2015年8月15日土曜日

村山首相の戦後50年談話で十分だ。戦後70年談話など必要ない、と思う。

70年という歳月がどのくらいの意味を持つのか。もちろんそれは人によって様々だろう。長寿の時代、いわゆる「物心」がついた年齢から70年後では、記憶として鮮明だろうし、まして「戦争体験」という特異な状況下であればなおさらだ。
しかし、そうした人はもはや少数になりつつある。多くの人々にとって、もはや70年前のことは歴史でしかないし、それは別に悪いことではない。
断わっておくが記憶として留めている少数の人々の思いを無視してよいとか切り捨てるべきと言っている訳ではない。語り継ぐことの大切さにはもちろん同意する。

私はこの人を尊敬する。稀有の政治家だと思う。
戦後50年の村山談話は、歴史に残る価値のあるものだったと思う。村山首相は、50年という節目で、よい意味で戦後に決着をつけようとした。それは戦後世代の人々に過去を背負っていきてほしくないということだったと思う。いわゆる「慰安婦」問題についても、政府も出資し基金を作って償いを行い、決着を図った。それは正しい判断だった。
 「謝ります。。そして償います。だからもうおしまいにしてください。私どもは、過去に十分向き合うことで未来に向かって生きていきます。ご理解ください。」
ということだったのだろう。

しかし、その後の政治の動きは、こうした努力を無にするものであり、中韓の「お家の事情」ともあいまって、こうした努力は水泡に帰してしまった。それに追い打ちをかけたのが安倍首相の「戦後70年談話」だろう。日本という国はいつまで幼稚な振る舞いを続けるのだろうか。もう本当にこの国が嫌いだ。
 
 安倍の本音は、今回談話で「戦後レジーム」を見直したかった。しかし国内外の世論に押されそれができないと悟った。しかし談話を出すことで、少なくとも「村山談話」を継承するという言説を持って消し去りたかったのだろう。(少なくとも表面上)「継承する」ということは、自身が首相の時に出した談話の方が「新しい」もになり、それが「歴史」になるからだ。この人はどこまで、ナルシズムの性癖の持ち主なのだろうか。まあそれを選ぶ国民が、それに同意しているということなんだから、この思想に抗う筆者は少数者なんだろうけど。 もうたくさんだ。

※村山政権(94年~96年)には阪神淡路大震災(1995年)があり、不運も重なった。少数の社会党が自民党という巨大政党と組み、「妥協に妥協を重ね」て政権を維持したと批判する人もいるが、逆の見方をすれば、モノゴトを進めるためには自己主張を押し通すだけではうまくいかず、譲ることは譲って、なんとかモノゴトを進めていったということではないか。その意味では村山さんは、偉大な政治家だと思う。


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