2011年12月27日火曜日

発見!上野千鶴子と橋下の酷似性

フェミニストの“教祖様”上野千鶴子の言説には、首をかしげるものが結構ある。この人は、女性対男性、または男性が女性の妨げになっているという発想以外ないのではないだろうか。その発想にとらわれているため、議論が粗雑で非論理的なものになっていることに気付いていない。

2012年12月17日の朝日紙上の上野のオピニオンには驚かされた。政治学者・宇野重規氏がホスト役のインタビュー記事だ。
宇野氏が橋下現象に対して「閉塞感と不安にかられ魅力的に見える人に全部放り投げる。その人の破壊的な言動に快感を覚える。橋下らが支持されるゆえん。」と、ごく一般的な分析をしたのに答えて、
上野は、
「追い風は吹き荒れるが、その方向は問いません。その意味で強いリーダーシップへの期待は思考停止や白紙委任につながりかねません。“ハシズム”の風には不吉な予感がします。」と言う。
「追い風は吹き荒れるが、その方向は問いません」とは論理不明な一文としかいいようがない。「追い風」とは橋下に吹くものだが、「方向性は問わない」とは彼を支持する人々を指している。つまり彼女は、大衆批判をしたいが、ストレートに言うのははばかられるので、橋下現象がいかにもワルいという印象を先に与えているにすぎない。「思考停止」や「白紙委任」をしているのは、橋下を支持する人々の方であり、それによって「不吉な予感の追い風」が吹いているのだから、はっきり大衆の側の責任を言うべきではないのか。
2012年12月17日 朝日新聞

上野は続ける。
郵政選挙で白紙委任状を与えたせいで、緩和につぐ規制緩和が行われ、格差が広がった。若者や女性は自分にしわ寄せがくる政策の推進者を支持した。最大のツケは原発事故。権力者任せでやってきた結果がこの惨状です。ここまで高い授業料を払った日本人が学ばないとすれば、どうすればいいのでしょう。」

 
この文章の論理の飛躍には、本当に驚かされる。前半は、これもまた小泉に投票した人々が白紙委任を彼に与えたと、大衆批判をして、そのツケが自らに降りかかったと言っている。


それはその通りだろうが、次の文章で原発事故について急に話が飛んでいる。
郵政選挙の結果と原発政策を同列に結び付ける乱暴な言説にまず驚かされる。原発事故については、なぜこんなことになったのか、もっと冷静で論理的な分析が必要なのは言うまでのない。郵政選挙のようにワンイシューで、総選挙を首相が行いその結果の政策が今の事態を招いたのではないだろう。本当に乱暴は論理のすり替えだ。

それぞれの事象には、それぞれの原因になる要素があり、様々な事情がからみあって結果を生んでいる。小学生でも理解することだ。上野の言説は、リテラシーのない大衆が「とかく役人は、・・・」とか、「政治家なんて・・・だ。」と十把ひと絡げでモノを言うのと同列だろう。

結局上野は、実は大衆にいら立っていながら、市民派としての自分の立ち位置を守るため、巧み(と本人が思っている)な言い回しで、無理やり論理展開しているにすぎない。これぞポピュリスト文化人の本領発揮であろう。

こうして「私は若者、女性の味方よ」と思わせる無理な論理展開をした上で、上野の批判の矛先は当然、男に向かう。
現在の改革議論は小手先の微調整ばかりで抜本的なビジョンがない。経済成長のもと、日本型雇用と近代家族のペアで支えられてきた社会システムはもう終わったんです。年齢、性別にかかわらず、働く意欲と能力のある人は一生働き続ける。ただし将来や人生を一つの場所に預ける働き方はしない。そうなるためには、日本型雇用に崩壊してもらわなければなりません。」と続く。

上野が考える「日本型雇用と近代家族のペア」とは何か、そのあとに出てくる。
すなわち「『社畜とDV妻』のカップル」だという。日本型雇用=社畜、近代家族とは=DV妻だと言うのだ。この言説に同意する人はいったいどれほどいるだろうか。あまりにもまれはケースを一般化している論理ではないか。「社畜」の正確な定義は何か私は知らないが、仮に「会社(中心)人間」であり、「DV妻」を100歩譲って「会社中心人間の夫に仕える孤独な妻」程度としても、あまりにも一面的であろう。

