が次々に新しい言葉を生み出すたくらみから逃れられないのは、それなりに理解するけど。
 でも、われわれトミンはそれに惑わされてはいけないよね。

しかも「●●ファースト」という言説にはエゴイズムが内在されている。かの国の「アメリカファースト」は、それを言っている人がモロにエゴイズムをむき出してしているから、多くの他の国の人が眉をひそめている。それなのに『都民ファースト』の発想を批判する大手メディアはない。(ように思う)
でもそれは、せんじ詰めれば自分第一主義、エゴイズムということではないの?小池さん。だからと言ってこれまでの既成の自民党中心の政治がいいと言っている訳ではないけど。
 これまでの小池知事の行動は一定程度評価はする。(個人的には好かない人だけど、その思いは排除して)。でも、彼女のやっていること、やろうとしていることは、実はフツーの首長がやっていこうとしている人とそう変わりはないんじゃないかな。豊洲の問題は別として。どんな首長でも、まともな人であれば選挙民である自分の自治体の人々を優先して考える。例えば、自分の自治体にごみ焼却場がないのに他の自治体のためにそれを作る人はないでしょ。トミンハウスじゃなかった、トミンファーストとは、それを、ある意味でうまい表現で言ったに過ぎないし、繰り返しになるけど突き詰めるとそれはエゴイズムに近づいていくということだ。
 しかもこうした言葉に内在されている危険性は、言葉を適用範囲が広がれば広がるほど、曖昧になり、狭めれば狭まるほど、エゴイズムに近づくということだ。小池さんは最近「国民ファースト」と言い始めている。彼女の指す、都民、国民とはどういう人を言うのか。様々な利害関係、それぞれの思いは一様ではない。それらをひとくくりにして、言う時、その人たちの利益はぶつかるでしょ。「世界ファースト」「地球ファースト」と言ってみれば、小学生でもわかるでしょ。言葉として。
 言葉遊びに惑わされてはいけません。トミンのひとりとして、どう受け止めたらいいんだろうかね。まあどうでもいいけど。

(追記)
 ところで、ついでに都営住宅についていろいろ考えてしまった。余りに“豪華”な公営住宅ってどうなのかな。別に、貧乏人に税金で贅沢させるななんて言っている訳ではない。公営住宅を必要としている人は確かに存在するし、行政の施策として公営住宅の供給は確かに必要だろう。しかし希望する人(条件に適って)全員が入れる訳ではない。そこには入りたくても入れない人も出てくる。そうした人は仕方なく民間の住宅に入る。そこには格差が生まれる。一方トミンハイムなどの住宅に入った人はそこがあまりに立派で住み心地がいいと、収入が上がっても出たくなくなる。または頑張って稼ごうというインセンティブが沸かない。つまり勤労意欲をかえって削ぐ結果となる。公営住宅を供給する方は、(税金の許す限り)できるだけ「快適」な住宅を作ってあげようとするだろう。それが碁行政マンの人情だとも言える。けど、それが度を過ぎると公平性の観点から問題が生じる。そのさじ加減が難しい。
 豪華なトミンハイム(内は知らないけど)の存在は、平等とは、とか、公平性とはとかいろいろ考えさせられるものになるね。
 最初に戻るけど、「都民ファースト」も同じでしょ。何をfirestにするのか、よく分からない。いまのところ言葉だけが踊っている。
 豊洲に移転するけど、築地も残すという「計画」は耳には心地よく聞こえるけど、八方美人で移転推進派、反対派どちらにもいい顔しようという発想でしかないのは、フツーの人ならすぐ分かる話だ。
 少なからず都民税をお支払している立場で言うと、なんとも言い難いよね。私も都民なんですけど。

 

小型ザックに悩む。荷物を下し汗をぬぐう一連の動作が重要だよ。

グレゴリー・ズール35
登山に限らずザック(バック)は、ひとつの趣味の領域かもしれない。ハンドバックをいくつも持つ“ご婦人”でなくても、いわば洋服と同じで、その場に合わせていろいろ変えてみたくなる。特に登山用となると実用性が大事だから、その意味でしっくりくるモノが欲しくなる。愚息が石井スポーツ登山本店の壁いっぱいに並べられているザックを指して、あれ全部ほしいと言って、苦笑したけど、そのココロは分かる。(笑い)
 だからザック選びには悩む。特に歳をとってあまりノモを買う金銭的な余裕もなくなってくると、「イッピン」を決断するのにも時間がかかる。
オスプレー・ケストレル38

