2012年1月20日金曜日

「リスク社会に生きる」朝日の連載企画に表れた“迷い”。

「リスク社会に生きる」という朝日新聞の連載企画は、暮れの30日にプロローグを載せ、元旦から7回の連載だった。

プロローグで「放射能が列島を分断する」とタイトルにうち、「人の心と科学の距離」を考えるというのが(予想された)テーマだ。

被災地のがれき受け入れを表明した、フクシマから1000キロ離れた佐賀県武雄市が、、「安全な九州を守って」という1000件を超えるメール・電話にたじろぎ、受け入れ方針を撤回するというエピソードから、この企画は始まる。

2011年12月30日の朝日新聞1面から
そして、放射能を「異常に」心配して「過剰に」子どもを守ろうとする東京在住の母親と「そんなことやめろ」という夫の話し。風評被害に遭う須賀川市の農家。

科学者には、放射能について非科学的な内容の本の著者に対して、「何を言っても分からない人はいる。そういう人の納得させるのは難しい」と言わせる。

ページを変えて、「3.11以後この国で、おびえ過ぎず、楽観もせず、リスクと上手に付き合うには、どうすればいいのか」と、問いかけ、専門家と一般人(・・てどんな人を言うのだろう)による「危険度」の判断の違いを紹介する。


このシリーズ企画は、事実上このプロローグで「終わって」いたようなものだった。「リスク」をテーマにするのはいい。この社会状況にあって当然の発想だろう。しかし、朝日の迷いが、まさにこの点で吐露した企画だったと言えよう。

朝日の「見立て」は、冒頭の風評被害や過剰反応の背景が、専門家と一般人の間の意識のズレがあるからだとしている。だとしたら、普通に考えれば「一般人はもっとリテラシーをつけて冷静な判断をすべき」という主張になるのが自然だろう。しかしそうはならない。読者を断罪するのは自殺行為だから。

だから結語のところで、必ず筆が鈍る。「リスクに戸惑う国民が悪いのではなく、わかりやすく伝える工夫が、専門家や行政にこそ求められる」、「市民の不安に寄り添うべきだ」と専門家に言わせ、「怖がるさじ加減 自分の力で」と言い、「国にお任せだった安全と安心を取り戻す、民主主義の過程なのだ」と、急に大上段のモノ言いで終わる。

もし国語の試験問題で、「この文章で何が『民主主義の過程』と筆者は述べていますか」という設問があったとしたら、私にはうまく答えられない。
「安全や安心は、国任せにせず自分の力で行うこと」が「民主主義の過程」なのだろうか。教えてほしい。
どう結んでいいか分からず、否、分かっているが「読者」(購読者)を斟酌すると、ストレートに書けない。悩んだ末の「ミンシュシュギ」だったのではないか。
朝日新聞の「迷い」とは何か。
これは多くの、いわゆる「良質」なメディア、「リベラル」なメディアに共通してみられるが、大衆の行動に対してストレートには批判しにくい。だから突飛な事例を出して、それこそ「一般」の読者の良識を呼び起こして、最後は権力側に責任を持ってきて、わたしたちは「読者」の味方ですとポーズをとる。定番と言ってもいいストーリー展開だ。
多様な多くの読者を抱える新聞(公共放送もそうだろう)の一番の「悩みどころ」なのだろう。

タイトルは「リスク社会に生きる」ではなくて「大衆社会に生きる」の方がよっぽど内容にマッチしていたのではないか。皮肉を込めて言えば。


最期に「筆が滑る」事例。

2012年元日の朝日新聞から

このシリーズの元日の内容は、放射能を恐れ、東京からドイツに逃れた母子を紹介していた。移住の理由が本当に放射能ならば、これほど唐突で過剰な行動はないだろう。と、普通の感覚なら思う。
それをシリーズの第1回に持ってくる意図が、私には理解できなかった。

「突飛な事例を見て読者諸君考えてくれ」と言いたかったのだろうか。
そうではないうようだ。文面から伝わってくるニュアンスは、こうした行動が、権力に対して弱い立場の“市民”の当然の行動であり、ひとつの選択肢として、肯定的に描かれているもの。

移住した母子の写真のキャプションにこうあった。
「***ちゃん。ドイツに来てから娘の成長が著しいと、○○さんは目を細めた」、と。

これを「筆が滑った」と言うのだろう。
これでは、「放射能の高い日本(東京)を逃れてドイツに行ったら、娘の成長が著しく良くなった」と、読者にメッセージを送っていることになる。
このキャプションのひと言が、ルポ全体を陳腐なものにしてしまっている。そんなウソ臭いことを平気で書くルポをまともに読む気はしない。これは単なる読み物であり、少なくとも「ジャーナリズム」の領域ではないのだろう。
こういっては何だが、あまりリテラシーのない読者が読んだら、「やっぱり日本はアブナイ」と言う思いを抱くのではないかな。

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