しかし、そうした人はもはや少数になりつつある。多くの人々にとって、もはや70年前のことは歴史でしかないし、それは別に悪いことではない。
断わっておくが記憶として留めている少数の人々の思いを無視してよいとか切り捨てるべきと言っている訳ではない。語り継ぐことの大切さにはもちろん同意する。
私はこの人を尊敬する。稀有の政治家だと思う。 |
「謝ります。。そして償います。だからもうおしまいにしてください。私どもは、過去に十分向き合うことで未来に向かって生きていきます。ご理解ください。」
ということだったのだろう。
しかし、その後の政治の動きは、こうした努力を無にするものであり、中韓の「お家の事情」ともあいまって、こうした努力は水泡に帰してしまった。それに追い打ちをかけたのが安倍首相の「戦後70年談話」だろう。日本という国はいつまで幼稚な振る舞いを続けるのだろうか。もう本当にこの国が嫌いだ。
安倍の本音は、今回談話で「戦後レジーム」を見直したかった。しかし国内外の世論に押されそれができないと悟った。しかし談話を出すことで、少なくとも「村山談話」を継承するという言説を持って消し去りたかったのだろう。(少なくとも表面上)「継承する」ということは、自身が首相の時に出した談話の方が「新しい」もになり、それが「歴史」になるからだ。この人はどこまで、ナルシズムの性癖の持ち主なのだろうか。まあそれを選ぶ国民が、それに同意しているということなんだから、この思想に抗う筆者は少数者なんだろうけど。 もうたくさんだ。
※村山政権(94年~96年)には阪神淡路大震災(1995年)があり、不運も重なった。少数の社会党が自民党という巨大政党と組み、「妥協に妥協を重ね」て政権を維持したと批判する人もいるが、逆の見方をすれば、モノゴトを進めるためには自己主張を押し通すだけではうまくいかず、譲ることは譲って、なんとかモノゴトを進めていったということではないか。その意味では村山さんは、偉大な政治家だと思う。
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