批評家の東浩紀氏が本屋について新聞に書いていた。(日経2月6日「半歩遅れの読書術」)
▽リアル書店にほとんど立ち寄らなくなった。利用はもっぱらオンライン書店。
▽ いまの書店の棚が息苦しく感じられてならない。
▽ 書籍新刊発行点数は1990年代に急速に上昇。 90年4万点弱だったものが2000年には7万点まで迫る。(現在は7万5000点)
▽ しかし市場の拡大を伴っていない。90年代半ばを頂点として出版の市場規模は右肩下がり。
▽書店の棚がますます新刊、それも売れない新刊に埋め尽くされている
▽ 古典の文庫や教養系新書の棚は確実に小さくなりベストセラーに譲り渡されている。
▽ リアル書店はいまや新刊のフローに呑み込まれ教養のストックとして機能しなくなっている。
▽ 書店はかつて広大な知の宇宙に通じる夢溢れる扉として機能していた。その機能を回復しなければ書店文化はコンビニとレンタルチェーンに呑み込まれ消えざるをえない
というのが趣旨である。
三省堂書店 神保町本店 |
東氏の言うように「リアル書店はいまや新刊のフローに呑み込まれ教養のストックとして機能しなくなっている。」というのは、多くの人が感じることなのだろう。
三省堂本店4階は、社会科学系の本が置かれているところだ。レジの前は、企画コーナーになっていてる。吉本隆明が亡くなった直後ということもあり、さてどうなっているか、少し楽しみだった。
「吉本」本は意外に少なかった。日曜日の新聞書評欄でも吉本の著書は「品切れ」が多かったが、この状況から察することができるのは、吉本はすでに過去の人になっていた、そして彼の著書はあまり「古典」として認知されていなかったということなのだろうか。
この日の企画コーナーのメインは、やはり「震災1年」だった。原発関係の本が数多く並べられていた。印象としては対談本、共著などが多く、粗製乱造の感はちょっと否めない気もした。いくつか手に取ってめくっては見たものの、どれも買う気にはなれなかった。印象でもそれほど人が集まっている感じではなかった。
企画コーナーを「売れる」コーナーにするのか、それとも「志」のコーナーにするのか、良識ある書店にとっては悩ましいことだろう。少なくとも三省堂本店4階は、後者のように思える。
いま本の返品率は4割だという。(3月12日読売「耕現学」返本率4割 改善なるか」)
10冊仕入れた本のうち4冊は売れずに返される。この事態はなんなのだろう。
読売のコラムの要旨
▽出版科学研究所によると2011年の返本率は、書籍37.6%、雑誌36.1%。書籍は1990年代後半から40%前後で推移。雑誌も2007年から35%を超えている。
▽委託販売制度は、新刊書籍が書店に届いてから3カ月半の間に売れなければ「取次」(卸業者)に返品でき、仕入れ代金が書店に全額戻るシステム。
▽出版社は返品本の一部をきれいにして注文に応じて再出荷するが、それでも売れ残った本は倉庫費用がかさむので廃棄される。
▽委託制度は配本で重要な役割。書店は売れ残りのリスクに悩まなくてよく、零細出版社や無名の著者の本も店頭に並び、日本の多様な出版環境を支えている。
▽しかし書籍、雑誌の販売額が96年をピークに減少に転じると制度の弊害も目立つように。
▽出版社は売上減をカバーするため出版点数を増やしたいが、粗製乱造でますます返品が増える悪循環に陥る。
ほか、委託販売制度の歴史や今後の改革案等も併せて記されているが、割愛。
出版を取り巻く、出版社・取次・書店の状況、そして東氏の思い。日本の「書籍」は今度どうなっていくのか、本屋で過ごしながら、ちょっと心配になってしまった。
「書籍はアマゾン.comで買えばいい」なんて、安易には同意できない。しかしかといってこれほど出版点数が多いと、書店の棚から「新発見」することも、なかなかタイヘンだ。
そう読書家でもない、テキトーな私のような人間にとって、新聞や雑誌の「書評欄」が頼りだ。しかしこれにもしばしば裏切られることもある。
人生の限られた時間、どれだけ自分にとって有意義な本に巡り合えるか、思考錯誤が続く。
三省堂4階の企画コーナーに並ぶ原発関連本、そのほとんどすべては「反原発」「脱原発」だったが、結局「買いたい」と心が動いた本はなかった。結局、原発関連で購入したのは、いくつかの書評で見ていた「『脱原発』の不都合な真実」(新潮新書)だった。
原発に関して様々な人の言説よりも、客観的なデータに触れて、自分のアタマで考え、判断することの方が、特にこの問題に関しては重要だと思った。
この日、他に買った本。「四字熟語で読む中国史」(岩波新書)・・・今読んでるが率直に言って余り面白くない。でも我慢して「字を目で追っている」。
0 件のコメント:
コメントを投稿