2012年3月16日金曜日

吉本隆明は、そんなにエライのか。彼はルサンチマンの虜囚だ。

「共同幻想論」を“買った”のは確か、大学1年の時だった。すでに30年以上の時が経っている。数ページ読んで、ほとんど理解できずやめてしまった。いまこの本がどこに置いてあるか思い出せない。ただし捨ててはいないと思う。
吉本はすでにこのころサブカルチャーに傾倒していたように記憶する。いくつかの雑誌(朝日ジャーナルだったかな)で、彼の変節を揶揄するコラムなどが載っていた。いずれも細る記憶の中のことであるが・・・。

小熊英二氏が確か「民主と愛国」の中で、吉本を批判していた。彼のトラウマといも言うべき米沢時代の体験をとりあげ、それが彼の主張にどう影響したかを記している。吉本が批判した宮本顕二、丸山真男といった「知識人」はアジア太平洋戦争の戦前、戦中からの人だ。吉本は戦後にデビューした人間。後の時代の者が前の時代の人間を批判することの「ルール違反」を指摘していたと思う。具体的な話で、けっこう興味深い内容だったが、忘れてしまった。でもここは、吉本が死去したニュースに触れたのを機に読み返してみたい。
吉本隆明は、丸山真男を痛烈に批判して、新左翼学生運動家の強力な支持を受けたが、その丸山について、歴史学者の入江昭氏が、中央公論2012年4月号で記している。「半世紀前のハーヴァード、知識人の小さな共同体」。
高坂正堯と丸山真男、右と左、現実主義者と理想主義者という全く思想の違う2人が、熱心に議論したことなどが綴られている。

ハーヴァードの入江氏や東大の丸山、京大の高坂などの「知識人」は考えは違ってもある意味で「サロン」を形成している人々、換言すればいわば恵まれた人々だった。(のだろう。)そんな雰囲気が入江さんのエッセイからも伝わってくる。
吉本にすれば、それは嫉妬の対象でしかなかったのではないか。彼もまた「ルサンチマンの虜囚」であったのだ。そして彼を熱烈に支持した学生運動活動家も同じ気持ちだった。対象は共産党の宮本であり、学生運動に理解を示していた丸山でもあった。思想の立ち位置は関係なく、ブルジョア批判として、吉本の言説は存在した。
晩年、彼がサブカルチャーに「理解を示し」たのも、ブルジョアジー知識人への対抗意識ととれるのではないか。
今日の新聞、テレビでは、あいかわらず「紋切り型」の報道が続いている。死者への敬意ということでは、一次報道としてはそれでいいのかもしれないが、もう少し引いた「評伝」を読みたいと思う。後日、各紙の夕刊文化欄に載ることだろう。

(余話)
入江昭さんの「歴史を学ぶということ」(講談社現代新書)は、私が感銘した書籍だ。
後書きで、オスカーワイルド 戯曲「ウィンダミア卿夫人の扇から次の言葉を引用している。
「将来に向かって生きようとするものは過去に向かっても生きなければならない」
歴史学者のすぐれた知見に学んだ思いだ。




0 件のコメント:

コメントを投稿