2012年5月17日木曜日

復帰40年。沖縄は本土の新聞社説でとう扱われたか

2012.0515-16 各紙の社説

復帰40年。沖縄問題、基地問題、そして本土とうちなーんちゅの「断絶」は非常に難しい問題だ。「こうすればよい」という解決策などない。かといって放置していいことでもない。

5月15日(一部16日)の新聞各社の社説は、方向性の温度差こそあれ、どの紙も本土からの主張に「迷い」が見て取れた。

そのことが、この沖縄“問題”の難しさを物語っているように思う。

読み比べてみることで、今後の沖縄を考える糧としたい。








○読売「沖縄復帰40年 経済と安保を両立させたい」

日本米軍施設の74%が集中することを“加重な負担”と規定。尖閣列島問題など中国の動きを踏まえて、沖縄は地政学的に安全保障の面では一層重要だとし、経済振興と安全保障の両立を問う。
一括交付金で沖縄の振興計画を県主体に移した政府の施策を評価。そして普天間の辺野古への移設を「粘り強く取り組むべき」ことしている。

○朝日「沖縄復帰40年 ①まだそこにある不条理、②めざせ、環境先進地」と2つの社説を掲載

①米軍基地が減らないのは「本土による差別だ」という回答が50%の世論調査を紹介。米海兵隊の移転先を政府が、辺野古に固執していることを批判し、そもそも海兵隊が必要なのかと疑問を呈する。基地のもたらす「猛烈な騒音被害も、事故への日常的な恐怖も本土の人々は共有しようとしない」と指摘。尖閣列島では敏感に反応する本土人を「安全保障をめぐる国民世論のいびつさ」と言う。
経済的な支援策では埋めきれない不条理なまでの重荷を沖縄に本土の人々が負わせていることを指摘。

②沖縄県のひとりあたりの県民所得は全国最小で失業率も高いが、90年を起点に直近のデータと比すと個人所得は1.4倍、小売り販売は1.2倍を超える。県民の平均年齢の若さ(40.5歳)や出生率の高さなど意外に元気であるとしている。EV自動車など環境先進地への挑戦を「脱基地経済への足掛かり」と期待する。

○日経「復帰40年の沖縄は自立へ向かえるか」

40年前に掲げた「本土並み」には程遠い現実を認めつつ、復帰時に95万人だった県民人口が140万人を超えたこと。毎年2万人前後が本土から移り住むこと。500万人を超える観光客など、意外に元気であると指摘。しかし、これまで投じられた10兆円超の振予算に見合った成果が得られていないこと、建設業が主体のいびつな経済構造、公共事業の大盤振る舞いなどをあげる。そして「基地経済」は40年で半減したが、広い意味での基地依存はむしろ深まっているようにみることもできると言う。経済はどうすれば自立できるか沖縄自身の努力を促す。安全保障に関しては、「安易に米軍を減らせば沖縄、ひいては日本の安全保障を損ないかねない」とする。


○東京「いまだ『復帰』なし得ず 沖縄施政権返還40周年」

米軍基地が減らないのは様々に理由づけがなされてきたからだとし、「沖縄県民の苦悩に寄り添って現状を変えようとする姿勢が日本政府にも本土にすむ日本国民にも欠けていた」と言う。
毎日と琉球新報の合同世論調査を引いて、本土人が沖縄の厳しい現状に目を向けようとしない身勝手な意識だとする。そして「沖縄が日本の不可分な一部」なら「負担は日本国民ができ得る限り等しく負うべきだ」とする。そして政府のウソ体質を糾弾し、沖縄米軍の抑止力を真実かどうか自ら考えるべきだとする。

○産経「安保激変乗り切る要石に」

大戦時の大変は犠牲など悲しい過去に言及しつつ、安全保障では沖縄の戦略的重要性もますます増大している」とする。そして「安保も経済も」と両立を目指したい、と。日本の安全が守られてこそ沖縄の平和が維持されると指摘。そのためにも地元振興を図ることが大切だと説く。

