2015年9月4日金曜日

五輪エンブレム「似ている」と「マネした」は別問題だ。話しは分けて考えるべき

東京五輪のエンブレム問題で揺れている。佐野研二郎氏が“デザイン”した(らしい)ものは、様々に「疑惑」が出て、結局取り下げたのは、各メディアの報道の通りでしょう。
一連の報道で気になったのが、佐野氏の問題である「模倣」と、デザインの問題である「似ていること」がどうもごっちゃに報道されてきたことだ。

すべてのメディアをチェックした訳ではないけど、公共放送のニュースを見ていて、内容に疑問を持った。
「似ているという指摘に対し、佐野氏は模倣を否定しています」と、いう言い回しがよく出てきたが、このニュースは模倣について掘り下げたニュースなのか、似ているかどうかについて検討したニュースなのか、よく分からなかった。

似ているがどうかは、一目瞭然だろう。多くの人が「似ている」と感じるのは疑いのないところだ。デザイナーなど「専門家」は、シンプルなデザインでは結果として似たデザインになると、ご主張なさっているようだが、それはその通りであり、似ているものを許容するのかどうかと、似ているかどうかという受け止めの話しをごっちゃに1本のニュースで伝えては、何も伝わらない。少なくとも、ニュースの意味を理解できない。

一方佐野氏が「模倣」したかどうかは、突き詰めればそれは心の問題であり、証拠を示すことなど不可能に近いし、追求することに余り意味はない。
本人は「模倣」した意識がなくても、どこかで見た記憶が脳の奥底に残っていて、それがデザインに無意識に反映されたかもしれない。(フロイト的に言えば「前意識」ですね)
そうであれば、「模倣」は否定するだろうし、それはウソではない。無意識のことなんて人間だれにでもあり、そんなもんだ。

 五輪のエンブレムとして何が問題かと言えば、似ているかどうかだろう。結果として似ていることが分かれば、そのオリジナリティーは薄まるのだから、「代えてもいいんじゃねえ」となるだろう。

少なくとも言えることは、佐野氏には「模倣癖」がありそうだといことだ。数々の指摘を見れば、彼の性癖は推して知るべしだろう。そういう人間だということだ。

余談ですけど、我が家で愛用している山形のおいしいコメ「つや姫」の袋のデザインも佐野氏だったと知り、少々がっかりしています。

余談2.
「模倣癖」で思い出されるのはあの、一昨年亡くなった山崎豊子の「盗用癖」だ。そりゃ、数々の優れた作品を世に出してきたかもしれないけど、たびたび、他書著からの「無断引用」を指摘され、それでも治まらなかったのは、彼女の「盗用癖」という病理のためだった。と、思う。

メディアは山崎が亡くなった時、(私の知る限り)まったくこのことに触れなかった。別に亡くなった方にムチ打つことはないが、きれいごとばかりでなく、史実としてきちっと伝えることも必要ではないのかね。



0 件のコメント:

コメントを投稿