2011年12月22日木曜日

「サプライチェーン」。その先にいる最終消費者は“つながっている”

最近 経済用語で「サプライチェーン(supply chain)」という言葉をよく見聞きするようになった。「 供給の連鎖」。すなわち原材料の調達から生産・販売・物流を経て最終需要者に至る、製品・サービス提供のために行われる一連の流れのことを指す。

東日本大震災で東北地方の部品向上がストップすると自動車生産全体に影響したり、タイの洪水で現地の工場の停止が日本の工業製品全体に影響が出たりと、まさに生産過程が、国内だけでなく、海外の工場もふくめて「繋がっている」ことを改めて実感させられた。

普段の生活で、何かモノを購入する時、その生産はどこでどういう過程を経て製品として、いま買われようとしているのか思いを巡らすということはまれだろう。「世界の亀山モデル」と謳った液晶テレビや、フェアトレードと言ってNGOなどが売る開発途上国の製品。または産地や生産者限定で購入するコメや果物などは、多くの購入物の中では例外的存在である。

どこでどう作られようと、またそこがどんな人の手を経て手元に届くかということは、実は最終消費者にとってどうでもいいことでしかない。その製品の価格が購買者の価値基準の値段に収まっていて、機能やデザインが気に入っていれさえすればいいのである。


話しは飛ぶが、通勤電車の中で携帯ゲーム機に夢中になっている輩、スマートフォンをいじくりまわして時間を費やしている人。音漏れなぞおかまいなしの“音楽愛好家”たちに対して、他の乗客たちは、何も主張せず我慢している。なぜか。
“良識ある”新聞やテレビ局、雑誌が、「電車内では本を読め」と諭しているのをあまり見たことがない。ごく一部の“文化人”くらいだ。なぜか。
企業系シンクタンクのエコノミストが、「スマートフォンをいじくりまわしても教養は身に付かない」と主張することもない。なぜか。

考えてみれば当たり前のことだが、ゲーム機やスマートフォンや音楽プレーヤーの使用者(最終消費者)は、みなつながっているからなのだ。

真面目(そう)に日経を読んでいるサラリーマン、サラリーウーマンたち。、勤務先が電子部品会社であれば、ゲーム機のICチップを作っているかもしれない。あるいは家電メーカーの社員。あるいはそういう企業の広告を扱う代理店。みなチェーンでつながっているのだ。

だから迷惑な若者も、多くの「大人」たちにとって大切なお客様である、サプライチェーンの一番先端にいる人々なのであろう。文句の言いようがない。ただ「お買い上げいただきありがとうございます」と言うほかないのである。

エンドユーザーからサプライチェーンを逆方向にたどっていく要素が、実は通勤電車の中にあったのだ。出版産業は電子機器のサプライチェーンの前にはあまりにも小さな供給連鎖でしかない。
だんだん肩身が狭くなっていくのは必然である。

どこかの力ある出版社、あるいは出版社の連合体で電車の吊り広告を出してくれないかな。
「電子機器に夢中になっているあなた。本を読み、少しでも教養を深めなさい」と。

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