2015年9月5日土曜日

東京五輪、新競技場・エンブレム問題、官僚体質が丸見えだった。

netより「引用」
責任の取り方とは難しいものだ。だれでもオレのせいじゃないと思いたいし、実際ヌレ衣もあろう。責任を取るということは、失敗を認めるということであり、それは日本では「ダメな人間」として分類されることである。サラリーマン社会では、一度そう見られると致命傷になる。官庁でも大企業でも多くの組織で、そういう人にはレッテルが張られて、昇進や処遇に響く。

五輪組織委員会や周辺組織は、まさにそうした組織の「模範」だ。
元財務次官の武藤氏が事務局長ということは、彼を支える人に官僚出身者たちが多く送り込まれていることは、想像に難くない。

彼らはおそらく優秀な人々だ、ある面で。記憶力が図抜けてよく、事務処理能力にすぐれ、前例(法律)を熟知し、政治的に動く人(まさに政治家)の操縦術を心得ている。

多くの事柄・課題をそつなくこなし、少しのミスもなく成し遂げていることだろう。それが彼らの評価につながり、次のステップになる。財務官僚であれば地方の税務署長を20代で務めるのと同じように、組織委員会などで「国の仕事」をこなし、その評価をもって本庁に凱旋するのが目標だ。

だからどんな小さなミスでも責任をとりたくない。私が間違っておりました、などとは口が裂けても言えない。言ってはいけないのだ。彼らにとっては。

新国立競技場問題が世論の批判を浴びてどうにもならなくなっても、エンブレムの“疑惑”が沸点に達しても、積み上げてきたことを撤回することは、自分の非を認めることになり、彼らにとっては「あってはならないこと」なのだ。だから結局対応が後手後手に回り、政治決断という「天の声」があるまで事態は止まらない。

武藤氏の先日の会見での責任の取り方に関する答え方にそのことがよく表れていた。無責任、どこか他人事という批判がメディアでなされたが、そうした「背景」を考えると驚くに値しない、予想されたことだった。

だって日本はずっとよれでやってきたじゃないですか・・。戦争責任にしても、何にしても。

アメリカのことはよく知らないが、自分の少ない読書の中から思うのは、かの国には「失敗してもやりなおせる」仕組みや、風土があるらしいということだ。だからチャレンジもできる。

経営学や組織論などでは言い古されたことだが、「失敗してもやり直せる仕組み」「チャレンジ精神が発揮できる仕組み」が求められている。しかし日本ではそんな理想論は通用しないだろう。これからも。そういう国なんだから。
それで良いとか悪いとかでなくて、そういう国なんです。変えようとしても変わらないダメな国、日本は。


ついでに、デザインの変更過程が選考委員に知らされていなかった問題にもひとこと。
これも極めて官僚的手法でコトが進んだということだ。

通常、法律が国会で成立すると、官僚は政令を作る。また権力をバックにした指針、行政指導を行う。国会の決議で決まる法令には、あまり細かいことは書いていない。いわば精神だ。詳細を取決めるのが政令だ。政令は国会審議を経ないから官僚の意のままに作られる。そしてコトは彼らの思うように進む。(もちろんそれが全て悪いコトだと言っているのではない。透明性の問題だ)


政令を決めたら、おそらく国会の有力議員さんのところは持っていって、これでいいですねと「確認」を取るのだろう。その時議員は、もともと大元の法令に賛成しているから基本的に反対する真理にはならない。そこで官僚から分厚い資料で細かい説明をされてもにわかには理解できない。それで、「わかった、わかったそれでよい」となり、かくして官僚の思うとおりの政令が出来上がる。

エンブレムのデザイン専攻もまさにこんな構図で進められた。
誰の作品を選ぶかは選考委員さんがお決めになり、佐野研二郎の作品が選ばれた。しかし細かい修正はいちいち選考委員にお伺いを立てることなく、官僚たちが勝手に進めた。そしてもう反対する雰囲気のないところで、選考委員の示して、「これでいいでございますね」と言って決まるのだ。

優秀な官僚の方々にひとつ欠けていることがあるとすれば、「大衆の空気が読めない」ということに尽きるだろう。彼らにとって「大衆」は、自分のアタマで考えない人々としか見ていないから、彼らの気持ちを読む気にならない。だからしばしば「大衆の反逆」に遭遇する。

もっとも大衆的発想に抗って国のかじ取りをすることも必要なので、それがすべて悪いことではないけど。時には大衆の発想の方が「正しい」こともあることを忘れないことだ。


書いているうちにまた思いだしことがある。かつて細川政権の崩壊につながった「国民福祉税」構想は、そんな大衆の空気が読めなかった官僚によって作られた原案だったな。多くの国民は非常な唐突感を持った。しかしずっと、国の財政危機についてそうすれば良いか考え続けてきた官僚たちにとってはまったく唐突でも何でもないことだったのだろう。お気の毒に。



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