2012年5月18日金曜日

復帰40年。「沖縄は独立を目指すべきだ」というのは暴論か

沖縄の日本復帰40年の今月、論壇各紙も沖縄“問題”を取り上げている。(沖縄側に「問題」がある訳ではないので、カッコにした。誤解のないように)

いくつか読んだ中では「世界」6月号、山田文比古東京外大教授の論文「沖縄『問題』の深淵~むき出しになった差別性~」が、本質をよく説明してくれている。

山田氏は外交官、沖縄サミットの時期に沖縄県庁に政府との連絡役として出向している方だ。
○普天間基地の移設問題は鳩山首相(当時)の「最低でも県外」発言で沖縄の期待が高まっただけに結局辺野古に逆戻りし、県民の味わった落胆た怒りの大きさがあり、そうした批判の先鋒になったのが野党自民党だと断罪する。
○民主党は、野田政権になってなんとか以前の状態に戻すべく、野田首相が低姿勢で臨んでいるが今のところ功を奏していない。

○しかしコトは以前の状態に戻せばよいという単純なものではない。沖縄には無視できない変化が起きている。基地問題に関し、内部が一本化し、一枚岩になった。

○沖縄にはもともと。米軍基地の存在そのものに反対する勢力と、沖縄振興のためには現実的な対応が必要で、県内移設もやむを得ないと考える宥和(融和)的勢力の2つの潮流があり、前者は「革新」、後者は「保守」として、保革のひとつの対立軸になっていた。
普天間基地(宜野湾市HPより)
○しかし民主党政権以来、両勢力のいずれもが、県外移設で一致するに至った。これまで革新の大田昌秀、稲嶺恵一、知事は県内のこの対立軸に悩まされたが、仲井間知事は少なくともそれが除かれた。鳩山氏のおかげて県内に平穏をもたらしている。

○そかしそれに伴い沖縄と本土の間には深刻な問題が生じた。これまで融和的な現実派が、革新側と本土との間に介在することによって果たしていた、緩衝材の機能が薄れ、沖縄と本土は対立の構図がむき出しになった。

○その結果、沖縄と本土の間にある深刻な認識ギャップ=「差別」という問題が顕在化。米軍基地が日本に必要というのであれば、そのコストは日本国民が等しく負担すべきというのは、今や沖縄全体の総意になった。

○こうした被差別感情が広く共有さるのは、単に基地の過重負担にとどまらない。琉球処分、沖縄戦など差別的な扱いを受けてきた歴史の記憶が認識ギャップを根深いものにしている。

○沖縄では安全保障においても本土と認識ギャップがる。武力による均衡というパワーポリティックスの考え方にはどうしてもなじめない、むしろ武力があるからこそ、沖縄は悲惨な戦闘の巻き添えになったという認識がある。米軍の駐留の正当化の理屈も沖縄では理解されない。むしろ歴史的に中国に一定の親近感こそある。尖閣列島の危機意識も石垣島など直接関係のある地域を除けばそれほど高くない。

○ここ2,3年で起きた変化は、沖縄に「先祖帰り」をもたらしたと言っていいほど根源的。差別の解消こそ真の安全保障であり、時間はかかっても、本気で県外移設を考えるしか出口はない。

というのが概要である。

米軍 嘉手納基地
  一枚岩になった沖縄世論。確かに保守の仲井間知事が、県民世論を背景に中央政府に対して頑なになったことは大きい。ちょとキツイ言い方をすれば、保守が「基地反対」を唱えても、政府の交付金は増額してもらえるという「現実」も、今年度の政府予算で証明された。これまでのように宥和的態度に出なくても予算はもらえるという「学習」がなされたと言ってもよい。
ただ、この事態はますます本土と沖縄の意識を分断する方向に向かうだろう。悲しいけど。
朝日の記者有論に掲載された「沖縄は『わがまま』なのか」という沖縄タイムズから朝日に出向しているという比屋根万里乃(ひやねまりの)記者のコラムがその一端を表していた。(下段参照) 本土の一般市民だけでなく、日々政治を取材している本土記者にとっても、沖縄は「ごね得」だと映るのだ。
中央政府は、おカネによって、沖縄の“加重な負担”を埋め合わせようとしえいる。しかし沖縄が求めているのは、おカネによる「賠償」でなく、本土との“平等な扱い”なのだ、とこの記者は訴える。
それはわかる。ただ本土の人間が考えるのは、おカネはもらっといて、なおかつ加重な負担も「県外、国外」と言うのはどうしてか、となるのだ。おカネは拒否します。だから基地を外にもっていってほしいというのでなければスジが通らないというのが、本土の人の多くの見方ではないか。(こう言うの沖縄の人にそうとう失礼なのは重々分かっている。)
  前項で示したとおり、沖縄問題の本土新聞の主張は割れている。辺野古移設で我慢してもらうというのが産経、読売、日経もそうは書かないが主張はその方向だ。
これに対して朝日、毎日、東京は辺野古をノーと言い、「本土も等しく負担を」という主張だろう。しかし、ではどこにどのくらい移設するのがいいのかは示していない。示すことなんかできはしない、示した途端そこでは、その新聞が売れなくなるだろうから。だから「空論」を主張するだけだ。
米軍は必要ない、またはここまで縮小できるという具体的主張をするなら、スジは通るが、それにはあまり言及せず、あてもなく単に「県外」や「国外」という主張はずるいというほかない。朝日や東京のいつものパターンだ。
辺野古の海(netより)
海兵隊の必要規模や嘉手納基地の空軍の必要規模について、少ない資料から分析して検証しているのは我部政明琉球大教授くらいしか見たことがない(世界4月号「限りなく実効性の低い米軍再編見直し合意」)

