2012年5月21日月曜日

武田徹氏と永江朗氏 2人の言論人について

○武田 徹(たけだ とおる、1958年9月27日生まれ)東京都出身。
○永江 朗(ながえ あきら、1958年5月9日生まれ )北海道旭川市出身。
永江朗氏(netより引用)
武田徹氏((netyより引用)

(この項は、4月に書き始めましたが、いろいろあって本日までupがずれ込みました。)

これまで、シロウトなりに多少、論壇誌などを読んできたが、武田徹さん、永江朗さんの著作を読んだことがなかった。それは、避けていた訳でも、嫌っていた訳でもない。単にあまり読書量が多くない私にとって、そこまで行き着かなかっただけである。

武田さんについては「NHK問題」で知った。しかし読まなかった。東日本大震災のあと、ほどなくして「私たちはこうして原発大国を選んだ」が出版されたが、手に取ることはなかった。それは、非常に多くの「原発本」が次々と出されるなかで、新聞各紙と週刊誌の書評を読むのが精いっぱいで、その中からこの1冊を選び取る力量が、私にはなかったからだ。

永江さんは、新聞の書評で「そうだ、京都に住もう」を知って、図書館で借りてきたのが最初たっだ。永江さん自身が書評をよく書かれている。新聞書評はわりとよく読むので、無意識にこれまで永江さんの文章には触れているかもしれない。「不良のための文章術」などを図書館で借りて、斜め読みした。
今年、春の陽気になった頃、既存の書き手に少々飽きて、竹田徹さんと永江朗さんの著作を読んだ。(「既存」というのは、自分の好みの著者ということで、メディアの常連ということではない。)

武田徹さん「殺して忘れる社会」。永江朗さん「新・批評の事情」
●文章がうまいとは、どういうことか
この方々の著作を読んで、まず感じたのは「『文章がうまい』」とはどういうことなのか」ということである。
シロウトのわたしが言うのは僭越だが、率直に言ってこの方々の文章は読みやすい。平易な言葉でわかりやすい構成で書かれている。それだけではない、どちらも豊富な読書量に裏打ちされた確かな知識とその考察がなされている。
うまい文章、読みやすい文章、読んでいて心地よい文章とは、単に言い回し(文体とはあえて言わない)や文節の構成が分かりやすいということだけではないことに気付く。
説得力ある内容があって初めてその文章は「いい文章」なのだろう。そんな、いわば当たり前のことを改めて認識した。


武田さんの「殺して忘れる社会」は、産経新聞大阪版に連載されたものだが。様々なテーマについて、豊富は情報量に支えられた考察が毎回書かれている。この人の言説は極めてまっとうで説得力がある。
タイトルにもなている「殺して・・」は前書きで書かれている。
平たく言えば、いわゆる「熱しやすく冷めやすい」と言われる日本人のメンタリティを現代の事象に即して分析している。

震災の起きる前に書かれている原発に関する文書は、今の事態を予想したかのように鋭い洞察力で書かれている。
(「私たちはこうして原発大国を・・・」は、「核論」のタイトルで震災前に出されていたことはあとで知った。)。

原発について書かれた文章
この人のすごいところは、常に冷静に落ち着いた文章で書いていることだ。武田さんも大方の知識人と同様、いまの(大衆)社会に、ある種「苛立っている」ことは間違いないだろう。しかしその苛立ちを露わにすることなく筆を進めている。だから説得力がある。こうした書き方を見習わなければ・・・。

この人の仕事を少しづつ読んでいこうと思う。







永江さんの「新・批評の事情」は、面白い。著作から見た言論人評なのだが、この人の読書量も半端でないだろう。よくこれだけの人の多くの著作を読んでいると感心してしまう。また、読んでいるだけではなくて、読んだことが、アタマの中でよく整理されているのだろう。でなければ、これほど、引用をうまく使った評論を、これだけの量、書くことはできない。(と、思う。)

この人は決して人をけなさない。実に巧みに批評対象者の著作を通して、その人物像を浮かび上がらせている。こうした本をこれまで見たことがなかったほどだ。

永江さんは、「不良のための読書術」(NHK出版)の冒頭で、ヒトに読まれる文章について、こんな主旨のことを書いている。「老人に席を譲りましょう」と、あたりまえのことを書いても誰も読まない。「健康のため老人は立たせておくべき」と書かなければヒトは読んでくれない、と。(記憶での引用なので不正確かもしれません。)
しかし永江さんご自身の文章は、そんな斜に構えた文章ではなく、けっこう直球系かもしれない。

日本のマスメディア(何が基準なのか分からないが)では、必ずしも「著名」でないかもしれない武田氏と永江氏。しかしこうした人の文章がもっと読まれる“べき”だと思う。
偶然にも同年代の私。学ぶことの多い、武田氏と永江氏だ。
しかしこのくらい文章が「うまく」なければ、文章で身を立てることなんかできないんだろうな。

なぜ京都なんだろう、なんて思ってしまった。
原子力問題がここまでこじれた日本
きっとこの本にはヒントがあるはずだ
これから読みます
 
○追記
ちなみに武田さんは最近アサヒのwebRonzaにも書いている。(「一県平和主義を超えて」など鋭い考察をしているが、無料で読めるのは途中までなので冒頭部分しか読んでいませんが。)

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