2013年9月25日水曜日

東電をいじめても、誰も何の得にならない 泉田新潟県知事の浅知恵

きょう(9月25日)、東電の広瀬社長が新潟県の泉田知事と再会談した。泉田氏の最初のひとことは、ニュースによると「東電は安全とお金のどちらを大事にしているのですか?」というものだった。

nhk news webより引用
あきれるとしか言いようがない。知事にしてみれば、テレビカメラが並ぶなか、こういう言い回しで、大衆に「安全を第一に考えている知事」という印象を与えたかったのかもしれない。姑息なパフォーマンスと言う以前に、稚拙な設問で東電社長を「追い詰める」演出を考えること自体、精神の貧困以外の何物でもない。やっぱり彼はナルシストなだけだ。

原子力発電所は、安全が第一なのは論を待たない。しかし会社として利益を目指すことと安全はトレードオフではない。2者択一の問題ではないことに、「どちらが大事ですか?」と、あえて聞く神経を疑う。

東電をいじめても、国民のだれも得をしない。ルサンチマンの虜囚のごとく、「権力を持った悪いヤツ」として、大衆的発想で「懲らしめ」て、どんなメリットがあるのだろうか。

仄聞するところによると、東電は給与を下げたこともあり、人材の流出が続き、福島第一原子力発電所の汚染水問題でも、なかなかうまく動けないという。

このまま東電は破たんしたらどうなるか、発電をとめることはできないし、避難者への賠償、廃炉費用等等、すべて国費を使わざるを得ないだろう。それが幸せなのか?

納税意識のない大衆は「そんなの関係ない」と一昔前のお笑い芸人のごとく言うかもしれないが、使わなくてもいい税金が使われることがどういうことなのか、よーく考えてみることだ。

もっとも、「考えない」ないから「大衆」なのであり、その大衆に「考えろ」と言うこと自体、論理矛盾を起こしているけどね。

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