上野は、自分の考えに都合のよい事象のみを取り上げていかにも一般的な事象のように言い換える。これって学者の言説と言えるのだろうか。

粗雑な言い回しはここにもある。
「現在の改革議論は小手先の微調整ばかりで抜本的なビジョンがない。」
具体的にどういうことが小手先でどうすれば抜本的なんだろうか。この言葉を借りれば橋下が行おうとしている大阪都構想や教育条例の改正はまさに「抜本的」な改革を目指している。こういう方法がいいと言っているのかな。

 政権の見方をする訳でもなんでもないが、彼らは彼らの立場でなんとか折り合いのつく解決策、善後策を考えているだろう。一挙にものごとが解決する魔法の方法などないのだから。その魔法があると言いつのっているのが、ほかならぬ橋下や河村たかしなのではないか。

つぎ。
「経済成長のもと、日本型雇用と近代家族のペアで支えられてきた社会システムはもう終わったんです。年齢、性別にかかわらず、働く意欲と能力のある人は一生働き続ける。ただし将来や人生を一つの場所に預ける働き方はしない。そうなるためには、日本型雇用に崩壊してもらわなければなりません。」
この言説によって上野が何を言いたいのかよく分からない。正規雇用などというのは既得権益に他ならないから、「働く意欲と能力のある」人が「一つの場所に預ける働き方」でなくて、自由に?働く労働環境になればいいということなのだろうか。
 現在の日本の労働市場や環境は、決していいとは言えないだろう。しかし上野が言うような労働環境を望む人はそう多くはないのではないか。
「あまり意欲も能力もない」人は切り捨てられる、完全競争社会ということだから。これが上野の望む労働環境なのだろうか。

正規雇用を既得権として持っている人々が手放そうとしないから、旧モデルが延命しています。手放さない人たちの代表が連合のオヤジ労働者。政官財による共謀シナリオの労働ビックバンにも合意した。そのなかで、非正規雇用に追いやられ、最も大変な目にあっているのが若い女性たち。…家事手伝いという扱いで失業者扱いもされない。」
ここまで読んで、合点がいった。
上野は単にオヤジ批判をしたいがために、論理を飛躍させていたのだろう。

大衆に訴えかけるのに一番わかりやすいのは、敵をつくそれを叩いてみせること。小泉の郵政改革、名古屋の河村、そして大阪の橋下、内容に違いはあれどれも戦い方の構図は同じだ。そして上野の論理展開も同様である。
オヤジという若者、女性の「敵」を作り、それを批判することで、自らの考えを権威づけ支持を得ようとする点では酷似している。
こんな薄っぺらな言説を支持しる「若者」や「女性」て、それは橋下を支持する層とそう変わりばえしないのではないだろうか。それこそ宇野氏の指摘する「破壊的な言動に快感を覚える」人々に他ならない。
上野の手法は橋下と同じなのだ。単に自分のいらだちを「敵」に向けてそれで溜飲を下げているにすぎない。
私は女性の地位向上には賛成である。しかし上野千鶴子のような論理ともいえない論理で自説を押し出してくる「女性」には同意できない。
その言説を1面全部を使って無批判に展開する朝日新聞の見識を疑う。





「戦争が遺したもの」は、鶴見俊輔に、小熊英二と上野千鶴子がロングインタビューしている対談本である。
鶴見さんの言説は様々な本で同じようなことを言っている点もあり、何冊か読んでいるとちょっと退屈な面もある。
しかし小熊英二の鋭い質問や分析もあり、その点では面白い本だ。

この中で上野の言っていることにははちょっとピンとはずれなところもある。小熊は上野に批判的に言う部分も(確か)あるが、そこは大人。お仲間同士なのでうまく丸めている。

角川oneテーマ

内田樹さんの「フェミニズム批判」は、論理的でスジが通っている。この新書はフェミニズム初心者にも分かりやすい。この中で確か内田氏は、上野が論文の中で自分に都合のいい部分しか紹介しない、手法を紹介していた。(すぐ読める本ですので、ぜひどうぞ)


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