2012年7月16日月曜日

天声人語(朝日)の言う「民意」とは

「天声人語」は入試によく出る「名文」として有名らしい。アサヒもそれを拡販のウリにしている。
こんなに入試で使われました、と。われわれは教養ある新聞ですと言いたのだろう。

確かに名文の時もあった。かつては。
ちょっと古いが、「深代惇郎の天声人語」は単行本を買って読んだものだ。しかし7月6日の「天声人語」氏には驚いた。

7月6日朝日新聞より「引用」











こんな文章が教養高き「朝日新聞」の1面の下段を飾っているのだとしたら、これはもう、
「反原発教」という宗教団体の機関紙と思うことだろう。

宇宙で尿から水を作って飲むのは「何から作っても水は水」だけど、電気は「何から作っても電気かというと、そんな時代ではない」と言う。いったい尿から作る水と電気の作られ方とどんな関係性があるのだろうか。比喩にもなっていないし、枕詞としても首を傾げたくなる。

大飯原発の再稼働を「原発に頼らぬ日本は60日と8時間で幕を下ろした」「世の中はその間、とにもかくにも原発なしで回った」と書く。確かに世間は「回った」が、そのためのに費やされた化石燃料と排出したCO2、そして、それによる大気汚染とその被害にはまったく見向きもしない。狭い日本の中だけ、日常生活というミクロの視点からしか論じていない。なんという「偏った」た物言いだろう。

そして「官邸を囲んだ怒りを聞くまでもなく、民意は脱原発にあろう」と、事実をねじ曲げて断じる。どの新聞、テレビ局の世論調査を見ても、「脱原発」が圧倒的支持されているものは見つけられなかった。いったいこの天声人語氏は何を根拠にこう言うのだろう。
まさか官邸を囲んだ民衆(デモ隊)だけを根拠に言ったのではあるまい。

「地元経済の原発依存も変わらない」「福島の教訓が泣く」と言う。福島の教訓とは何を指すのか。事故が起きれば、すべて止めるべきというのが教訓なのだろうか。失敗を糧に前へ進むというのは「教訓」ではないのか。

こんな脱原発、反原発の言説を続けるのなら、いずれ賢い読者は朝日を離れていくだろう。

「脱原発」の考え方がオカシイと言っているのではない。主張をするなら論理的かつ現実的な思想を示してこそ「説得力」があるのではないか。
大勢の人が避難しなければならないような、そして長期間住めない地域を作りだすような事故をいいと思っている人はいないだろう。できれば原発がない世の中を望む気持ちはもちろん共鳴する。

しかし、(日本は減っていても)世界的に増え続ける人口。そして途上国の「開発願望」、さまざまな要素の中で、「今すぐ脱原発」がどれだけ現実的なのだろうか。

ほとんど宗教化された主張を続ける「朝日」に未来はないだろうな。かわいそうだけど。

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