○毎日「沖縄本土復帰40年 『差別』の声に向き合う」

沖縄には4度の「差別」があったと。明治維新直後の、いわゆる「琉球処分」、大戦末期、本土の捨て石にされた沖縄地上戦。1952年のサンフランシスコ講和条約発効で米国統治下に置かれたこと。そして1972年の本土復帰。領土返還という最も難しい外交課題を粘り強い交渉によって成し遂げたことは正当に評価されるべきだとしつつも、期待した「基地のない本土並みの暮らし」と現実の落差の大きさを嘆く。また世論調査から米軍基地の集中に対して本土とうちなーんちゅの意識の隔たりを指摘する。一方厳しさを増す東アジアの安全保障環境を考えると、在日米軍をただちに大幅に削減することは難しいとし、本土が負担を引き受けるしか選択肢はないとする。また自衛隊が役割分担をすることもいち方策とする。

東京ですぐ読める全国紙、ブロック紙、計6種の社説はざっとこんなところだ。
今後の沖縄について、現実的な提言を行っているのは「日経、読売、産経」だろう。政府の施策の追認だとも読めるが、現実に「選択肢は限られている」(毎日)中で、振興策と基地負担をセットで沖縄に「提示」するしかないということだ。簡単に言ってしまえば。もちろんそれで言いとは思えないので各紙ともエクスキューズを付けている。それは沖縄の自立だ。一括交付金という使い道の自由なお金を政府があげたのだから自ら考えてください、と。

朝日、東京の主張は、あいかわらず「ご都合主義」に読める。本土の人々が等しくもっと負担を分かつべきだと、苛立ってみせるが、朝日、東京新聞自身も本土の新聞として当事者ではないのか。この2紙の言い方には「私たち、いつも沖縄苦しみを考えてきていましたヨ」と言う、ある種いやらしさが、どうしても付きまとう。本土が負担と言っても、それもいかに大変なことかは、この新聞社でもわかっているはずだ。震災被災地のがえれきひとつ受けれるのに大騒ぎする「本土人」が、基地受け入れ負担をどう「等しく」受け入れることができるのか。理想論というか空論を掲げるだけに過ぎないだろう。

朝日の「めざせ、環境先進地」は、この日の社説としてはちょっと毛色が変わっていて目立った。環境にひとつの可能性を見出すことは、具体的な提言であろう。しかしここにも触れられていない課題が隠されている。EV自動車など「環境にやさしい」電気は、実は原子力発電とセットだということだ。化石燃料を燃やして電気を作ってもエネルギー効率から考えたらあまり割に合わない。これにはもちろん反論もあろうがここではこれ以上触れない。

朝日など「革新」側の論調でいつも気になるのは、一見よさそうな施策を提言していながら、実は課題や反作用に触れないことだ。「理想論のまやかし」とでも言うのだろうか、リアリズムなき計画で読者を惑わしているとしか思えないこともしばしばだ。

毎日の主張には、すこし「おやっ」と思った。朝日、東京に近いお考えの新聞だが沖縄米軍の抑止力の重要性は認めている。もちろん現状で言いとは言っていなが。それにしても「差別」という言葉をあまりに安易に使ってはいないか。確かに仲井間知事が米軍基地負担を差別と呼んだが、それを受けて、サンフランシスコ講和条約や本土復帰まで「差別」のひとつとするのはいささか違和感を覚えた。安易にすぎる言葉のこじつけだ。沖縄がその時々で犠牲になり、あるいは捨て石にされてきたことは確かだし。そのことは読売、産経、日経も認めている。

差別という言葉は、私はもっと「重い」言葉だと思う。ある人間、または行政や政府や企業などある種の「主体」が、他を不当に区別して忌み嫌う、避けることである。地政学的に「運命づけられた」ことを「差別」のひと言で片付けるのはどうか。もちろん運命だったから「仕方なかった」などと言う気は毛頭ない。思考の出発点として、「差別された沖縄」という発想が、はたしていいのかどうかを問いたい。毎日新聞には。


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