 と、またしても前置きが長くなってしまったけど、いまの悩みは小型ザック(35~40ℓ)ザックを何を選ぶかということだ。
 去年北岳~間ノ岳往復の“弾丸登山”をした時に背負っていったのは50Lのミレーだった。大きすぎるのは分かっていたけど、他にないからしかたない。大は小を兼ねるで、歩いたけど、やはり使いづらい思いをした。加えて、息子がだんだん成長し、私より多く荷物を持ってくれるようになってきたので、こちらは次第にラクだ。ワッハッハッ・・・。
 どうでもいいことを挿入したけど、下記にこれらのザックを、神田・神保町のビクトリア、ICI石井、などで見た感想を述べる。
グレゴリー・パラゴン38
グレゴリーはちょっと高めだけど、確かに良いザックだ。これまで購入したことはないけどね。今年の中型ザックの特徴は、オスプレーもそうだけど、背中に当たる部分を剛性の強いワイヤーでアーチをつくり、背中とザックの間を中空にして熱や汗を逃がす構造になっていることだろう。(去年はあまりよく見ていないので今年の特徴ではないかもしれないけど)。ズール35(女性モデル=ジェイイド33 or 35 もあり)は、ザックカバーも付属されている。

 ※最近のザックはカバー付属が多い。数年前まではミレーくらいしかなかったように思う。数年前、50Lザックを買う時にミレーを選んだのは肩当てに手をかけるループがあることと、ザックカバーがついていることが結構決めてになった。

オスプレー・ストラスト36
ズール35は1気室で構造的にもシンプル。両側にメッシュのサイドポケットもあり、使い勝手もシンプルに便利だ。初心者にも使い勝手がいいだろう。だから年寄にもいいかもしれない。
 ただ、はやり?の背中の中空構造は、ちょっとどうかなって思ってしまう。暑い都会で見ていると、「これはいいアイデアだ」と思うけど、山でそこまで必要かどうかということだ。
 
 確かに真夏の日中歩くとなると背中に汗をかく。しかししばらく歩いて、汗が気になたらザックをおろし、背中に風を入れて、ひと休みし。タオルで汗をぬぐってまた歩き出す、という一連の動作が山歩きには結構大事なんじゃないかと思う。一息入れるというのは、そういうことだ。次への持続性を保つために。
 
 なるべく休まず、それこそ「弾丸登山」で真夏の炎天下を歩き続けるのなら有効であろうザックの設備って、なんだろうと思ってしまう。一時の流行りにも見えてくる。

 この項目を書くに至った動機は、もちろん「書くことによって考える」ことだ。数々のザックを見て来て、悩みが増すばかり、迷いが増すばかりだからこそ、アタマを整理するために書き始めた。なかなかまとまらず3週間目に突入したけど。
 でも自分が何を書きたいのか、書くことによって分かってきた。そう、今記したように山歩きでは、荷物をおろし、汗をぬぐい、一息入れる動作、所作が結構重要だということに、気付かされたことだ。汗をぬぐう動作を軽減するザックの機能は、もしかしたら余計なにかもしれない。
 ちょっと話は飛ぶけど、村上春樹さんがエッセーで、キャスター付きバックのことを書いていた。外国旅行の経験が多い村上さんは、最近(と言ってもエッセー自体がもうだいぶ前かもしれない)、ガラガラとキャスター付きバックを“引いて”歩く人が多いことを書いていた。そして自分は、そうしたものを持たない、普通のボストンバックで行くと。なぜならばキャスター付きバックは舗装された平坦なところでは非常に有効だけれど、そうでないところでは途端に使い勝手が悪くなる。あることを立てるとあることが立たなくなく。その点ボストンバックは持てばちょっと重いけど、どこでも同じように「運べる」と、いった趣旨だったと思う。全く同感だ。
 よく1つ2役、3役の「便利商品」なるものが、紹介されるが、一時のブームはあっても不思議と定着しているものは少ない(ように思う)。結局モノには1つの機能しか持たせられないんじゃないかな。考えてみると人間も同じようなもので、作家には作家としての機能、企業経営者には企業経営者の機能、それぞれ特化した役割があって、いくつもの機能を併せ持つ人は、ごくまれにはいても、まれだということだ。フツーの人間ならば2つのことは追えないということを思い知ることが大切だね。
 
オスプレー バリアント37
で、結局最後の候補に残っているのが、ロングセラーのオスプレーのバリアントだ。50Lと37Lがある。アックスやクランポンがつけやすいなど、本格派登山家向けだ。ウェストベルトもハーネスを付けて登攀する時のために取り外しが可能になっている。ただ専門登山家でなくても「シンプルだけど機能的」な構造は、結構使い勝手がいいんじゃないかな。先祖帰りではないけど、やっぱりこれにするかな。
 レインカバーは付いていないし、ウェストベルトにポケットもないけど、どこか魅力がある。人間で言えば質素で控えめだけど隠れた魅力があるといったところかな。
実は息子が今年大学山岳部に入ってこの50Lを買った。(というかオヤジが買わされた<笑>)。使い勝手はいいようだ。39歳年上のオヤジもこの37Lに魅力を感じている。

追記:
で、結局ICIでストラスト36の青を買いました。グレゴリーも魅力だったけど、在庫がなかった。人気なんだって。