2013年3月25日月曜日

2020年五輪はトルコ・イスタンブールで行うべきだ

 東京で五輪があってもいいかもしれない。多くの国の人々が日本に来ることは、子どもたちの刺激になり、視野を広げる一助になるだろう。ハコモノばかり作られ、一部の人たちが儲かるイベントだという側面は否定できないが、それは主催者のやりかたひとつだ。

 しかしである。2020年はイスタンブールで開催すべきだ。東京開催を私は支持しない。良くも悪くも五輪は政治的に、また商業的に利用されてきた。いまイスラム圏で初の開催を世俗主義をとるトルコで行うことは、世界情勢的に見て、きわめて重要だろう。キリスト教圏とイスラム教圏の融和や相互理解の一助になることが期待されるし、そうなってほしい。長い目で見ればそれも日本にとっても有益なことだ。

AERA1月21日号より「引用」
猪瀬直樹氏(東京都知事)は、昔は輝いていた。「ミカドの肖像」はすぐれたルポルタージュだったし、「道路の権力」を始め、一連の行動は、彼のタフさが出ていた。しかし、いわば「反権力」で仕事をしてきた者が、ひとたび権力側(副知事就任~知事当選)に立つと、ちょっとおかしくなってきたように見える。
 
 内田樹氏が、アエラの巻頭エッセーで鋭く指摘していた。今回の東京五輪誘致のスローガンは、「日本を元気にする」だとか、「経済活性化の起爆剤」などと、なんとも内向きだ。

 途中からその批判を気にしたのか、「海外からの皆様をおもてなし」などというニュアンスも、そてとなく入れてきたが、本質は変わらない。内向きスローガンを平然と宣伝文句にしてきた猪瀬氏には、がっかりを通り越して、嫌悪感を覚えた。五輪は本来そういうもんでないだろうに。 
 
 「人は与えることによってしか、得ることができない」。内田さんがたびたび紹介するレビストロースの言葉を借りるまでもなく、「今回はトルコを応援します。」と言う度量があれば、日本での五輪にも道は開けただろう。

 しかし断言する。2020年に日本開催はないと。それは希望的観測ではなく、冷静に世界の今を見ればわかることだ。中国や韓国(にIOC委員がいるかどうかは確認していないが)は、日本開催には賛成しないだろう。EU諸国はマドリッドかイスタンブール支持だ。アフリカ諸国は中国の意向に沿ったり、イスラム・アフリカはトルコ支持だろう、と思う。

最近は新聞の全面広告やテレビCMで「東京五輪支持」を訴える広告げ目につく。企業がカネを出しているのが、それとも招致委員会のカネから出ているのか知らないが、五輪誘致にかかったおカネの「決算」だけは、不明朗なことがないようにしてもらいたいものだ。

五輪招致報道の大手マスメディアの扱いも、いささか違和感がある。IOC委員の視察の間、その直前にあった日本柔道連盟の一連の不祥事については一切と言っていいほど報道が「控えられ」ていた。彼らが日本を離れたら、柔道連盟の理事会も開かれ、報道が戻った。どうみてもIOC委員のめに触れさせたくなかった「配慮」がなされていたとしかいいようがない。

また、東京五輪の支持が7割というIOCの世論調査は報道されるが、残り3割の声は、ほとんど聞こえてこない。これはどういうことなのだろうか。3割が「積極的反対」なのか「どちらでもない」のか、「分からない」のか、すら分からない。

原発報道と比較するのはあまり適切ではないかもしれないが、日頃から大手メディアは「小さな声」を拾うのを常としてきたのではないか。
原発容認派が世論調査では条件付きも含めれば多数になったが、朝日、毎日、東京などは少数派の声に最大限配慮して報道している。それはそれで社是で行っているのだから、良いとも悪いとも判断するのは読者だろうが、少なくとも五輪招致について、「社論」を鮮明にしはしていない。
曖昧な立場でなしくずし的報道がまかり通っている。

こういう姿勢だから読者としては読む気がしなくなる。ネット上で「共感」する言説に流れていく一因をマスメディアは自ら作るだしているようにも思う。

話しがそれた。
私はイスタンブールを応援する。そしてその後に日本(ただし東京ではない地域)での開催を応援したい。