沖縄サミット(2000年7月)の年の5月。沖縄で仕事をした。嘉手納基地近くの小学校に夕方先生を訪ねた。もう薄暗くなりかけた時間(18時を回っていたと思う)だったが、ジェット機の騒音はすさまじかった。子どもたちは、おそらくこれでいつも、先生の話しが中断したり、お互いの会話が途切れることを日常的に経験していることを身をもって実感したのだった。
その事態はおそらく10年以上たった今も、いや1945年以来変わっていないのだろう。
沖縄の置かれている状況をなんとかしたい。それが本土に住む者の責務だという意識は、私自身強い。たからこそ復帰40年で新聞や論壇の言説を読んで、考える材料にしている。

「差別性」という言葉には、少々違和感を覚える(それは毎日の社説でも同様のことを感じた)が、過剰な負担、それも直接的で日常的な負担と、事故などの危険への確率の高さがあることは紛れもない事実であり、それをいかに取り除くかは最重要の課題であることには変わりはない。
しかし本土との認識ギャップが広がりこそすれ一向に縮まらない現状では膠着状態が永遠に続く。山田氏が論考で「時間がかかっても県外移設へ」と言う気持ちはわかる。が、それは100年後200年後地球資源が枯渇して国同士が争っていられなくなる事態でも来ない限り実現が難しいと思う。
一番の近道は、中国や北朝鮮の「脅威」が取り除かれることだ。つまり日米の友好国になることで、基地がパワーバランスを保つ拠点になる必要がなくなる状況になるほかない。それも今の国際状況を考えると少なくとも20年30年は難しいようにも思う。
■「差別性」を解消する手立てはあるのか。
自分たちのことは自分たちで選択する、自主権こそが大事だという立場に立つと、米軍が必要かどうか、どこまで負担を引き受けるのか、または引き受けないのかを沖縄自身が決めることでしか「差別性」は解消されない。

それは沖縄が原点に返る、すなわち独立性を取り戻すことではないか。沖縄が独立したひとつの国であれば米国とも直接交渉できる。日本と友好国になるか、それとも台湾と組むのかあ、あるいは中国の友好国になるのかも自主的に決められる。それが沖縄の自己決定であり、真の自立だろう。
独立しても日本の友好国としてやっていくのなら、日本は地方自治体への交付金でなく、ODAとして援助すればいい。相互防衛協定を結ぶなら自衛隊の駐留も、引き続きありえるだろう。もちろん観光地としてこれかも日本人は訪れる。
一方米軍基地に関しては、沖縄の自主的判断で米国と交渉する。そうなればアメリカもこれまでのように日本政府に解決策を押し付けるのではなく、本腰を入れて取り組むことになるだろう。

こうした考え方ははたして「暴論」だろうか。少なくとも主な論壇紙では「独立」の文字はみかけなかったし、実現可能性としては小さいと言われてしまえば、確かにそうだ。しかし独立を目指すという本気度が、さまざまな意味で沖縄を強くするのではないか。日経などが主張するように沖縄の経済的自立はまだほど遠い。補助金、交付金頼りの公共事業だけでは自立できないのは目に見えている。独立(=自主自立と言ってもよいかもしれない)を宣言してこそ、自らが鍛えられ、それが結果的に、いまある「差別性」の解決を導くのではないか。

沖縄が好きだからこそ、沖縄が独立を目指すことを、あえてすすめたい。

(付録1)
おもろまち(那覇新都心)
那覇新都心は1987年(昭和62年)5月に全面返還された米軍牧港住宅地区の跡地を造成した地区。大型ショッピングセンターやマンション、総合運動公園などが設置されている。
しかし本土の地方都市でよく見かける、郊外型の店が目立ち
その意味では「沖縄らしさ」がさほどない平凡な町になっている。
観光客にとってはがっかりだ。
今後、順次嘉手納以南の米軍用地が返還されていったとき、沖縄はどんな町づくりを進めていくのだろうか。
本土の人間がイメージする「沖縄らしさ」など、うちなーんちゅにとっては幻想でしかないのか。「本土並み」の平凡な郊外が、沖縄の人の選択であるのなら、本土の人間はとやかく言うことは控えたい。
カジュアルにはユニクロを着て、会社勤めには青山の清涼スーツ。休日はTUTAYAでCDやDVDを借り、マックやケンタッキー、またガストやサイゼリアでご飯を食べる。ショッピングセンターにはイオンやイトーヨーカドーに並んでいる「本土並み」のインスタント食品やレトルト食品が豊富にならんでいる。全国どこでも見られる「郊外の風景」だ。もちろんスタバやモスバーガーもそのうち出来る。

(付録2)
 岩波ブックレット「沖縄・読谷村の挑戦」を読んだのはもうずい分前のことだ。
現在参議院を務める山内徳信さんが、読谷村長だった時、村内の米軍施設(飛行場滑走路)を次第に村で使えるようにしていく話しだったと記憶する。また、いわゆる「黙認耕作地」の話しも出てくる。沖縄戦で米軍の上陸作戦が展開された読谷村。その地でしたたかに米軍と渡り合って権利を取り戻してきた山内氏の行動力には力強さを感じる。そしてだからこそ、何もしてくれない本土(中央政府)への不信は、われわれの想像を超えるものなのかもしれない。
こうした事実をひとつひとつひも解いて理解していくことからしか、本土と沖縄の溝は埋められないだろう。
読谷村役場の前のまっすぐで妙に長い「道」は、実は滑走路だった。本を読んでから訪れたので興味深く車を走らせたのを覚えている。 


2012.3.27 朝日新聞より「引用」

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