2011年11月10日木曜日

財務省は悪ものなのか

経済政策は、どうしてこうも両極端の意見が対立するものなのか。
いわゆる「大きな政府」「小さな政府」論のような大きな“物語”でなく、マクロ政策においてである。

 ある学者は国債の発行をやめて財政再建しないと国が破たんすると言うが、正反対に景気対策にはじゃぶじゃぶ公共事業を行う必要があり、日本の中でお金が回っているので借金の心配はいらないという言う学者もいる。

 デフレは悪だという言説に対して、デフレは悪くないという著名学者もいる。成長がなければ経済はへこむという意見と、もう成長は見込めないのだから定常型社会を目指すべきだという人もいる。ゼロ金利はいけないという人ともっと量的緩和をしろという意見もある。

 こんなにも違う意見が乱立する経済、おそらく世間の人々(大衆)は本当に理解しているのだろうか。月例になった新聞やメディアの「世論」調査(「輿論」ではないところが悲しい)で、政府に望むことというと、必ず「景気対策」という項目がある。なんと無意味な質問なことだろう。
景気対策をどう行うかが問題なのに、「景気対策」という答えしか用意していない調査なんて一般大衆をバカにしているか、さもなくばこういう設問をするメディア各社が愚かなのかどちらかだろうが。

 ともかく、経済政策におそらく「正しい道」なんてない。あるのは何を選択するかという「決断」だけだろう。しかしその決断はしばしば大衆迎合的、もっと端的に言えば人気取りの政策が決断されてきた。故人を責めてもしかたないが、小渕は「世界一の借金王」とうそぶいて国債をがばがば発行した。それが景気にどれだけの効果があったのかは、ほとんど検証されていないのではないか。(検証した論文があれば教えてほしい。是非読みたい。)

 政策がどうしても大衆迎合的になるのはどの政党でも同じかもしれないが、国の天文学的な国債発行残高をどうするかは、真剣に考えられていない。政治の尻ぬぐいは「あとは官僚におまかせ」といったとこだろう。

  財務省は政治家が人気維持のために「決断」した国債発行を、この国を今後も維持するためになんとかしようと必死になっている、と思う。その表意が細川内閣の「国民福祉税」構想などの仕掛だったのではないか。

 私はなにも財務省の応援団でもシンパでもない。が、冷静に見ると総体として財務省(旧大蔵省)は、少なくともバブル崩壊以後は必至になっていると。残念なのはそういう役所にあって、一部の愚かな高級官僚が不祥事をおこしたことだろう。

 権力(のようなもの)を攻めたてていれば気の済む大衆と、そうした大衆を読者とする雑誌などのイエロージャナリズムが、ここぞとばかりに財務省をスケープゴートにして、面白がった。財務省陰陰謀説などという言葉も、不祥事以後よく聞くようになった。

 で、消費税10%問題である。われわれの子・孫にも日本が持続していくためには、最低限必要な税だろう。だれだって増税は困るが避けることができない道だ。

 それでも財務省を陰謀の悪人に仕立てて喜んでいるこの国の人々は、10%の道をふさぐのだろうな。悲しい。

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