2012年6月28日木曜日

脱法ハーブでハイになる。・・・・なんてことのないように

◆走ることについて語る 別論

大麻を吸ったことも、覚醒剤を打ったことも、シンナーをビニールに入れて吸ったこともないので、いま“流行”の脱法ハーブがどういうものなか知らない。もちろん知ろうとも思わないけど、若い人たちがこうしたものに魅了されていく状況は、おじさんとしては看過できない。

走りはじめて2年ちかく「ほぼシューイチランナー」も膝の腱や足の甲の痛み、ふくらはぎの痙攣、そしていわゆるぎっくり腰など、通過儀礼のごとく経験して、ようやく低レベルだが「安定期」に入った。

ランナーズハイというのがどういうことなのか、(もしかしたら本物は違うのかもしれないが)、少しわかるようになった。ランニングを始めて最初の2,3㎞は体も硬くちょっと億劫だ。5㎞くらが結構苦しいし走るのに飽きてくる。しかし6,7㎞になると、いつしかスーと妙な力みが消えて走りやすくなる。それでピッチがあがる訳でも蹴る力が増して歩幅が長くなる訳でもない。だだ走っていることが「ラク」になるのだ。もちろん息はそれなりに苦しいし、意識していないと腰が落ちてかかと着地になってフォームも乱れてくる。でも「なんとなく走れそう」な気分になるのだ。これがいわゆる「ランナーズハイ」なのだろうか。まだ22㎞以上を走ったことはないが、42.195㎞も夢ではなくなって、完走も現実味が出てくるような心持ちになる。ありていに言えば走ることに「前向き」になる気分だ。
これが結構、快感だ。苦しさの中にあるエクスタシーと言ってもいいかもしれない。
(村上龍氏の小説にエクスタシーという小説があったことを思い出した。これはドラッグの名前だったけど)

人間であれば、いや高等動物であればだれでも快感を求める。それは抑制できない。運動によってそれを得ることができる者は健全だ。中には放火して火を見ることが快感という人間も存在する。どういう方法で快感を得られるかそれが問題なのだ。

脱法ハーブを吸って快感を求める若者たちに、「それはダメだ」と言っても、あまり効果はないだろう。脱法ハーブを違法薬物に指定して流通しないようにしても、それはある程度は効果はあろうが根っこのところの解決にはならない。

要は、若者に薬物に代わる快感があることを教えてあげることだ。走ることだけでもやりようによってはドーパミンが分泌されて快感を得られるんだから。

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