2011年11月12日土曜日

ランナーズハイ

NHK出版刊
 
すこしずつ走るようになって、走ることの「意味」をいろいろな角度から考えるようになった。いまのところ一番影響を受けたのは、このブログにも以前少し書いた、村上春樹さん「走ることについて語るとき、ぼくの語ること」だ。
このことについては、別項で考えたい。

キワモノ本をひとつ紹介。 「脳を鍛えるには運動しかない」。
なんて分かりやすい、しかし安易なタイトルなんだろう。原題がどういうタイトルなにか、すでに図書館に返してしまったのでわからないが。



要するに、多くの人が感じる運動して爽快感を味わうと、他のことにも好影響を与えるということを、最新の“科学的知見”でいろいろ言ってる書籍だ。
これが科学的なのかどうかはわからない。が、運動している身には、なるほどねと、妙に納得する記述が多々あるのも確かだ。きっと、自分が日頃運動して感じていることを“科学的に”補強してくれているからなのだろう。自分に同意を求める「無意識」に心地よく働きかけてくれている。

この本の中で「ランナーズハイ」について触れられている。確か、これは「走ることに」にしかない気分の高揚で、他のスポーツではないと書かれていた。

しかし経験から言うと、そうでもない。泳ぐこと登ることにおいても同じような身体的気分になることを経験することがある。最近ようやくコンスタントに2,000mを泳げるようになったが、1,200mを越したころから、なんとなく脱力してすこしラクに泳げる。スピードは落ちるが、持続性は出てくるのだ。

登山でも同様だ。単調なだらだら道を歩いていると飽きてくる。しかし足が妙に軽くなる時がある。走ることについて、私のようなビギナーでも5,6㌔mあたりまでは苦しいが、それをすぎると
これもスピードは出ないが時間は稼げるようになる。いずれにも共通しているのは、割と単調な動きを反復している時だ。

誤解を恐れずに言えば、それは苦しみの後にやってきたエクスタシーだとも言える。

コンスタントに運動をするようになって身体的に変わったこと。まず睡眠がラクだ。床に就くと5分もたたずに寝られる。運動しなかった日はそうはいかないし、夜中に目が覚める。肩こりがなくなった。食事がおいしい。お酒はごく少量でOK。これらと運動に「因果関係」があるかどうかはわからないが、そう感じることは確かだ。本を読む量はあまり変わらないかな・・・。

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