2013年10月18日金曜日

千駄ヶ谷・東京体育館プールの関さん

 東京・千駄ヶ谷の東京体育館プール。きょうも、あの関さんはいた。
ここに通っている人なら、おそらくほとんどの人がこの人の顔を覚えているだろう。
うみ坊主(失礼)のようにつるつるのアタマの小柄な人だ。常にプールの運営に気を配り、泳ぐ人の流れを「監視」している。

随分前に一度名前を聞いた。だから名前を知っている。(漢字が正確かどうかは不明)

彼は私が千駄ヶ谷に頻繁に通い出した5,6年前から、少なくともここにいたと思う。(今年4月、1年ぶりに再開したプールで、やはり関さんはいて、なぜだか安堵した)

今年4月に改装を経て1年ぶりに再開した東京体育館プール(以下、千駄ヶ谷プール)の運営が比較的うまくいっている話しを書いた。(東京プール難民 番外編2)
その理由は「ルール」を作らないこと。少なくとも「ルール」を利用者に全面に提示しないことだと分析した。いわば利用者の良識を土台にして運営する基本精神がいいことを指摘した。

なぜそれがうまくいくのか。千駄ヶ谷プールを事実上運営するティップネスが、エグザス(横浜国際プール)やトーリツ(世田谷)より優れた組織だから、うまくいっているのかどうか。それは分からない。しかし少なくとも千駄ヶ谷には関さんが監視員にいることが大きいこと間違いないだろう。

 彼は、常にプール全体を見渡し、泳ぎ手が文字通りスムーズに流れているかどうか、気を配っている。こうしたプールでは、しばしば「われ関せず」の非常識な輩が、後ろが詰まっているにも関わらずインターバルをとらずに泳ぎ続けたりして、迷惑な存在になっている。こういう人たちを「指導」したり、あるいは他の人にUターンを促して流れをよくしたりすることに常に気を配っている。

 他のプールでは、監視員はそんなことにはまったく関心を示さず、ただ、「溺れている人はいなか?」と漫然とプールを眺めているおバカばかりだ。だって彼らにとっては、利用者が満足しようがしまいが関係ない、ミッションはただ事故を出さないことだけだから、スムーズな運営のために何が出来るかなんで考えるインセンティブが働くはずがない。

 関さんは違った。彼はいつも使命感をもって職務にあたっている(ように見える)。それがおそらく他の監視員にも伝わり、彼らの職場に、ある種の緊張感が生まれたのだろう。(と、推察する)

関さんの存在は、もしかしたら、他の監視員(その中にはアルバイトもいるだろう)には、少々煙たい、口うるさい存在なのかもしれない。しかし彼がいるから職場に緊張感があり、意識も利用者本位になっていくのではないか。

 いきなり一般論に飛躍して恐縮だが、組織は案外、こうしたひとりの人物の存在でうまく循環するのかもしれない。そして、その逆もまたある。それは働く組織だけでなく、学級運営やサークルでも言えるのではなだろうか。

関さんのような人物に現場での高い権限を与えて、組織運営を行う。私が経営側ならそう考える。




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