2016年6月5日日曜日

電車では“必ず”優先席に座ることにした。マタニティマークを巡って

 通勤電車の中(通勤に限らずだけど)というのは、おそらく最も「分断された社会」のひとつだろう。分断されたと言うことの意味は、相互につながりのない個々の集合体としての社会だ。(これを社会と言うのかどうか知らないけど)。
 それでも毎日同じ電車に乗るとなると「いつもの人」がいたりするが、お互いそう思ってもそれ以上に親しくなる訳でも、もっとお互いのことを知る訳でもない。
 
朝、通勤電車の始発駅から乗るとすでに「普通席」は埋まっていて、いわゆる「優先席」に座ることが多い。たまに途中駅から、妊婦さんが乗ってくる。 前に立ち、妊婦マークに気が付けば、当然「座りますか?」と聞いて席を譲る。自分の中ではそれはフツーのこととしてある。

 ところがきょう日はそうでないようだ。つい1週間前にもそうしたことがあった。通勤に使用する私鉄駅で、それらしき人(お腹がふくらんでいる人)が乗ってきて、優先席の一番ドア側の前に立った。自分はその優先席の奥から2番目に座っていた。(この電車は優先席は4人掛けだ。)妊婦さんかな?と思ってカバンを見たけど腕の影になって妊婦バッジがすぐには確認できなかったが、電車が動きだしてちょっと体の向きが変わったときに、それが見えた。彼女の前に座っていた若者(背広を着ていた)はスマートホンをいじっていて、まったく気が付かない。そこでちょっと離れていたけど、「座りますか?」声をかけて立ち上がり席を譲った。席を譲って前に立ち最初に妊婦さんが立った前に座っている人間とそのとなりの人間を観察した。端に座っていたのはサラリーマン風の若者。ずっとスマホをいじりつづけていた。気が付かないフリをしているのか、本当に気が付かないのかは知らない。その隣は40代くらいの女性だった。左手薬指にはリングはしていない人だった。目をつぶっていた。
 
「自分は座ったのだ。その権利は自分にあり、他人に譲る筋合いではない。」と主張するように、たいていの輩はそのままだ。(時々、気が付いてバツが悪いのか寝たフリをして目を閉じているヒトもいるけど。)

 電車内空間という分断された社会では席を譲らない人ばかりなのは当然だろう。そういう世の中なんだと納得するしかない。他人に対してあれこれ言いたくはない。

 で、これからは席があれば必ず優先席に座ることにした。前に妊婦さんが立った時に譲れるようにするためだ。座りたいと思う妊婦さんはだいたい優先席の前に来るからだ。

 ちなみに、私は、少々年齢のいった(くらいの)高齢者には席は譲らない。高齢者は立って足を鍛えることの方が健康長寿にはいいからだ。頑張って立っててくださいと、心の中で念じていますけど。

追記:この電車が終点について、私を含めて乗客が一斉に下りる、チラッと席を譲った妊婦の方を見た。一瞬目が合い(というか向こうがこちらを見ていた)、軽く会釈するように目でお礼を言っていた。(ように見えただけかもしれないけど)。でもこういう時って文句なく気持ちが晴れやかになりますよね。その目線にこちらこそ「ありがとう」と言いたいくらいです。

追記2:7月14日のNHKおはおう日本で、マタニティーマークを付けることをためらう人が増えているというリポートをやっていた。「電車なんか乗らずにタクれ!」と言われたり、お腹を蹴られたという証言もあった。ごく一部なんだろうけど、あまりにもひどい話で、考えただけで具合が悪くなりそうだった。
 


0 件のコメント:

コメントを投稿