2011年11月14日月曜日

信用できない理由~「言説」を変えるには説明が必要だ~

前回の追記。
朝日新聞は、2011年11月13日の社説「政治を鍛える」で、「ひとたび総選挙で民意が示されれば、基本的には4年の任期を全うする慣行の確立が求められる」と論じた。またしてもあれれ・・である。 常日頃から、重要な政策決定には解散して民意を問えと訴えていた社説とは180度違うではないか。またこの社説では「衆院『尊重』の慣行を」とも言う。これもぶれた。民主党が初めて参院で第一党になった時、参院に示された民意をくみ取れと注文していたのではないか。

 この変節はどうしてなのか。あまりにも混乱し、足を引っ張りあう政治(業界では政局と言うらしい)の在り方に、さすがにまずいと思い始めたからだろう。おそらく。 それはそれで判断としては妥当だ。しかし社説を変えるのなら、読者、それも長年購読している定期購読者に対して、説明が必要なのではなかい。なぜ説を変えたのか。変えた理由はなにか。変えるに至った社内の議論はどうだったのか、検証すべきだ。

だって新聞は日頃言っているではないか、政府に対して、「もっと国民に説明を」と。その言葉をそのまま返したい。さもなくばますます読者は減っていきますよ。ご都合主義では。

 と、まあ新聞だけを責めてもちょっと酷かもしれない。

 自民党総裁・谷垣禎一氏は自民党の政治家としては結構まともで頭脳も明晰な人だと思っていた。彼はかつて日本の政治について、日本の政治には「解散」があり、そのためどうしても「政局」というものができてしまい、政治運営が行き詰まることがあると、日本の政治制度を嘆いていた。まっとうな認識である。

 しかし今彼は、自身が総理大臣になるには自分の総裁任期中に解散総選挙して勝利する以外に道はないと悟ると、これまでの言説や彼の本質的思考とは関係なく、常に与党の粗探ししと批判、そして解散総選挙を叫ぶことに終始するようになった。これは看過できない。

政治家を信用できないという大衆的一般世論(そんなものはメディアが作りだした幻想かもしれないが)とは別の次元で、「政治家としての、人を信用できない」という思いだ。

「人の醜さ」とは何かといえば、それはこうしたご都合主義にほかならないが、そうせざるを得ない「大衆社会」そのものが問題なのではないかと、オルデカなら言うだろう。

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