2012年6月6日水曜日

菅直人は単なる「市民運動家」でしかなかった、2つのエピソード

イラ菅 本領発揮
原発事故調査委員会の参考人で証言した菅直人元総理大臣殿は、東電に乗り込んで「陣頭指揮」をとった時、怒鳴り散らしていたことについて、「夫婦ゲンカの時より小さい声だった」とのたまった。(テレビニュースから)
こういう場にこうした例えを出すこと自体、ほとんど民放テレビのバラエティー番組に出てくる「おバカキャラ」そのものだろう。物事をちゃかしていい時と悪い時があるという社会人としての基本的な作法そのものを知らないことを吐露しただけだ。
その菅について、最近新聞に載ったエピソードを紹介する。アサヒとサンケイという東西、でなかった“左・右”の横綱が、図らずも菅の人となりを書いているのが面白い。

12.4.30 朝日新聞より「引用」
①朝日の記者有論「諫早湾対立の15年 開門なしに『毒水』消えぬ」から
判決が確定したのに諫早湾干拓の潮受け堤防を開聞する見通しがたたない。判決を確定に導いた菅も当然開門を主張。それなのに進まないのは絡み合う利害を解きほぐすプロセスが抜け落ちているからではないのかと、昨年菅氏にインタビューした。
その時地元の反発を指摘したら、怒り出した。「ちょっと(君は)現場に居すぎるじゃないか。原理原則に立ち返らなきゃ。じゃあこじれなければ何でもいいの?」と言った。
彼からすれば開聞は官僚の巨大利権をぶちこわすという大義の実現なのだろう。だが決断しさえすればいい、というのは無責任に思えた。そういう姿勢が開聞を遠ざけたのではないかと、この記者は書いている。




12.6.3 産経新聞より「引用」
②6月3日の産経新聞「日曜日に書く・危機に最も不適格な菅元首相」から

原子炉復水器の専門家として、3.11の自己発生直後から首相官邸に助言・提案を行っていた上原春男氏。3月20日には、上原氏の事務所に民主党の原口一博元総務相や大串博志内閣府政務官らが集まり、原発事故対応を協議していた。そこで原口氏が携帯電話で菅氏に連絡し、上原氏に取り次いだところ、こんなやりとりがあったという。
▽菅「あなたのリポートには目を通したが技術的に理解できない。私が、外部冷却装置をどこに着けていいのかわからないので決定できない」。
▽上原氏は「そんなことは首相が考えるべきことではない。やるかやらないか決断はできるでしょ」と言うと、菅は突然激高して、延々とわめきちらしたという。その声に上原氏は恐怖さら感じたという。















「世界3月号」で湯浅誠さんが書いた、「社会運動の立ち位置」という論文に、市民運動家から批判が出たといういう話しがあった。そのことについて、市民運動家(と割れる人々すべてではないだろうが)は、(権力や巨大組織を)批判することには慣れているが、批判されることには耐性ができていないという「推論」を別項で考察した。
菅はまさに批判されることを「恐れ」、それにさらされると「怒り」という「弱さ」を吐露したのだった。

こんな人間があの3.11の危機の時に、日本の首相だったというのは、トホホというほかない。産経新聞の言うとおりだ。



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