2015年9月3日木曜日

古市憲寿「もう誰も戦争を知らない」(新潮45 8月号)は、非常に優れた考察だ。

古市憲寿さん(netより「引用」)
 古市寿憲さんは若手も論客の中でも、注目している。(すみません、あの髪型はあまり好きではありありませんけど)。
 
 近隣諸国、特にあのアジア太平洋戦争で日本が占領した国々では、ここのところの対日関係もあり、「戦後70年」を国内的にうまく「利用」していることは、ここでは置くとして、それにしても戦後70年とは何だったのか、冷静な考察が必要だ。古市氏が新潮8月号に寄せた文章は、すぐれて本質をついたものだった。「もう誰も戦争を知らない」


(いつものように図書館では9月号が発売にならないと8月号が借りられないので1か月遅れです)

20130806朝日新聞から「引用」
古市氏は2013年8月6日の朝日新聞に寄せた一文でも「平和の記憶から始めればいい」と、戦後という枠組みにこだわる風潮に、疑問を呈して、問題提起していた。(いい文章なので切抜きしてました)

古市氏の「新潮45」での主張は極めてまっとうだ。
 「このままでは戦争語りが「学校の怪談」や都市伝説化する。悩ましいのは、歴史の怪談、都市伝説化に抗うのは意外と困難だという点。きちんとした証拠に基づき、論理的整合性に配慮する歴史学よりも、何となくの根拠で伝えられる物語のほうが人類にはなじみ深い」と、戦争語りの陥穽を指摘し、

戦争全否定派はとにかく恐ろしさを説く。しかしこれらの情報は決して嘘ではないが戦争 のすべてではない。あの戦争は軍部の暴走だけで起きたわけではなく、背景には国民の圧倒的支持があった。特に開戦初期には多くの国民が戦勝報道に熱狂し、メディアや軍事産 業は大きな利益を得た。」「戦争肯定派はとにかく気持ちのいい話を好む。日本はアジアの国々から感謝されている。帝国陸軍の兵士はみな起立正しく国のために命を捧げた。しかしアジアに厖大な犠牲者が生まれたのは疑いようのない事実。ほんのわずかな例から日本賛美の物語を紡ぐのは都市伝説と変わりない。」と
左右の論壇のありかたの欠陥を分析、

そして
仮に戦争体験ができるだけ正確な形で伝わったとしても、それがどれほど意味のあることかはわからない。それこそ「戦後70年」特集でよく見るのは、あの悲惨な戦争を繰り返さないで平和な世界を作りましょうというメッセージ。しかしあの戦争と平和構築を安易に結びつける議論が非常に危険だと思う。なぜなら現代世界で起こっている戦争は70年前に終わった戦争とはまるで別物だから。」と、現実を見据えている。

戦争の記憶が風化してからのほうが、僕たちはより『戦争』をフラットに見ることができるかもしれない。同時に都市伝説化、怪談化も進むけど。だがそれほど心配していない。(時間がたては)冷静な議論ができる時代は絶対に来る。日中韓の関係もまた押してしるべし。」と結んでいる。

 言うまでもないが、古市氏は、「加害者としての日本という主体を忘れてもよい」と言っているので
はない。また、語り部を使命と思って、原爆体験や空襲体験の語り部たちの活動を否定しているの
ではない。平成生まれれの人々に、「語り継ぐ」ことがどれほどの意味があるのかと疑問を呈して
いるのだ。
これって、とかく何でも情緒に流される日本人(という再帰的な存在)には、けっこう大事な指摘だと思います。




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