2012年3月13日火曜日

放射能問題が露わにした、オーガニックな人たちの底の浅さ

NHKの首都圏向けニュース番組で、興味深い企画リポートを放送していた。東日本大震災による原発事故の影響で、風評被害を受けた茨城県の野菜生産地の話しだ。震災後、この地域では、いわゆる「放射能の風評被害」で、出荷する野菜などの価格が下がったが、いまは、ほぼ平年並に戻っているという。
しかし、有機栽培を手掛けてきた農家は、顧客が離れたままだという。取材した有機栽培農家はお得意さんが3割しか戻ってこないということだった。

これまで有機野菜を購入していた人々は、農薬や化学肥料を嫌う、なるべく避けたいと思う、「不純物」に敏感でエコロジーな人々であろう。それはそれでよい。多少価格が高くても子どもにはなるべくオーガニックなものを与えたいと思う人々は当然いる。わたしも多少はそうだ。

しかしそうした人たちが購入していた有機野菜の生産地が原発に近いという状況になると、消費者は現金なものである。放射能の影響がとたえわずかでも、健康被害があるかもしれないと思うと、もうそこからは購入しない、ということなのだ。

有機栽培農家と、ネットなどを通じたその購入者(消費者)は、普通の生産者・消費者よりも、より強い信頼関係で結ばれた、お互い顔の見える間柄と思われていた。少なくとも私はそう思っていたし、生産者側は、割高な(通常、有機栽培は普通のものより高い)野菜を好んで購入してくれる人々に、信頼感を抱いていただろう。

しかしひとたび、生産者の責任とは無関係であっても「放射能」という、オーガニックな人々が警戒する要素が入るやいなや、購入者は逃げてゆく。こうした消費者にとっては、「産地」はどこでもいいのだ。生産者が「誰か」というのも実は副次的な要素でしかなかったということだろう。

ネットをサーフィンすれば、日本全国で有機栽培農家はいくらでも探せる。もしかしたら、これまでより、もっと条件のいい所が見つかるかもしれない。何も好き好んで「原発に近い農家」から購入する理由はないのだ。こうしたオーガニックな消費者は、敏感なだけに「逃げ足」も早い。

東京の西の端、自宅に近くの駅そばに有機食材を売り物にしたミニレストランが開店し、宣伝ちらしが自宅ポストに入っていた。そのキャッチコピーを見て驚いた。
「放射能で弱まった免疫力の回復に、ぜひどうぞ」とある。
「有機」を売り物にする店がすべてそうだとは言わないが、少なくともこのミニレストランにとっては、「有機食材」は単なる客集めのためのツールでしかないことを、このキャッチコピーは如実に表している。
生産者の思いは、消費者には言うに及ばず、消費者に“安心”を届ける存在のオーガニックショップやレストランにも届いていないということだろうか。

香山リカ氏が中央公論2012年3月号に興味深い論考を書いている。
「覚悟のない自己愛人間たち」
要約すると、いま世間には口では「世の中の役に立ちたいんです」と言いながら、心の内側では「とはいえ、私が損をするのは困る」「私は安泰でいたい」と思っている人が増えている。
昔、精神疾患の病歴のある人をアパートに入居しようとして拒絶される時、説得に行くと、「あんたがそこまで言うなら信用しよう」と、入居を認めてくれる人がいた。いまは、顔ではニコニコ理解を示しながら、いろいろ理屈をつけて断る。
「無知ゆえに精神障害者を危険、迷惑な存在と思い込んでいる」のであれば説得のしよもあるが、「私も理解者です」と言いながら断固として断る「笑顔の拒絶」ほどやっかいなものはないのだという。
香山氏はこの現象を「自己愛過剰」で説明する。
「少しでもリスクが増えそうな施設、人などが私の近くにやってくることだけは避けたい」「私さえ安全であればそれでよい」「私のような(特別な人間が)危険にさらされるなんて」という肥大した自己愛だ。
「自己愛過剰社会」(河出書房新社)はアメリカに蔓延した自己愛過剰人間がいかにコミュニティーや社会を蝕んでいるかを克明に記していることを紹介し、それを後押ししているのは、セレブを賞賛するマスコミは「誰でも簡単に目立つこと」を可能にしたブログ、ツイッターなどのネットコミュニケーションであることを指摘する。

香山氏の論を借りれば、放射能の影響を過剰に不安視して、原発に近い有機栽培農家から逃げてゆく、オーガニックな消費者は、すべてではないにしろ、単に自己愛過剰な人々とみられるのではないかな。

がれきの受け入れ問題も同様の現象として説明できるのだろう。

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