2015年10月14日水曜日

フルマラソンへの道①30㎞走を初体験。

 フルマラソンを目指す者にとって、30㎞走はひとつの関門だろう。(ランニング雑誌によく書いてある)。初めて30㎞を走った。なんとか。

 なぜ走るのか。 村上春樹さんの最新刊エッセイ「職業としての小説家」にかなりの分量を割いて、身体を鍛えることが記されている。頭を使うこと(創作活動)と身体を鍛えること(ランニング)は一体のものであることが、経験則からも生理学的にも必要なことだと。
 まったく同感というほかない。それは50を超えてから本格的走り始めた者にとって、体験的に実感できるものだ。
 30㎞走は、自分にとってフルを目指す一里塚というよりも、心を鍛えるひとつの「手段」だという意識があった。ともかく走ってみようと。

 これまでハーフマラソンのレースには4回ほど出場したが、フルは未経験だ。適当な機会(大会)がなかったことと、普段のランニングは、特にフルを「目標」にしてトレーニングを積んでいる訳ではなかった。でもアタマの片隅のどこかに、一度は出てみようという気持ちがあるのだろう。そして出るからには、制限時間ギリギリでボロボロになってゴールするなんているみっともないことは、主義としてしたくない。それなりの記録でゴールしたい。という気持ちが、これもまた心のどこかにあるのだ。具体的にはサブ4だ。60前の初老が、初マラソンでサブ4なんて無謀な目標かもしれないが。

  いつもひとりで走っている。だれのアドバイスも受けず、励まし合う相手もいない。いつも同じところばかり走る。だからランニングを楽しむ要素は極めて少ない。自分でもよく続くと思う。
でもともかく続けていられるのは、走ることで他の生活の要素のパフォーマンスも上がるという“感覚”を何となく、理屈ではなく、身体として感じているからに他ならない。だから村上春樹さんの言いう「身体と頭脳の一蓮托生論」(と勝手に命名)には、ものすごく共感した。
 (「走ることについて語る時、ぼくの語ること」は、ほとんど私の“バイブル”だ)

 今年の夏も暑かった。8月はなるべく朝早くに走った。それでもものすごく汗をかくので15㎞が限界だった。それでもコンスタントに毎週走り、月間ペースとしてはなんとか120㎞をキープした。120㎞という距離は、(当たり前だけど)、フルマラソンに日常的に参加しているような方々から見れば、フンと鼻で笑う距離でしかないだろう。雑誌を見ていると月間300㎞、500㎞なんてザラにいるようだから。反対に走らない人から見ると、120㎞と聞いただけで驚かれる。まあそれはともかく、120㎞~150㎞が自分のこれまでの月間ペースだ。

 夏の終わりに多摩川を20㌔走り、9月に入ってからは日曜ごとに(1回休み)22㎞~26㎞を走った。そして10月12日体育の日、初めての「30K」だった。
タイムはEPSONのリスタブルウォッチで平均速度5分55秒/㎞。なんとかキロ6分を切った。しかしキツかった。「孤独との戦い」などという紋切型の言葉で表せない。音楽も聞かず、ひたすら走ることだけを考え続けた3時間だった。

 コースは拙宅から丸子橋たもとまで1.5㎞。東京都側を丸子橋~二子玉川、二子橋を渡って、川崎側を二子橋~丸子橋~ガス橋と行き、ガス橋を渡って東京都側を多摩川大橋~更に先の六郷大橋の途中までを行く。河川敷にいくつもグラウンドが並ぶ所で多摩川大橋まで引き返し、川崎側を上流に向かい、ガス橋で東京都側に行き、再び大橋を目指し、途中で道なりに引き返してあとは丸子橋まで行く。更にそこから坂を上がって自宅に戻るコースだ。

 不思議と、いわゆる「ランナーズハイ」の状態にはならなかった。ハイになる以前なのか、足(ふるらはぎ)の痛みが気になって、これをどう克服するのか、そればかり考えていた。手持ちのエネルギー(アミノバイタル5000と、ブドウ糖)をいつ飲めば効果的なのか、500ccのスポドリはどういう配分で飲むか。いろいろ考えることはあった。
 
 とにかく走った。しかしこの時は、少し休んだとしてもあと12㎞余り走る余裕は足にも気持ちの上にもなかった。少なくとももう1度、できれば2度は30kを走って、その次を目指したい。フルマラソンを目指すというより、自分の精神と頭脳を鍛えるために。

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