2013年4月8日月曜日

普天間基地問題、名護市長の「県民は怒っている」に違和感

名護市 辺野古の海(by web)

少し前のことになってしまったが、政府は在日米軍の沖縄・普天間基地の代替としている、名護市辺野古の埋め立て申請を沖縄県に行ったニュースが報じられた。

仲井間知事は、「時間がかかりますよ。」「県外に」と主張した。

沖縄の米軍基地問題は難しい。普天間をどうするか、最良の「解」はなかなか出てこない。だから民主党政権も迷走したし、高支持率のアベ政権も慎重にコトを進めているのだろう。
ひと昔前ならば、「米軍基地はいらない」という反米を叫ぶことに一定の支持があり、冷戦終結後はそれで事態が動くこともあったのかもしれない。

しかし今はまったく状況が一変した。多くの人が中国の動きに気をもみ、「やはり一定の抑止力がないと・・・」というのが大方の心情なのではないか。
実際、大手新聞でも「在日米軍不要」という主張をする社はどこもない(と思う)。だからリベラルを標榜する朝日、毎日、東京などはそれぞれトーンに温度差はあれ、「沖縄の負担軽減」の方針の元、(外国も含めた)県外へという主張を繰り返して、“理想論”に終始している。
もちろんだからと言って、「辺野古が一番」などと安易に主張するつもりはない。悩みは深くなるばかりである。


3月24日朝日新聞より引用
そんな中での、「埋め立て申請」で、名護市長の発言が気になった。

「強権的に進められてきたことに、県民は非常に怒っている」(朝日の記事より)

違和感を持ったのは、市長の怒りではない。「県民は・・・」という表現にである。
彼の立場ならば、「私は地元の市長として(反対する立場から)怒っている」とか、「名護市民を代表して、怒っている」というべきだ。
彼は沖縄県の「代表」ではないし、県民全員が怒っている訳ではないだろう。
「県民」という、あいまいな主体を持ち出すことによって、稲嶺市長の発言は、実は非常に軽薄なものになったと思う。


これは、われわれも、若い時ときどき使ってしまった言い回しそのもだ。
自らの主張に「信ぴょう性」と「支持」を得るために、「みんな、言ってるよ」というヤツだ。

この場合のみんなとは誰なのか、どんな主体なのか、そして全員なのか、まったく曖昧なものであるのは言うまでもない。

他の民族がこういう言い回しを好んで使うかどうか知らないが、少なくとも日本人は、わりとよく使う人をみる。

「自分はこう思う」「自分の考えはこうだ」という“主張”をすることが苦手なのか、ボカしたいのか、「みんな」と言うことで、あたかも大勢の「意見」であると主張するのは、かえって信用を失うことを忘れない方がいい。

少なくとも稲嶺市長の発言からは「信念」が伝わってこなかった。ついでに記せば、仲井間知事の「時間がかかりますよ」という言い方にも、“含み”がある。逆手にとれば、時間がかからなければ辺野古でもいいと言っているようにとれる。この知事の真意は、いつも分からない。わざとわからないようにしているのだろうが。

普天間基地(by web)




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