2015年9月3日木曜日

「無駄」とどう向き合うか。西成活裕さんの著書から考える。


世の中、突き詰めると、「『無駄』」をどうするか」のために生きているような気がする。
 カイシャでは経費節減、業務の効率化、経営資源の有効活用などという言い方で、日々「無駄」と闘うことが日常業務だ。ヘタすると、社会的価値を生み出すという企業本来の目的がどこかに消えて、無駄をなくすこと自体が目的になってしまった錯覚に陥りかねない。

 ともあれ、無駄はなくしたいというのが、私生活でもあることは確かだ。ムダなお金は使いたくない。時間のムダもいやだ。日々、無意識に「無駄」と闘っている。

 なぜか、2008年刊のこの、西成さんの書籍を買って読んだ。「渋滞学」のあの人だ。夏前に新潮選書の書籍目録が新宿紀伊国屋に置いてあって、それを家のソファーに寝転がって、何かいい本なないか“物色”している時に気に留めた1冊だったからだ。
 
 もちろん「無駄」ということに、ことのほか関心があり、「合理的」であることをこのやく愛する性格も作用した。
 一読して「う~ん」とうなってしまった。「学問」と言うには、有名な「渋滞学」の域に届いていなかった。前半は「学」になろうとして言葉の定義や論理を展開し、中盤は「トヨタ生産方式」の具体的な紹介。後半は西成さんの社会に対するエッセイだった。
 
 決して内容が「無駄」だった。読んで時間を「無駄」にした、ということではない。トヨタ生産方式をこれほど具体的に読んだことはなかったし、エッセイも「無駄」という視点から、エンデの「モモ」から、「成長の限界」まで、さまざま知識人の著書が簡潔に紹介されているという点では、「無駄」を再認識するきっかけにはなった。

 でも一番印象に残った、実用的な記述は、結局「高速道路で車間距離を40メートル以下にすると渋滞が起きる。だから車間距離を詰めないことが肝要だ。」ということだったかもしれない。

 西成さんは「直観力」についても述べていて、これはこれで参考になる話だけど、直接「無駄学」とは関係ないお話だった。

断わっておくが、この書籍をけなしているのではない。とにかく最後まで読んだ。でも「渋滞学」のように後世まで残るテキストではなかったということかな。無駄について改めて深く考えるきっかけにはなったけど。


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