2012年6月15日金曜日

震災は日本に分断をもたらしたのではなく、顕在化しただけだ

すでに旧聞の話しではあるが、東日本大震災によって、日本に様々な形の「分断」が生まれたことが、いろいろ指摘されている。
曰く、震災によって東北は分断された。フクシマは原発事故によって「分断」された、と。またがれきの広域処理を巡っては、被災地とそれ以外の地域での「分断」も新聞・テレビを賑わした。

開沼博氏は文芸春秋5月号の「続・フクシマ論~空白に見える未来~」で、鋭い指摘を行っている。
マックスウェーバーの近代化論になぞらえて、脱原発派、原発嫌悪派の人々の「再宗教化」現象を記し、そのことが、人々の「分断」を生んでいることを指摘している。なかなか鋭い考察だ。

一連のがれき処理を巡る「分断」については先に別項で書いたが、斉藤環氏の指摘、「けがれ」の思想が的確な指摘だ。斉藤氏は毎日新聞での寄稿(2月26日)で、「がれきを受け入れに理解を示す自治体は次第に増え処理は進む。心配なのはがれき処理そのものではなく、ケガレの思想の残る中で、受け入れ自治体の『被害者意識』と被災地の『負い目』について十分な手当がされないこと」だと心配していた。

実際その後、斉藤氏がすでに2月の段階で予想した通り、がれきを受け入れる自治体は次第に増えてきた。ちゃんと数えた訳ではないが、地理的に近い東日本が多いような気がする。反対に北九州市では、一部の人々の激烈な拒否・反対運動がニュースになった。(もっともマスコミはあまり騒ぐのは「よくない」と思ったのか、新聞の扱いは小さく、写真掲載も一部にしかなかった。良くも悪くもマスコミは情報を操作する典型だ。)

「分断」は、震災で生まれたのはない。もともとあったものが、震災をトリガーに顕在化しただけだろう。「けがれ」を感じる人々の意識が惹起されたのだ。
西日本に根強く残る「けがれ」の思想。それは何なのか、東日本で育った私には正直よく分からないし、どう受け止め考えていいのかも分からない。

それは西日本でも一部の人たちだけの「思想」かもしれない。「分断」などと煽っているのはマスコミだけなのかもしれない。何なのか。

しかし東北の人々は決して忘れないだろう。
五山の送り火に岩手の木が受け入れられなかったことを。その少し前には、福島で作られた橋げたも一時的に「受け入れ拒否」されたことを。
一部の人々の騒ぎでも、それは被災地とそうでない地域んぼ両方に、深い「トラウマ」を生んだことだけは確かだ。

一番残念だったのは京都市長が、「反対」の声に押されて右往左往したことだ。彼が毅然とした態度をとっていれば、被災地の人々の心の傷も小さかったのではなかい。
東西は昔から分断されていたのだ。
書くことによって考えを進化させようとしたが、この問題だけはどう「まとめて」いいか分からなくなった。ただ思い出しのは、在野の歴史学者、故・網野善彦さんの著作だ。
好きでよく読んだが、網野さんは、はっきりと西日本と東日本が「違う地域」であることを指摘していた。(今回、著作の内容を確かめた訳ではないので、主な著書を揚げておきます。)

○網野善彦さんの著作



元から分断されていたので、「しかたない」と言っているのではない。その事実にきちっと向き合わなければ、分断は解消されないと思うから、あえて指摘するのだ。


○網野さん余話。網野さんが亡くなって中沢新一氏が甥っ子だったことは初めて知った。
確か文芸雑誌「すばる」に短期集中連載された「僕の叔父さん・網野善彦」は、けっこう興味深く読んだ。






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