2018年1月20日土曜日

ふざけんなJR東日本 列車を動かすことに固執し、乗客をないがしろにした

JR東日本・新潟支社 指令室
▽現場の列車運行係
「閉じ込められた乗客も疲労を増しています。まず乗客を降ろしてあげることを優先させましょう」
▽列車の運行責任者
「列車の運行はどうするんだ。信越線を利用している乗客はほかにもたくさんいる。朝の通勤・通学時までになんとかダイヤを正常化するのが第一だ」
「乗客は列車の中にいりゃ安全なんだ。トイレもあるんだろう」

 という会話が交わされたかどうかは知らないが、かくして、JRは、除雪車を動かすことに固執して、430人余りの乗客は15時間以上も満員の列車に閉じ込められた。中には立ったままの者も大勢いた。

 年明けの11日の夕方、新潟・三条市のJR信越線で、4両編成の普通電車が積雪のため動けなくなり、乗客約430人が車内にマル一昼夜閉じ込められた「事件」。余りにも官僚的なJRの対応にちて怒りが収まらない。

 昨日のニュースでJR東が三条市のバスの提供の申し出を断っていたことが報道されていたが、この事実に象徴されるように、JRが自分たちのメンツを最優先に行動していたことは、明らかだ。
 これまで報道されてきた経緯から、JR東は、乗客への配慮より列車を動かすことが最優先にされてきたことが分かっている。会見では除雪車の到着が翌日の午前10時前後になったことからも、それまで他の手段を考えることをしなかっことがうかがえる。
 100歩譲って、予想しえなかった積雪で列車が立ち往生したこと。通常の除雪でなんとかなると見通しが甘かったことが“許容”するとしても、その後の行動は、あまりにも官僚的、大組織的でしかなかった。
 
 おそらく列車の運行責任者=それがJRの現場のたたき上げなのか、キャリアなのかは知らないけれど=のアタマの中には列車の定時運行、今回の場合はとにかく立ち往生した列車を一刻も早く動かし信越線を正常ダイヤに戻すことしか考えていなかったのだろう。それが運行責任者にとって一番「正しい」職業的判断であり、そういう組織だからだ。運行責任者が想像したのは、乗客が救出されるシーンではなく、コトが終わった時に、上司に「列車の定時運行に向けて最大限努力しました」と報告する自分の姿だったのだろう。
 鉄道会社にとって定時運行は命より大切な掟だ。それはJR西日本・福知山線の大惨事でも明らかになっている。乗客の安全よりも定時運行が最優先される企業風土だからだ。
 除雪にあたった現場の鉄道員。除雪車を一刻も早く現場に向かわせようと努力した鉄道員。現場の人々は自分の業務として、おそらく懸命に努力しただろう。そこに悪意はなく、むしろ自らの努力を誇っているかもしれない。しかし今回の事件全体を俯瞰すると、その努力は「乗客のため」にはなっていなかったということだ。
 
 運行責任者には想像力がなかったのだろう。通勤・通学帰りの乗客が立ったまま列車に乗っていて、何時間も待ち続ける姿を。現場からの「暖房・トイレはあります。飲料水の適宜配給しています」という報告を受けて、乗客は安全に確保されている。ヘタに動かしてケガ人でも出れば、どんな批判をうけるかも分からない。そのままにしておいてよい、と。

 日本の(大)組織、特にお役所にはひとつの掟がある。それは「決められたことを守る」ことが正しい職業的判断だという。JRは言わずとしれは元国鉄。中央省庁と同様にキャリアとノンキャリがいる「官僚組織」だ。アタマのいい社員たちは常に上司がどう反応するかを念頭に行動する。そういうところだ。
 
 良く言えば、上意下達の規律が整った、統率された組織だということなのだろうが、柔軟な対応はいたって苦手だ。それは組織人として規律を破ることであり、職務に忠実は行動にはならないからだ。どうしてそういう組織になったのか、国鉄時代の組織を見ればわかるだろう。戦後、就職難の時代大量に採用した現場労働者。強い組合。鉄道を動かすには、「規則」を大量に作り、労働者を規則通りに動かす・働いてもらうほかなかったからであろう。
 (この話を書きだすと長くなるので、やめる)

 それにしても、今回の事件で乗客の皆さんの反応が、なんて優しかったことか。出てくる話は「席を譲りあった」などの美談が多く、あからさまに怒りをぶつける人の報道は見当たらなかった。これを新潟人の美徳と見るか、お人よしととるかは別として、もう少し「怒った」方がよかったんじゃないの。でないとJR東の人間は、きっとこう思うだろう。
「ほら。乗客は従順だ。列車内で待ってもらって安全でよかった。マスコミの批判は過剰だ。」だって「ぜんぶ雪のせいだ」だもん。と。



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