2016年12月30日金曜日

電通「過労自殺」に違和感。過労、即・自殺なのだろうか。

2016年の仕事納めの12月28日に、厚労省は法人としての電通と幹部社員を書類送検した。
若い女性社員の「過労自殺」などを違法な残業が問題とされた。
マスメディと言われる組織に籍を置いていた身として、一連の報道に多少の違和感を感じている。
断わっておくが、私は長時間労働を是認するものでもないし、電通の肩を持つものでもない。むしろ現在進められている政府の働き方改革は概ね支持している。
「日本的」というのだろうか。付き合い残業や、だらだら職場にいることこそ忠誠だという風潮は容易にはなくならない。このオカシサを多くの人が感じているにも関わらず、職場の雰囲気を変えられない状況は、まだいたるところで見受けられる。

  「日本人の働き方」ということとは別問題として、今回の「電通問題」の報道になぜ違和感を覚えるのか。書くことによって、少しアタマの中を整理したい。
まず「過労自殺」という言い回しが少し短絡すぎると感じる。「過労で、自殺しました」というのはそこに因果関係があるような印象だが、よく考えると直接的ではない。報道からの要素しか分からないけど、自殺した若い女性社員は、
▷長時間労働⇒▷過労による体調不良⇒▷休む(業務の停止)⇒▷医師の受診⇒▷うつ病の診断・治療⇒▷自殺に至る
という経過をたどったのではないか。
 過労と自殺の間にはいくつかの出来事がある。うつ病患者が自殺を考えるのは普通のことであり、医師はそうした行動に出ないよう予防措置をとるはずだ。かつて職場で新人の女性職員が「うつ病」になり、主治医のところに毎週話を聞きに行ったことがあった。その時、精神課の医師には、自殺予防についてこう教えられた。
「あなたは今、病気です。病気の時は正常は判断はできないものです。(退職や自殺といった)人生の重要な判断は、今はしてはいけない。そうした決断は体調が戻ってからすれば良い」
しごくまっとうな言い回しだ。
  私が経験した若い女性職員は、その後回復し、15年近くたった現在も元気に働いている。もちろん病気の症状や回復力など、それは千差万別で一概にひとつの型にはめることはできない。電通の若い女性社員がどうな症状であり、どんなことがあったのか詳しいことは分からない。しかし少なくとも言えるのは、「過労が即自殺」ということではないということだ。
 繰り返し言うが、過労になるようは長時間労働が免罪されていると言っている訳ではない。もう少し丁寧に物事を見ていかないと、歪んだ事実認識になり、それがヘンな施策となって表れかねないことを心配している。最適の判断は、正確な現状分析からしか導くことはできない。
 電通という超一流企業。東大卒の美人の若い女性社員。こうしたことがメディアもお役所もバイアスをかけてモノゴトを見てしまうことになってはいまいか。
 
   政府の働き方改革が進められる中で象徴的出来事として、電通がスケープゴートにされてはいまいか。冷静に見る必要もあろう。


 (この項は続きますが、とりあえずアップします)




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